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「はぁ!?」
「何ぃや…。」
「ちょ…お前、今なんて言った?」
キャンパス内の休憩所。自販機で飲料を買う相馬の横で長谷部が大きな声を出した。
「…だから、俺ら付き合うことになった。」
手にしていた紙製のカップを思わず落としそうになった長谷部の表情は呆然としたものだった。
「あ…そう…。」
「なにぃや、その気のない返事。」
「よ、良かったな…。」
「あぁ…。」
紙コップに口をつけて長谷部は近くのベンチに腰を掛けた。
「それにしてもいきなりやな。」
「まぁ、タイミングやわ。」
「何やったけ。お前ら高校からやったっけ?」
「…正直いつからあいつのことが気になっとったんか分からんげん。」
長谷部はフッと笑った。
「まぁ良かったいや。お前なら俺は文句言わんわ。」
「はぁ?文句?」
「お前も知っとるやろ。京ちゃんは人気もんや。見た目も性格も可愛い。」
相馬の脳裏に片倉京子の姿が浮かんだ。誰が見ても可愛らしい外見。そして服装も洒落ている。それなのに話しやすい。どう考えても倍率が高い女性だ。
「かくいう俺もファンのひとり。」
知っている。相馬は京子から聞いていた。長谷部に誘われた事があると。そしてキモいと一蹴した事も。
「お前でよかったわ。そこら辺の意識高い系とかオラついたチャラ男とかに持ってかれると、京ちゃんってそっち系なんけ?ってなって俺立ち直れんかったわいや。」
「ほうかね。」
「なんやかんやって言って、あの娘のどっかにはいつもお前の存在があった。」
長谷部のこのセリフに相馬は猛烈に気恥ずかしくなった。
「おめでとさん。」
「あ、あんやと。」
「まぁそれにしても、いつまでたっても『俺そんなんじゃねぇし』とか言って虚勢張って、はっきりせん感じやったお前が何で途端に手のひら返したように、告ったんかね。」
「こんなんでいいんかね。」
「…わからん。」
「なんか長谷部とか香織ちゃんの気持ちを利用しとるみたいで、やっぱり私あれやわ…。」
「…。」
「でもやるしかないもんね。」
「そうやな。」
昨晩のバス停でのやり取りを思い起こした相馬はゆっくりと口を開いた。
「…なんか、急にあいつのこと放したくないって衝動に駆られたんや。」
「何?その臭ぇセリフ。」
「あ?そう?。」
「キモ。相馬、お前ひょっとして自分に酔ったりとかしとる?」
「あ?ほんなことねぇわいや。」
「まさか歌の歌詞とかをそのまんま使って告ったりとかした?」
「ほんなことせんわいや。」
「ほ、ほやな。そんなキモい告り方して京ちゃんOK出したんやったら、俺今度からお前ら見る目変えんといかんくなるしな。」
むず痒そうにした長谷部は自分の首筋を人差し指でカリカリと掻いた。
「長谷部こそどうねん。」
「あ?」
「ほら、岩崎さんのこと。」
「あぁ、今朝メール来た。」
「おっマジで?何やって?」
「何しとるんかって。」
「ふんふん。で?」
「今日は講義がびっしり入っとるから、とっとと学校に行かんなんやって返した。」
「で?」
「それから何のレスもなし。」
「え?ほんでおしまい?」
相馬は頭を抱えた。
「何よ?」
「あのなぁオメェもう少し相手の立場に立てま。」
「は?」
「ちょっと考えれば分かるやろういや。あの娘は今までほとんどだれとも付き合うこと無く大学生活を過ごしてきた。数多の男らがあの娘に告っては散っていった。その娘がある日突然、俺の目の前に居るチャラい感じの男と大学内で二人っきりで話しとる。学内の注目の的になるやろういや。」
「で?」
「あーもう。こう考えることができんがか?レズ疑惑さえある男の匂いがせん女やぞ。っつうことは、あの人は異性との付き合い方を知らん。そんな人にハードルたけぇことを提案すんなって。」
飲料を飲み干した長谷部はなるほどと言った。
「相馬。お前、なんか急に変わったな。」
「え?」
「いままで京ちゃんにグダグダやった童貞君ねんに、俺たち付き合いましたって言った途端、まるで恋の伝道師みたいな感じやな。」
「何ねん。その言い方。感じ悪ぃ。」
「ああわりぃ。別に嫌味で言ったわけじゃないげんて。ただなぁ…。」
「ただ?」
「何かなぁ、正直なところ1ミリも可能性が見いだせんかった岩崎さんとの距離が、トントン拍子に縮まっとるのがちょっと怖くてな…。」
「どいや。あんだけお前本気やって言っとったいや。」
「ああ本気や。」
「ほんならなんで。」
「相馬さぁ…本気やからこそ、こっから本当に一歩踏み出していいんか迷うんやって。」
「って言うと?」
