われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

42 怎么会有这么沉重的暑假 青空文库 夏目漱石 こころ 下 27+28


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨

二十七


「一週間ばかりして私(わたくし)はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室(へや)を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否(いな)や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子(しょうじ)を開けて茶の間へ入ったようでした。


夕飯(ゆうめし)の時、お嬢さんは私を変な人だといいました。私はその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただ奥さんが睨(にら)めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。


 私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院(でんずういん)の裏手から植物園の通りをぐるりと廻(まわ)ってまた富坂(とみざか)の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間(あいだ)に話した事は極(きわ)めて少なかったのです。性質からいうと、Kは私よりも無口な男でした。私も多弁な方ではなかったのです。しかし私は歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛(しか)けてみました。私の問題はおもに人の下宿している家族についてでした。私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。ところが彼は海のものとも山のものとも見分(みわ)

けの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼(せま)っている頃(ころ)でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。


 我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後(あと)一年だといって奥さんは喜んでくれました。そういう奥さんの唯一(ゆいいつ)の誇(ほこ)りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古(けいこ)している縫針(ぬいはり)だの琴だの活花(いけばな)だのを、まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊(うかつ)を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁(はんばく)もしませんでした。その代りなるほどという様子も見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑(けいべつ)しているように見えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数(かず)とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬(しっと)は、その時にもう充分萌(きざ)していたのです。


 私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振(くちぶり)を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体(からだ)ではありませんが、私が誘いさえすれば、またどこへ行っても差支(さしつか)えない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅(うち)で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうというのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好(い)い心持ではなかったのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。果(はて)しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州(ぼうしゅう)へ行く事になりました。



二十八


「Kはあまり旅へ出ない男でした。私(わたくし)にも房州(ぼうしゅう)は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃(ころ)はひどい漁村でした。第一(だいち)どこもかしこも腥(なまぐさ)いのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦(す)り剥(む)くのです。拳(こぶし)のような大きな石が打ち寄せる波に揉(も)まれて、始終ごろごろしているのです。


 私はすぐ厭(いや)になりました。しかしKは好(い)いとも悪いともいいません。少なくとも顔付(かおつき)だけは平気なものでした。そのくせ彼は海へ入るたんびにどこかに怪我(けが)をしない事はなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦(とみうら)に行きました。富浦からまた那古(なこ)に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重(おも)に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃(てごろ)の海水浴場だったのです。Kと私はよく海岸の岩の上に坐(すわ)って、遠い海の色や、近い水の底を眺(なが)めました。岩の上から見下(みおろ)す水は、また特別に綺麗(きれい)なものでした。赤い色だの藍(あい)の色だの、普通市場(しじょう)に上(のぼ)らないような色をした小魚(こうお)が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。


 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽(ふけ)っているのか、景色に見惚(みと)れているのか、もしくは好きな想像を描(えが)いているのか、全く解(わか)らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口(ひとくち)答えるだけでした。私は自分の傍(そば)にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱(いだ)いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然(こつぜん)疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上(あが)ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴(どな)ります。纏(まと)まった詩だの歌だのを面白そうに吟(ぎん)ずるような手緩(てぬる)い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸(えりくび)を後ろからぐいと攫(つか)みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好(い)い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑(おさ)えた手を放しました。


 Kの神経衰弱はこの時もう大分(だいぶ)よくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。私は自分より落ち付いているKを見て、羨(うらや)ましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしても私に取り合う気色(けしき)を見せなかったからです。私にはそれが一種の自信のごとく映りました。しかしその自信を彼に認めたところで、私は決して満足できなかったのです。私の疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明(あき)らめたがりました。彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明(こうみょう)を再び取り返した心持になったのだろうか。単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私はかえって世話のし甲斐(がい)があったのを嬉(うれ)しく思うくらいなものです。けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許す事ができなくなるのです。不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振(そぶり)に全く気が付いていないように見えました。無論私もそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍(にぶ)い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅(うち)へ連れて来たのです。


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