仏教の教えでは、亡くなった人は皆三途の川を渡るそうです。しかし、生前の行いの良し悪しで、スタート地点が違うのだとか。
善いことをした人の前には橋が架かっており、逆に悪いことをした人は濁流の中を泳いで渡らなければなりません。
向こう岸には謎の老夫婦が待っており、川を渡るときに身につけていた衣服の重さが罪の重さとされるそうです。衣が水を吸って重たくなってしまいますと、すなわち極悪人と判じられるわけですね。ここでひとつ思うわけですが、この過程は必要なんでしょうかね。スタートラインが違うならもう閻魔裁判直行でいいような気がします。
一休さんなら濡れずに渡るのでしょうか。
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