Sign up to save your podcastsEmail addressPasswordRegisterOrContinue with GoogleAlready have an account? Log in here.
画家と詩人のらくだ、遊民のきりん、表現と研究のかえる。高校の友人3人の話題はゆらゆら行ったり来たり。思いもよらぬ遠いところに飛んで行ったり。日々の生活で気になったことを自由に話してインターネットの浅瀬に浮かべてみる、そんな試み。... more
May 04, 202564 好意にすがる・おたより:お待ちしております。・X水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)m・曲提供(音声やその他宣伝でも可)...more1h 43minPlay
April 13, 202563 おとなおとなとは。Momo-Seiのお二人のPodcast:和やかな会話が心地よい、、、・感想や質問:お待ちしております。・X水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)m・曲提供(音声やその他宣伝でも可)...more45minPlay
March 18, 202562 小説旅行万博62 小説旅行万博小説は本を開けば始まって閉じればすぐに止めることができるけど、旅行は帰るまで終わらないし、寝てるときは睡眠にもどって来れても目が覚めると一瞬で旅行の続きが始まる これも小説と旅行の違いだなとおもいました(ら)...more1h 11minPlay
February 18, 202561 どうすればよいのか音声は「やや」改善しました。影分身の術、適切な給料、どうすればよかったのか、などについて話しています。・感想や質問:ほぼ来ない。・X水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)m・曲提供(音声やその他宣伝でも可)...more2h 51minPlay
February 11, 202560 楽器としての身体、美容院に行けない、モンゴル旅行2月は短い。・感想や質問:お題も募集中。水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)m・曲提供(音声やその他宣伝でも可)・X...more1h 31minPlay
February 02, 202559 ティファニーってなにゲスト募集。水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)mまた感想や質問もありましたら嬉しいです。・曲提供(音声やその他宣伝でも可)・感想や質問・X...more1h 16minPlay
January 13, 202558 水脈を夢見る feat.にんげんmonukeさんよりご提供の楽曲「harumachi」、「city lights」を使わせていただきました。monukeさんのファーストアルバム「不在」も絶賛リリース中です。ぜひ合わせてお聞きください。水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)mまた感想や質問もありましたら嬉しいです。・曲提供(音声やその他宣伝でも可)・感想や質問・X------------------------------------------------------------------------------------------------------いつもそこに変わらずにいてくれる、とは限らない。どうでも良くなってしまうくらいに、世界はくるくるというか、ぐるぐる回っていて、誰かがまわしたコーヒーカップみたい、それみたいに自分にはコントロールできなくて、めがまわってうごけなくなるようなかんかくになったりする。じぶんがまわしたらきっとめがまわっているじぶんがまわすかぎり、たにんがまわすよりはめがまわらないのだろうか、といまいちな思考実験をしてみても、氷が溶けるみたいに、それは実際はただ単純に寂しいと感情の規定の仕方の云々であって、寂しさの神経物質が分泌されているだけの状況記述で事足りる。三半規管は全く関係がない。目は廻らない、目を回さない。レコードやCDを再生する時に、くるくる回る円盤を目で追わずに、音楽だけを聴くということ。プレイヤーやボーカリストの美醜を目で追わずに、ただ音楽を聴くということ。そんなことを考えているうちに、monukeさんの、「不在」、というアルバムのタイトルについて勝手に思いを幾らか巡らしていた。