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#72 ひとこと妄想サスペンス


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瀬川健治の手は、段ボールとの摩擦で真っ赤に腫れ上がっていた。 このスーパーで棚卸しをするのもかれこれ2年目。実家で育てたオクラやアスパラガスを、店長の三笠に気に入ってもらったことが始まりだった。 妻のカフェ経営が早々に頓挫し、瀬川家は莫大な借金を背負った。泣いて詫びる妻を連れ、家族4人は健治の生まれ故郷である福岡に帰った。実家は健治の両親が営む零細農家である。 「今日日アスパラなんて、誰も食わねぇよ」 そう言って東京に飛び出すようにして地元を離れてから、今まで数えるほどしか顔を見せていなかった。そんな健治を、頭の毛が薄くなった父・大治郎は何も言わずに受け入れてくれた。その晩、健治は久方ぶりに両親と食卓を囲んだ。下の娘である彩香は、食卓に上ったアスパラガスを残したまま、 「草の味がする。まずい」 と言い捨て、2階へと姿を消した。 柔らかいホワイトアスパラガスが注目を集める昨今、あくまでも夏野菜としてこだわったグリーンアスパラガスは、その生育環境とは裏腹に日の目を見ない。しかし瀬川家で育ったアスパラは、軽やかな歯応えと瑞々しさにおいて、他の畑で育ったものと比肩しても劣らない品質を誇っていた。 「このアスパラが冬に食べられたらなぁ。あたし前に勉強したんだけど、冬はビタミンCが不足しやすいんだって」 妻・雅奈恵のひとり言を耳にした健治は、冬でも食べられるグリーンアスパラガスの開発に着手した。 グリーンアスパラガスの苗は、商品として生育するまでに早くても3年の月日を要する。1年目はまだ芽が細いため、育苗させるためにも収穫を見送る。やがてその茎が枯れる頃に年が明け、2年目は株を肥やすために、3度の追肥を行う。途中で折れてしまわないように支柱を添え、間引きをすることで見込みのある株を太らせる。この手間をかけ、選ばれた苗は、ようやく3年目にして誉高く天を見据え、収穫の時を待つのである。 またグリーンアスパラガスの生育は、日照時間と密接な関わりがある。健治は新たにビニールハウスを設け、露地で育てた春芽を移し、夏芽を10月まで適温で育てる二重栽培農法を考案し、試作を繰り返した。そして7年の歳月を掛け、瀬川農地特産、冬を旬としたグリーンアスパラガス、「風雪天」が誕生した。 「冬にアスパラねぇ。おもしろいね」 生産コストをかけた「風雪天」は、一般的な価格帯よりも割高である。多くの商店がまともに取り合わないなか、スーパーダイハチの三笠店長が気に入ってくれた。 「キミ、大治郎さんとこの息子さんでしょ?」 商談が全て終わったあと、踵を返した健治の背中に向かって三笠が言った。 健治は1株5本でまとめられた「風雪天」が梱包された段ボールを、スーパーダイハチの倉庫へと卸していく。毎週月曜日と木曜日が納品日で、軽トラで運搬するのが常であるが、今日は土曜日だ。イレギュラーな納品ということもあって雅奈恵に手伝いを頼んだ時、娘の彩香が 「私がついていってあげる」 と言った。予想外の申し出に健治は戸惑ったが、結局棚卸しには彩香が同行した。 助手席に彩香を乗せ、ダイハチへと向かう道中、車内は無言だった。 ひと通りの積み下ろしを終え、健治は気をきかせようと 「せっかく来たんだし、なんか買ってくか?」 と彩香に声をかけた。 「お菓子でもなんでも買っていいぞ」 「もうそんな子どもじゃないし」 と彩香は言いながらひとりで店内に入っていった。思えば引っ越してから、まともに家族を遊びに連れていったことはなかった。 ふと「風雪天」の売れ行きが気になった健治は、彩香の姿が店内に消えていくのを見送ったあと、生鮮食品売り場の前に足を運んだ。実際に店頭に並ぶ「風雪天」の姿を、一目見ておきたかったのだ。彩り豊かな大根、白葱、ビニール詰めされた葉物の野菜。それらが立ち並ぶ冷蔵ケースの一角に、アスパラガスが束になって売られている。そこには、自然のエネルギーを一身に受け、青々と煌めき立つ真っ直ぐな「風雪天」が並んでいる、はずだった。 そこにあったのは、「風雪天」を隅に追いやるようにして幅をとっている、1束96円の、色の燻んだアスパラガスの姿であった。「風雪天」よりもいくばくか小ぶりで、見るからに覇気もない出立ちのそれらは、黄色い紙切れに「大特価!!」と書かれたポップとともに、大々的に売り出されていた。絶句した健治はそのアスパラガスのようなものを手に取った。 「聞いてないぞ。なんでここに他社の…」 根本を束ねるシールには、無機質なフォントで刻まれた、「ミャンマー産」の文字があった。 突如、健治の背後から腕が伸びてきた。 「すいません、邪魔なんですけど」 不躾に言い放ったのは、買い物かごを腕にかけた、年配の女性であった。 「ああ、すみません」 場所を譲った健治に女性は怪訝な眼差しを向け、それからケースの商品に目線を戻した。そして彼女は一切の躊躇もなくミャンマー産のアスパラガスを2束手に取り、かごに入れて立ち去った。 その場に取り残された健治は、ただ茫然自失とし、怒りとも悲しみともつかない声を押し殺しながら、独りごちた。 「ミャンマー…」


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