水中喫茶

57 水脈を離れる feat.にんげん


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monuke⁠⁠さんよりご提供の楽曲「FIGURE」、「紅霞」を使わせていただきました。

monukeさんのファーストアルバム「⁠不在⁠」も絶賛リリース中です。

ぜひ合わせてお聞きください。


水中喫茶では楽曲を募集しております。

もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)m

また感想や質問もありましたら嬉しいです。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠曲提供(音声やその他宣伝でも可)⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠感想や質問⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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かえるさんが病院に内視鏡検査に行った、という話から話は始まった。ネタバレになってしまうけれど、検査の結果、少しポリープ切除をしたみたいだけれど、大きな病気はなくて良かった、なのだけれど、もし大きな病気が見つかったのならかえるさんはどうしていたのだろうと考えてしまう。淡々と話す、ということもあり得そうだ。もちろん、話さないで、別の話をする、ということもあり得そうだ。そもそも水中喫茶の収録を取りやめる、ということももちろんあり得たかもしれない。たまに自分の寿命について考えることがあって、それはつまりあと何年生きられるのだろう、ということ。それはつまりあと何文字言葉を費やすことができるのだろう、ということとも言い換えられるかもしれない。脳は言葉とすごく関係をしていて、これは妄想の話なのだけれど、途轍もなく美しい文章を思いついてしまったら、その文章がWifiのパスワードみたいに脳とどこかを接続させてしまったとしたら、それは素晴らしいのだけれど、一方で、その反対で、すごく悪魔のような文章を思いついてしまったら、脳が自爆するように設計されていたら怖いとも思う。例えば、「お前の膝をIHヒーターに乗せてやる」という文章を思いついて、その文章が脳を自爆させる文章だと、人体に設計されていたとしたら、自分が「お前の膝をIHヒーターに乗せてやる」という文章を思いついたら、自分の脳は自爆するわけだけれど、そんな妄想があったとしても、怖がらずにあらゆる方位の文章を作ろうとすることを続けたいと思う。言ってはいけない言葉はあるけれど、考えてはいけない言葉はない。というのは多分正しくて、やはり言葉は自由ではないけれど、柔軟ではあるべきだと思う。言う言葉は考えた言葉であるべきで、考える言葉は言う言葉であるべきではない。というのはどのくらい正しいだろうか。今回と次回は、にんげん(自分)にとって、考えながら話している箇所が多くあって、考えたことを話している箇所は割と少なかったように思う。特に、介護であったり、安楽死であったり、の話題はセンシティブな話題でもあるし、繋げてしまうとモアセンシティブな話題である(註:本編では別々の話題として話していた)けれど、でも現実的に考えて、自分(にんげん)とかえるさんがその問題に一緒に直面することはなくて、別々の個人としてその問題には直面することにはなるのだろうと思っていて、つまり、それは家族や生命という各個人の問題であるという意味で。それで、その各個人を囲う周囲の人間たちの練習台として、他人がいるのだとも思う。にんげんがかえるさんのお母さんの介護をすることは多分ないし、その逆も多分ないわけで、その時にどうするかを決める練習として他者がいるのかもしれない。関係のない人と関係のないことを話すというのは、意味がないことではないのかもしれない(というまだ減弱した言い方でしか結論できない)。大事な話をする練習として大事じゃない話をする、というのはどれくらい練習になるのだろう。大事な話を大事じゃないように話をする技術、とも言い換えられるのだろうか。つまり、どんな種類の話も同じように話すことが出来たらよいけれど、それは机上の空論なのだろうか。それはつまり冷静でいたいということなのだろうけれど、多分そもそも自分は血糖値が上がりやすいから焦ってしまうと思う。あとオリゴ糖を取りすぎるのは身体には良くないらしいです、人体実験済み。本編で、にんげんはココアを飲みながら収録していたのだけれど(かえるさんは何を飲んでいたのだろう、お湯を飲んでいると前に言ってた記憶がある)、そのココアの中にオリゴ糖をたくさん入れて飲んでいた。でもオリゴ糖は自分の身体には合わなくて、あまり調子が良くなかった。オリゴ糖を入れずにココアを飲んでいたらまた違った言葉を発していたのかもしれない。本編でのにんげんの発言はオリゴ糖が原因であって、自分(にんげん)自身は悪くはないように考えるようにしている。そう考えると少し楽になる。オリゴ糖を入れようと選択したのは自分だから、究極的には自分のせいだけれど、そこの結論に至るまでには「オリゴ糖も悪いよね」という一つのクッションがあるように思う。思うようにしている。にんげんに限らず、人間は身体に抵抗できるほどの意思を持っていなくて、その認識に基づいて身体を環境に追いやることぐらいしか意思にできることは少ないようにも思う。多分、このオリゴ糖を取りすぎた感じは明日も続きそうで、お酒を飲めない自分にとって二日酔いはこんな感じなのだと類推している

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