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#78「光は速いか」


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※このコンテンツは jazzywada が書いたメルマガ記事を NotebookLM で処理、出力したものです。

※AI特有の誤読等たくさんありますがご容赦ください。

元ネタは https://jazzywada.blog.jp/archives/1085541381.html

2002年末のブロードバンド黎明期に配信されたメールマガジンの内容を記録したものです。筆者はダイヤルアップ接続から、当時の最新技術であった光ファイバー回線へ移行する過程を、専門的な知識とユーモアを交えて綴っています。特に変動IP環境下での自宅サーバー構築という技術的な挑戦や、電力会社との交渉の様子が具体的に描かれています。また、当時のインフラ事情やオーディオ機器の話題も含まれており、当時のデジタルライフの一端を伺い知ることができます。全体を通して、技術革新に対する個人の好奇心と試行錯誤が生き生きと表現された、歴史的価値のある記録となっています。

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2002年のネット接続は「戦い」だった。光ファイバー黎明期のある技術者の記録から学ぶ、驚きの4つの事実

インターネットが常時接続されていない世界を想像できますか?接続するたびに、電話線から「ピーーギャギャギャーー」というけたたましい音が鳴り響く。今や空気のように存在するネット接続が、かつては一つの一大イベントだった時代がありました。

最近、私は2002年12月に書かれた、ある技術者の個人的なメールマガジンを発見しました。それは、日本のインターネットがダイヤルアップからブロードバンドへと移行する「黎明期」の空気感を、生々しく真空パックしたタイムカプセルのような記録でした。そこには、現代の私たちが忘れかけている情熱と創意工夫、そして数々の「壁」との戦いが記されていました。この記事では、その貴重な記録から読み解くことができる、最も驚くべき4つの事実をご紹介します。

2002年当時、この記録の筆者はまだダイヤルアップ接続を利用していました。接続のたびにモデムが発する、あの象徴的な音。筆者はそれを次のように表現しています。

ピーーギャギャギャーー

もちろん、筆者もブロードバンド化を試みていなかったわけではありません。しかし、そこには現代では考えられないような物理的な制約が立ちはだかりました。まずISDNは、導入すると「電話番号が変わる」という理由で家族から猛反対を受け断念。次に登場したADSLは、自宅が「電話局の局舎から遠い」という物理的な距離が原因でサービスエリア外となり、契約すらできませんでした。

今でこそ、どこに住んでいても高速なネット回線を選べるのが当たり前ですが、当時は住んでいる場所、インフラとの物理的な距離が、デジタル世界へのアクセスを阻む大きな「壁」だったのです。この感覚は、現代を生きる私たちにとっては非常に異質なものに感じられます。

ADSLを断念した筆者のもとに、ついに「光ファイバー」がやってきます。これで長年の夢だった「常時接続」が実現する。筆者の興奮は「サーバを立てねば」という一言に表れています。しかし、ここにも当時の技術者たちを悩ませた大きな壁が存在しました。

それは、個人向けのブロードバンドサービスでは「固定IPアドレス」が提供されないという問題です。IPアドレスとは、インターネット上の住所のようなもの。しかし当時のサービスでは、この住所が「接続の都度変動する」動的なものでした。

サーバーを外部に公開するには、ドメイン名(例:example.com)とIPアドレスが世界中で一対一に対応している必要があります。IPアドレスが頻繁に変わってしまうと、ドメイン名が正しいサーバーを指し示すことができなくなってしまうのです。ソースによれば、当時のプロバイダはIPアドレスの不足から、ユーザー数の3分の2程度のアドレスを用意し、それを使い回していたとのこと。この「IPアドレス不足」は、2000年代初頭の日本のインターネットが抱えていた、非常に深刻な課題でした。

しかし、技術的な制約があるなら、それを乗り越える方法を探すのが初期のインターネット開拓者たちの精神でした。筆者は、この変動IPアドレス問題を解決するための、実にクレバーな回避策を発見します。

その仕組みはこうです。自宅のIPアドレスが変わるたびに、その新しいIPアドレスを自動的にDNSサーバー(ドメイン名とIPアドレスを紐付ける役割を持つサーバー)へ通知してくれるソフトウェアを導入するのです。これにより、IPアドレスがどれだけ変わろうとも、ドメイン名は常に正しい自宅サーバーを指し示し続けることができます。

筆者が実際に使用したクライアントソフトの名前は「Dice for Windows」。彼はこの仕組みを、電力会社の担当者との交渉の場で、自身が取得したドメイン「fleaheart.ddo.jp」を使って実際に動かしてみせるのです。これは、提供されるサービスに甘んじるのではなく、自らの手で課題を解決しようとする、当時のユーザーが持っていた積極的な「ハッカー精神」の素晴らしい一例と言えるでしょう。

この記録で最も人間味あふれるのが、サービス提供者とのやり取りです。筆者は、自宅を訪れた電力会社の「若いハンサム」な担当者に対し、前述の変動IPアドレスでサーバーを動かす方法を実演しながら、それが規約違反にならないか、「サーバを立てることに約款上問題ありや」と単刀直入に尋ねます。

これは単なる申し込み手続きではありません。ユーザーと事業者が技術的な詳細について真剣に議論する「交渉」でした。担当者は誠実に対応し、その場で会社に問い合わせた上で、「一月のデータ伝送量制限(筆者のプランでは150GByte)を超えなければ問題ない」という正式な回答を引き出します。その真摯な姿勢は、「一旦は,はっきり返事ができるまでは契約書をお預けにさせて貰いたい」とまで申し出たほどでした。契約を逃すリスクを負ってでも、正確な回答をしようとする。そこには、ビジネスライクな関係を超えた、技術者同士の対話がありました。

そして物語には、ユーモラスなオチがつきます。この濃密な交渉の一部始終を、後日とある飲み屋で話していたところ、隣の席に座っていたのが、なんと競合他社であるNTTの職員だったのです。筆者は「バツが悪いやら、恥ずかしいやら」と綴っています。このエピソードは、ユーザーと提供者の関係が深く個人的かつ技術的であった時代のこと、そして当時の熾烈な競争環境が、こんな日常の社交場にまで及んでいたことを示す、魅力的なワンシーンです。

2002年のこのメールマガジンは、単なる技術ログではありません。それは、ブロードバンド黎明期を生きた人々の情熱、創意工夫、そして乗り越えるべき課題を鮮やかに切り取った、歴史のスナップショットです。彼らは、物理的な制約や事業者が設けた壁に屈することなく、知識とハッカー精神で自らのデジタル環境を切り拓いていきました。

AIをはじめとする新たなテクノロジーが次々と登場する現代。私たちは今、どのような「壁」に直面しているのでしょうか。そして、次世代の開拓者たちは、それを乗り越えるためにどのような独創的な「回避策」を生み出していくのでしょうか。この20年前の記録は、私たちにそんな未来を想像させてくれます。

1. 「ピーーギャギャギャーー」という音:インターネット接続が物理的な制約との戦いだった時代2. 「常時接続」の夢と「固定IPアドレス」という大きな壁3. ハッカー精神の勝利:変動IPでも自宅サーバを動かす「魔法のソフトウェア」4. 契約は真剣勝負:担当者との技術交渉と、気まずい酒場の夜

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