「今になってお前が京ちゃんにウジウジしとったのがよく分かる。相手のことを考えれば考えるほど、本当に俺でいいんかってな。」
「長谷部さ。」
「あん?」
「じゃあ、お前じゃなくてどんな奴なら岩崎さんにぴったりなんや。」
「え?」
「だからお前以外の男であの人に相応しい男っていうのはどんな奴なんや。」
長谷部は黙った。
「言えんやろ。言えんっていうのは想像できんかしたくないかのどっちかや。」
「おめぇ…。」
「多分後者のほうやろ。そりゃあ違うわいや。そんなんただ逃げとるだけじゃいや。」
「逃げる?てめぇ黙って聞いとりゃ好き勝手言いやがって。」
明らかに長谷部の言葉に怒気が含まれていた。
「昨日までの俺がそうやった。」
「は?」
「いつからなんかはよく分からんけど、俺は京子ちゃんに気があった。んで人づてにあの娘も俺のことを気にかけとるって知っとった。けど何の行動もできんかった。ほうや。自分が傷つきたくなかっただけねん。そりゃ傍から見たら俺の告白の成功率は高いんかもしれん。けど万が一ダメやったらって考えると何もできんかった。他人には京子ちゃんには特別な感情は持っとらん、ただの友達やって言っとったけど、んなもん嘘や。いっつもあの娘のこと考えとった。んでもしも俺がはっきりせん間に他の男と...って考えてはつかずはなれずの現状キープ。相手のことを考えるフリして自分のことしか考えとらん最低のやつやった。」
「お前…。」
「そんなこと自分は分かっとった。とっくの昔から俺はご都合主義の最悪な奴やと分かっとった。けどどうしても動けんかった。京子ちゃんよりも自分が大事やった。逃げ続けとった。」
突如として自分の心の中を曝け出した相馬の様子に、長谷部は黙るしか無かった。
「でも逃げ続ける先に何がある?ってこの間気がついた。」
「この間?なんやこの間って。」
「お前とか岩崎さんとかと一緒に蕎麦食って、金沢駅で降ろしてもらったやろ。」
「おう。」
「あの後、京子ちゃんと久しぶりに北高に顔出したんや。」
「北高?」
「ああ。そこで気付かされたんや。」
「え?ちょ意味わからん。」
「逃げるにしてもどこまで逃げたら逃げ切ったことになるか…。それをはっきりさせんと、その場しのぎのことを一生続けることになる。」
「あ、ああ。確かに。」
「俺は自分が傷つきたくないってことから逃げとった。ってことは自分が傷つかんようにするってことが答えや。」
「おい。お前、なんか哲学的やな。」
「そう考えると答えは簡単。今の俺において答えは2つしかない。ひとつは京子ちゃんに思いを告げて何らかの返事を貰う。もうひとつは自分っていう存在をこの世から消し去る。」
「相馬…。」
「でも俺には自分の存在をこの世から消し去る根性なんてない。ほんなら1ミリでも可能性がある方に賭けてみよう。ってな。」
相馬の表情が妙に清々しいことに長谷部は気がついた。
「可能性がある方に賭けるか…。」
「結局人間なんてもんは人のことを考えとるようでそうじゃない。まず自分があってそれから他人や。どんな綺麗事を並べてもそんなもんねんて。誰かのためになんてもんは後付や。」
「確かにな…。俺が岩崎さんのことを思って一歩踏み出さんがも、自分が最悪の状態に陥らんようにって思う気持ちがあっての言い訳ってやつか。」
長谷部は手にしていた空の紙コップを見つめた。
「はっ…。まさか俺がおまえに説教くらうとはな…。」
「長谷部、俺はお前と岩崎さんがうまい具合になって欲しい。」
「え?」
「お前は本気であの娘と一緒になりたいと思っとる。」
「なんでそんなことお前に分かるんや。」
「お前が女にそこまで思いつめるのは初めてみた。思いつめるあまり二の足を踏むっていうのもな。」
「ふっ。」
「頼む。お前しかおらんがや。お前があの娘を受け止めてやれ。」
「お、おお。っつか今日のお前、なんかいつもと違うな。」
「結構マジねんて。」
「なんでお前がマジ?」
「お前がマジやから俺もマジなんや。」
「…なんねん。今日のお前いちいちかっけえセリフ言うな。」
「ほうか?」
「そうやわ。」
「まぁなんかちょっと吹っ切れたんやって。」
「へぇ…。恋ってやっぱり人を変えるんかね。」
「なんじゃそりゃ。長谷部、オメェこそキモいぞ。」
「あぁわりぃ。」
「なあ。」
「あ?」
「多分、岩崎さんはお前の事気にしとるぞ。」
「…。」
「気にしとるからお前にあっちから連絡してきたんや。さっきオレが言ったことも汲んでレスしてやれよ。」
「…わかった。」
「自分って存在を端から消して生きとる奴をこっちに引っ張りだしてやってくれ。」
「はい?」
「いいから。」
そう言うと相馬は長谷部に今この場で岩崎に連絡を取るよう命令した。