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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
三十一
「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点(しゅったつてん)がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他(ひと)にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向(いっこう)私を反駁(はんばく)しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然(ちょうぜん)としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道のために体(たい)を鞭(むち)うったりしたいわゆる難行苦行(なんぎょうくぎょう)の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解(わか)らないのが、いかにも残念だと明言しました。
Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌(あく)る日からまた普通の行商(ぎょうしょう)の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々(みちみち)その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好(い)い機会が与えられたのに、知らない振(ふ)りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截(ちょくせつ)で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜(じょうりゅう)して拵(こしら)えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原(もと)の形(かたち)そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自(おのず)から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟(たた)ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈(こりくつ)はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺(なが)めました。それから両国(りょうごく)へ来て、暑いのに軍鶏(しゃも)を食いました。Kはその勢(いきお)いで小石川(こいしかわ)まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
宅(うち)へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠(や)せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞(ほ)めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。
三十二
「それのみならず私(わたくし)はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生(へいぜい)の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻(あとまわ)しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作(しょさ)はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉(うれ)しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解(わか)るように、持前(もちまえ)の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。だからKは別に厭(いや)な顔もせずに平気でいました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する愷歌(がいか)を奏しました。
やがて夏も過ぎて九月の中頃(なかごろ)から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自(てんでん)の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後(おく)れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室(へや)に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
たしか十月の中頃と思います。私は寝坊(ねぼう)をした結果、日本服(にほんふく)のまま急いで学校へ出た事があります。穿物(はきもの)も編上(あみあげ)などを結んでいる時間が惜しいので、草履(ぞうり)を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子(こうし)をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数(てかず)のかかる靴を穿(は)いていないから、すぐ玄関に上がって仕切(しきり)の襖(ふすま)を開けました。私は例の通り机の前に坐(すわ)っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室(へや)から逃(のが)れ出るように去るその後姿(うしろすがた)をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶(あいさつ)をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌(さば)けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝(えんがわづた)いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言(ふたこと)三言(みこと)内と外とで話をしていました。それは先刻(さっき)の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅(うち)にいる時でも、よくKの室(へや)の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張(ひっぱ)って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
三十一
「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点(しゅったつてん)がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他(ひと)にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向(いっこう)私を反駁(はんばく)しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然(ちょうぜん)としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道のために体(たい)を鞭(むち)うったりしたいわゆる難行苦行(なんぎょうくぎょう)の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解(わか)らないのが、いかにも残念だと明言しました。
Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌(あく)る日からまた普通の行商(ぎょうしょう)の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々(みちみち)その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好(い)い機会が与えられたのに、知らない振(ふ)りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截(ちょくせつ)で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜(じょうりゅう)して拵(こしら)えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原(もと)の形(かたち)そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自(おのず)から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟(たた)ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈(こりくつ)はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺(なが)めました。それから両国(りょうごく)へ来て、暑いのに軍鶏(しゃも)を食いました。Kはその勢(いきお)いで小石川(こいしかわ)まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
宅(うち)へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠(や)せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞(ほ)めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。
三十二
「それのみならず私(わたくし)はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生(へいぜい)の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻(あとまわ)しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作(しょさ)はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉(うれ)しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解(わか)るように、持前(もちまえ)の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。だからKは別に厭(いや)な顔もせずに平気でいました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する愷歌(がいか)を奏しました。
やがて夏も過ぎて九月の中頃(なかごろ)から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自(てんでん)の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後(おく)れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室(へや)に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
たしか十月の中頃と思います。私は寝坊(ねぼう)をした結果、日本服(にほんふく)のまま急いで学校へ出た事があります。穿物(はきもの)も編上(あみあげ)などを結んでいる時間が惜しいので、草履(ぞうり)を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子(こうし)をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数(てかず)のかかる靴を穿(は)いていないから、すぐ玄関に上がって仕切(しきり)の襖(ふすま)を開けました。私は例の通り机の前に坐(すわ)っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室(へや)から逃(のが)れ出るように去るその後姿(うしろすがた)をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶(あいさつ)をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌(さば)けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝(えんがわづた)いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言(ふたこと)三言(みこと)内と外とで話をしていました。それは先刻(さっき)の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅(うち)にいる時でも、よくKの室(へや)の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張(ひっぱ)って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。
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