
Sign up to save your podcasts
Or
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
二十五
「私は蔭(かげ)へ廻(まわ)って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟(たた)っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の心には錆(さび)が出ていたとしか、私には思われなかったのです。
奥さんは取り付き把(は)のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来(き)ようというと、要(い)らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。私はただ苦笑している訳にもゆきません。気の毒だから、何とかいってその場を取り繕(つくろ)っておかなければ済まなくなります。もっともそれは春の事ですから、強(し)いて火にあたる必要もなかったのですが、これでは取り付き把がないといわれるのも無理はないと思いました。
それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力(つと)めました。Kと私が話している所へ家(うち)の人を呼ぶとか、または家の人と私が一つ室(へや)に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起(た)って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでした。Kはあんな無駄話(むだばなし)をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中(うち)では、Kがそのために私を軽蔑(けいべつ)していることがよく解(わか)りました。
私はある意味から見て実際彼の軽蔑に価(あたい)していたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遥(はる)かに高いところにあったともいわれるでしょう。私もそれを否(いな)みはしません。しかし眼だけ高くって、外(ほか)が釣り合わないのは手もなく不具(かたわ)です。私は何を措(お)いても、この際彼を人間らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭がいい人の影像(イメジ)で埋(うず)まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性の傍(そば)に彼を坐(すわ)らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を曝(さら)した上、錆(さ)び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏(まと)まって来出(きだ)しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向って、女はそう軽蔑(けいべつ)すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女(なんにょ)を一様に観察していたのです。私は彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。私はその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃(ころ)でしたから、自然そんな言葉も使うようになったのでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口(ひとくち)も打ち明けませんでした。
今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠(こも)っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、私に取って何よりも愉快でした。私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。私は本人にいわない代りに、奥さんとお嬢さんに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。
二十六
「Kと私(わたくし)は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室(くうしつ)を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶(あいさつ)をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖(ふすま)を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭(うなず)く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。
ある日私は神田(かんだ)に用があって、帰りがいつもよりずっと後(おく)れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子(こうし)をがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥(たし)かにKの室(へや)から出たと思いました。玄関から真直(まっすぐ)に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取(まどり)なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介(やっかい)になっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已(や)みました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数(てかず)のかかる編上(あみあげ)を穿(は)いていたのですが、――私がこごんでその靴紐(くつひも)を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違(かんちがい)かも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐(すわ)っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬(かた)いように聞こえました。どこかで自然を踏み外(はず)しているような調子として、私の鼓膜(こまく)に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。
奥さんははたして留守でした。下女(げじょ)も奥さんといっしょに出たのでした。だから家(うち)に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅(うち)を空けた例(ためし)はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断(ふだん)の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目(まじめ)に答えました。下宿人の私にはそれ以上問い詰める権利はありません。私は沈黙しました。
私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて晩食(ばんめし)の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下宿した当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳(ぜん)を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時(めしどき)には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極(き)めました。その代り私は薄い板で造った足の畳(たた)み込める華奢(きゃしゃ)な食卓を奥さんに寄附(きふ)しました。今ではどこの宅(うち)でも使っているようですが、その頃(ころ)そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶(おちゃ)の水(みず)の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上(あ)げさせたのです。
私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋(さかなや)が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱(しか)られてすぐ已(や)めました。
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
二十五
「私は蔭(かげ)へ廻(まわ)って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟(たた)っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の心には錆(さび)が出ていたとしか、私には思われなかったのです。
奥さんは取り付き把(は)のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来(き)ようというと、要(い)らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。私はただ苦笑している訳にもゆきません。気の毒だから、何とかいってその場を取り繕(つくろ)っておかなければ済まなくなります。もっともそれは春の事ですから、強(し)いて火にあたる必要もなかったのですが、これでは取り付き把がないといわれるのも無理はないと思いました。
それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力(つと)めました。Kと私が話している所へ家(うち)の人を呼ぶとか、または家の人と私が一つ室(へや)に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起(た)って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでした。Kはあんな無駄話(むだばなし)をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中(うち)では、Kがそのために私を軽蔑(けいべつ)していることがよく解(わか)りました。
私はある意味から見て実際彼の軽蔑に価(あたい)していたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遥(はる)かに高いところにあったともいわれるでしょう。私もそれを否(いな)みはしません。しかし眼だけ高くって、外(ほか)が釣り合わないのは手もなく不具(かたわ)です。私は何を措(お)いても、この際彼を人間らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭がいい人の影像(イメジ)で埋(うず)まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性の傍(そば)に彼を坐(すわ)らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を曝(さら)した上、錆(さ)び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏(まと)まって来出(きだ)しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向って、女はそう軽蔑(けいべつ)すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女(なんにょ)を一様に観察していたのです。私は彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。私はその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃(ころ)でしたから、自然そんな言葉も使うようになったのでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口(ひとくち)も打ち明けませんでした。
今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠(こも)っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、私に取って何よりも愉快でした。私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。私は本人にいわない代りに、奥さんとお嬢さんに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。
二十六
「Kと私(わたくし)は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室(くうしつ)を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶(あいさつ)をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖(ふすま)を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭(うなず)く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。
ある日私は神田(かんだ)に用があって、帰りがいつもよりずっと後(おく)れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子(こうし)をがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥(たし)かにKの室(へや)から出たと思いました。玄関から真直(まっすぐ)に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取(まどり)なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介(やっかい)になっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已(や)みました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数(てかず)のかかる編上(あみあげ)を穿(は)いていたのですが、――私がこごんでその靴紐(くつひも)を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違(かんちがい)かも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐(すわ)っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬(かた)いように聞こえました。どこかで自然を踏み外(はず)しているような調子として、私の鼓膜(こまく)に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。
奥さんははたして留守でした。下女(げじょ)も奥さんといっしょに出たのでした。だから家(うち)に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅(うち)を空けた例(ためし)はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断(ふだん)の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目(まじめ)に答えました。下宿人の私にはそれ以上問い詰める権利はありません。私は沈黙しました。
私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて晩食(ばんめし)の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下宿した当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳(ぜん)を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時(めしどき)には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極(き)めました。その代り私は薄い板で造った足の畳(たた)み込める華奢(きゃしゃ)な食卓を奥さんに寄附(きふ)しました。今ではどこの宅(うち)でも使っているようですが、その頃(ころ)そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶(おちゃ)の水(みず)の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上(あ)げさせたのです。
私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋(さかなや)が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱(しか)られてすぐ已(や)めました。
147 Listeners
236 Listeners
0 Listeners
181 Listeners
44 Listeners