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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第53回目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
カールの帝国は、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約により、東フランク、西フランク、イタリアの3王家に分かれた。
西フランクでは987年にカロリング家が断絶し、諸侯たちによりパリ伯のユーグ=カペーが国王に選ばれ、カペー朝を開いた。しかし、王領はパリ、オルレアンとその周辺にとどまり極めて狭く、諸侯が多数分立していたため王権は弱体であった。
東フランクでは911年にカロリング家が断絶し、有力な諸侯の選挙による王政に移行した。イタリアでは875年にカロリング家が断絶すると、小国家の分立が続いた。
By クロノ教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第53回目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
カールの帝国は、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約により、東フランク、西フランク、イタリアの3王家に分かれた。
西フランクでは987年にカロリング家が断絶し、諸侯たちによりパリ伯のユーグ=カペーが国王に選ばれ、カペー朝を開いた。しかし、王領はパリ、オルレアンとその周辺にとどまり極めて狭く、諸侯が多数分立していたため王権は弱体であった。
東フランクでは911年にカロリング家が断絶し、有力な諸侯の選挙による王政に移行した。イタリアでは875年にカロリング家が断絶すると、小国家の分立が続いた。