ボーカロイドの楽曲しかないということから、人間の歌手が「不在」である、という意味もあるかもしれない。誰一人も世界から取りこぼしたりしたくないという、全方位に向けた楽曲であるという意味で、すべての人に向けられているという意味で、対象にしていないリスナーは「不在」である=みんなに聴いてほしい、という意味もあるかもしれない。時代が経っても、この楽曲たちが宅急便の「不在」伝票のように世界に残って欲しい、という意味もあるかもしれない。アルバムのジャケットには、部屋のベランダの写真のようなイラストが白い背景に飾られている。やはり、人がいないという意味を意図しているようにも、そのジャケットから伺えて、でも人がいないというのはどういうことなのだろう。水中喫茶を聴いていると、たまに三人ではなく二人、ごくまれに一人だけで、話されている回がある。その時に、三人ではない、という感じ、不在の感じ、というのが強くする。初めから一人だったらそんな感覚は元からないだろうに、三人での記憶がそういう感覚を惹起する、ということなのかもしれない。これはセンチメンタルといえばそうだけれど、そうではないといえばそうではなくて、単純に身体が反応しているだけで、治る後遺症みたいな感じなのだと思う。と、ここまで書いて、本編と関係のない内容の文章だと思い返してはみて、本編と関係のある文書を書こうとしてみようと思おうと思うけれど、何だか腰が重たい。腰が重たい。自分にはそういう時があって、他の人にもそういう時があるとも思う。文章に義務を背負わせることを良いことだと思わないのである。書きたいことを書けばいいし、読みたいことを読めばいいし、読みたいことがなければ読みたいことを書けばいいと思う。もし自分の中に編集者の自分がいたら、「先生、今回は水中喫茶の概要欄の執筆ですから、ある程度は水中喫茶の本編に絡めた内容でお願い出来ないでしょうか、先生」と執筆者の自分(もう一人の自分)に声をかけるだろう。けれど、monukeさんのアルバムについて何となく書きたい、言い触れたい自分にとって、その編集者の自分の声には耳を塞ぎたくもなる。そういう時は居留守を使うと良くて、編集者の自分を「不在」にするのではなくて、執筆者の自分を「不在」にすればいいと少し思う。いるんだけれどいない、という状態。「先生、先生…?何だ、留守か」と編集者の自分を一時帰宅させること、たまにはそういう日があってもいいと思うし、そういう日がほとんどでもいいかもしれない。とここまで書いて、ここまで書いた文章をここまで消さずにいる理由が必要に思えてくるけれど、その理由を書く理由も必要になるわけだろうか、などと考えると、もう何だかどうでも良くなってしまう。そういえば、学校の先生が「不在」になって、自習の時間になった時に、ある生徒は別の授業で出されたプリントをやっていたり、ある生徒は朝読書で読んだ文庫本を読んでいたり、ある生徒は後ろを向いて話していたり、ある生徒は机に突っ伏して寝たりしていた。統率をとるものがないとそういう状態になるのが常で、今の自分はそういう状態なのかもしれない。無茶苦茶にも振り切れず、理路整然にも踏み切れない。ところで、「不在」という言葉は、どこかでいつか帰ってくるという意味を孕んでいる(はらんでいる)ようにも感じる。外出、に近い意味にすら思えてくる。いつか帰ってくる、ということ。こうやって、よく分からない文章を書いていたとしても、何かに向かって書き進めていることは確かで、きっといつか辿り着くような幻想を覚えながら、文字を打っている。でも、その辿り着きは幻想で、幻想というかまだもう少し遠い未来の話で、戻るべき起点へと戻るのはもう少し先の話なのかもしれない。もう眠たいのでそういう結論にしてしまおうと思うけれど、どうですかね、編集者。もう寝た方が良いです、先生...more1h 7minPlay
January 06, 202557 水脈を離れる feat.にんげんmonukeさんよりご提供の楽曲「FIGURE」、「紅霞」を使わせていただきました。monukeさんのファーストアルバム「不在」も絶賛リリース中です。ぜひ合わせてお聞きください。水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)mまた感想や質問もありましたら嬉しいです。・曲提供(音声やその他宣伝でも可)・感想や質問・X---------------------------------------------かえるさんが病院に内視鏡検査に行った、という話から話は始まった。ネタバレになってしまうけれど、検査の結果、少しポリープ切除をしたみたいだけれど、大きな病気はなくて良かった、なのだけれど、もし大きな病気が見つかったのならかえるさんはどうしていたのだろうと考えてしまう。