われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

51 听,海哭的声音 青空文库 夏目漱石 こころ 下 45+46


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨


四十五


「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘(うそ)を快(こころよ)からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後(あと)を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時(しばらく)返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺(なが)めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着(とんじゃく)などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰(もら)いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。


 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然(はきはき)したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜(よ)ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張(いば)った口の利(き)ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐(あわ)れな子です」と後(あと)では向うから頼みました。


 話は簡単でかつ明瞭(めいりょう)に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛(かか)らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮(いこう)さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥(こうでい)するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得(う)るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。


 自分の室(へや)へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這(は)い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。


 私は午頃(ひるごろ)また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝(けさ)の話をお嬢さんに何時(いつ)通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古(けいこ)から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好(い)いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐(すわ)って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被(かぶ)って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱(と)って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒(なお)ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋(すいどうばし)の方へ曲ってしまいました。



四十六


「私は猿楽町(さるがくちょう)から神保町(じんぼうちょう)の通りへ出て、小川町(おがわまち)の方へ曲りました。私がこの界隈(かいわい)を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺(てず)れのした書物などを眺(なが)める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅(うち)の事を考えていました。私には先刻(さっき)の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或(あ)る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。


 私はとうとう万世橋(まんせいばし)を渡って、明神(みょうじん)の坂を上がって、本郷台(ほんごうだい)へ来て、それからまた菊坂(きくざか)を下りて、しまいに小石川(こいしかわ)の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨(また)がって、いびつな円を描(えが)いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向(いっこう)分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得(う)るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。


 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子(こうし)を開けて、玄関から坐敷(ざしき)へ通る時、すなわち例のごとく彼の室(へや)を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒(い)いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那(せつな)に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。


夕飯(ゆうめし)の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉(うれ)しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今(ただいま)と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方(おおかた)極(きま)りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮(ついきゅう)しに掛(か)かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。


 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付(かおつき)で、事の成行(なりゆき)をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉(ことごと)く話されては堪(たま)らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生(へいぜい)より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱(いだ)いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息(ひといき)して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵(こしら)えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯(ひきょう)な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭(いや)になったのです。



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