淡々と話す、ということもあり得そうだ。もちろん、話さないで、別の話をする、ということもあり得そうだ。そもそも水中喫茶の収録を取りやめる、ということももちろんあり得たかもしれない。たまに自分の寿命について考えることがあって、それはつまりあと何年生きられるのだろう、ということ。それはつまりあと何文字言葉を費やすことができるのだろう、ということとも言い換えられるかもしれない。脳は言葉とすごく関係をしていて、これは妄想の話なのだけれど、途轍もなく美しい文章を思いついてしまったら、その文章がWifiのパスワードみたいに脳とどこかを接続させてしまったとしたら、それは素晴らしいのだけれど、一方で、その反対で、すごく悪魔のような文章を思いついてしまったら、脳が自爆するように設計されていたら怖いとも思う。例えば、「お前の膝をIHヒーターに乗せてやる」という文章を思いついて、その文章が脳を自爆させる文章だと、人体に設計されていたとしたら、自分が「お前の膝をIHヒーターに乗せてやる」という文章を思いついたら、自分の脳は自爆するわけだけれど、そんな妄想があったとしても、怖がらずにあらゆる方位の文章を作ろうとすることを続けたいと思う。言ってはいけない言葉はあるけれど、考えてはいけない言葉はない。というのは多分正しくて、やはり言葉は自由ではないけれど、柔軟ではあるべきだと思う。言う言葉は考えた言葉であるべきで、考える言葉は言う言葉であるべきではない。というのはどのくらい正しいだろうか。今回と次回は、にんげん(自分)にとって、考えながら話している箇所が多くあって、考えたことを話している箇所は割と少なかったように思う。特に、介護であったり、安楽死であったり、の話題はセンシティブな話題でもあるし、繋げてしまうとモアセンシティブな話題である(註:本編では別々の話題として話していた)けれど、でも現実的に考えて、自分(にんげん)とかえるさんがその問題に一緒に直面することはなくて、別々の個人としてその問題には直面することにはなるのだろうと思っていて、つまり、それは家族や生命という各個人の問題であるという意味で。それで、その各個人を囲う周囲の人間たちの練習台として、他人がいるのだとも思う。にんげんがかえるさんのお母さんの介護をすることは多分ないし、その逆も多分ないわけで、その時にどうするかを決める練習として他者がいるのかもしれない。関係のない人と関係のないことを話すというのは、意味がないことではないのかもしれない(というまだ減弱した言い方でしか結論できない)。大事な話をする練習として大事じゃない話をする、というのはどれくらい練習になるのだろう。大事な話を大事じゃないように話をする技術、とも言い換えられるのだろうか。つまり、どんな種類の話も同じように話すことが出来たらよいけれど、それは机上の空論なのだろうか。それはつまり冷静でいたいということなのだろうけれど、多分そもそも自分は血糖値が上がりやすいから焦ってしまうと思う。あとオリゴ糖を取りすぎるのは身体には良くないらしいです、人体実験済み。本編で、にんげんはココアを飲みながら収録していたのだけれど(かえるさんは何を飲んでいたのだろう、お湯を飲んでいると前に言ってた記憶がある)、そのココアの中にオリゴ糖をたくさん入れて飲んでいた。でもオリゴ糖は自分の身体には合わなくて、あまり調子が良くなかった。オリゴ糖を入れずにココアを飲んでいたらまた違った言葉を発していたのかもしれない。本編でのにんげんの発言はオリゴ糖が原因であって、自分(にんげん)自身は悪くはないように考えるようにしている。そう考えると少し楽になる。オリゴ糖を入れようと選択したのは自分だから、究極的には自分のせいだけれど、そこの結論に至るまでには「オリゴ糖も悪いよね」という一つのクッションがあるように思う。思うようにしている。にんげんに限らず、人間は身体に抵抗できるほどの意思を持っていなくて、その認識に基づいて身体を環境に追いやることぐらいしか意思にできることは少ないようにも思う。多分、このオリゴ糖を取りすぎた感じは明日も続きそうで、お酒を飲めない自分にとって二日酔いはこんな感じなのだと類推している...more1h 14minPlay
December 29, 202456 予定調整がすべて。水中喫茶では楽曲を募集しております。もしご提供くださる方がいましたら、以下のフォームからお願いいたしますm(_ _)mまた感想や質問もありましたら嬉しいです。・曲提供(音声やその他宣伝でも可)・感想や質問・X・Instagram...more56minPlay