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「花火はどうだった。鍋島。」
「あ?」
「お前が思ったような花火が見れたか。」
「…ああ。多分な。」
「はっ…多分…。こっちは思ったようなもんじゃなかったんだ。」
「そいつは残念だったな。」
電話の向こう側が沈黙した。
「ふっ…。」
「ここでもヘマしたか。」
「なに言ってんだ俺はあんたの指示通りにやった。結果これだ。今回の仕事で俺に非はない。」
「…代役を立てる。」
この言葉を受けて鍋島はため息をついた。
「…じゃあこれでおさらばだな。」
「…しかし…つくづく残念だ。」
「何言ってんだ。そっちから手切れだろ。言えた義理か。」
「不思議だな…。お前がこれからどう動くかなんて、俺は知りたくもないし知る必要もない。だが…。」
「なんだよ。」
「事ここに及んで、何故か躊躇う自分がいる。」
「はっ…なに言ってんだ。」
ハンドルを握る鍋島は失笑した。
「そんなセンチなこと言っても、あんたひとりの意志でどうこうなる話じゃないだろ。」
「…まあな。」
「まぁ…あんたにはさんざん世話になった。下間さん。あんただけには最後に礼を言わないとな。」
「礼?」
「ああ。人間苦境に立った時、結局は金なんだ。その金を融通してくれたのはどういう理由があれあんただ。」
「…。」
「友情とか、絆とか、連帯とか、繋がりとか人は口々にこう言う。その関係性は何者にも代えがたい尊いものだ、金に変えられるものじゃないとな。しかしどうだろう。人間は生まれながらにそんなに善良な生き物だろうか。」
「どうかな…。」
「いや違う。人間なんて生き物はそんな高尚なもんじゃない。当時俺はとにかく金が欲しかった。母親が故郷に帰ってからというもの、俺は爺さんと婆さんもろともここ日本に取り残された。爺さんも婆さんもカネがない。俺はまだ未成年のの坊やだ。そんな中で必要なのは一にも二にも金だ。何とかして食っていかないといけない。この状況下でで友情なんて何の役にも立たない。過去の絆なんてもんはこの日本において単なる障害でしか無い。連帯しようにももたざるもの同士が連帯して、生活が改善するはずもない。そこで生まれる繋がりなんてもんはクソだ。金が必要だったんだ。それが唯一の俺らに対する救済の方法だった。」
「…。」
「俺はとにかく金が欲しかった。それを用立ててくれたのは高校時代のあいつらじゃない。あんただ。」
「そうか…。」
「ああそうだ。金は世の中の大体の問題を解決してくれる。俺が北高で勉強をして剣道で高校総体で優勝出来たのも別にあいつらの存在があったからじゃない。あんたからの金の融通で、金に困ることが一応無くなったからそっちに力を向けることができた。」
「…今度はお前がいつになく雄弁だな。」
「生まれ育った環境が違えど自分らと同じ日本人。だからできるだけ支える。なんて甘美な言葉をあいつらは投げかけるが、それは俺には全く響かなかった。むしろそんな言葉を何の抵抗もなく言える人間の背景には、自分は金は出したくありませんというのが透けて見える。金は出さないが口は出す。まったく迷惑千万だったよ。俺はここにあいつらとの決定的な壁を感じた。」
「だが…一色はいじめに合うお前を身を挺してかばったと聞く。」
「ふっ…それも要はあいつが金を俺に払いたくなかっただけのこと。」
「…そんなもんだろうか。」
「そんなもんさ。口だけだよ。俺は別にいじめなんかなんとも思っていない。そんなもんだと思っていた。どこに行ってもそうだったからな。」
「そうか。」
「もしもあいつが本当に俺のことを思っているとしたら、金銭の提供という物理的救済の方法もとってしかるべきだと思わないか。」
「まあ…。」
「俺は一応あんたには世話になったと思ってる。だからあんたの指示は一通り聞いてきた。革命ってもんに疑問しか持っていないにも関わらず、あんたの言うとおり軍事関係の知識を習得し、然るべく時に少しでも力になろうとしてきた。」
「…そうだったな。」
「あのクソみたいな高校を卒業をして何年か経った時、どこでどう歯車が狂ったか村上が仁熊会と接点を持ち、俺に接してきた。俺は金こそが全て、残留孤児の経済的支援だけが問題の解決に繋がるとあいつに説いた。しかしあいつは、この期に及んで友情とか絆っていう俺が最も忌み嫌うもんを持って、経済的自立を支援する枠組みを作りたいとか馬鹿なことを言ってきやがった。あくまでも自分の力で立ち上がる。その手伝いをする枠組みを政治家になって作り上げたいとかな。」
「それは俺も人づてに聞いたことがある。」
「だからそうじゃねぇんだよ。現実を見てみろよ。スタートからハンデ背負ってる奴らになに期待してんだってんだ。マイナスをゼロするだけでも、とてつもないエネルギーが必要だってのに、それをさらにプラスにしろ?冗談じゃない。それに世の中不景気ときたもんだ。ハンデのないやつでさえ、サラリーマンやっていつ首が来られるか分からないってビクビクしている中で、経済的に底辺でもがき苦しんでいる人間がどうやって人生逆転できんだってんだ。」
今まで淡々としか話さなかった鍋島の言葉に感情がふんだんに盛り込まれていた。
「そりゃ失うものは何もないから何でもできるとかっていう考えはある。だがそこでしくじったらどうなるんだ?首つるしかねぇだろ。」
「確かにお前の言う通りだ。」
「現状を正しく認識することもできず、絆とか友情っていう無味乾燥な言葉を口にだす奴が俺は許せなかった。事実俺だってラッキーなだけだった。この妙な力のお陰で、あんたっていう人間から投資を引き出すことができたんだからな。これぐらいとんでもない能力でもない限りこの世界で普通に生きていくなんてありえない。だから俺は村上には現実を見て目を覚まして欲しかった。」
「投資か…。」
「村上はあまちゃんな事を言うが、一応俺にとっては残留孤児の待遇改善の一縷の望み。あいつには本当の救済を行ってくれる存在になってもらうように一応意図を汲んで行動した。本多の下でトントン拍子に出世して世の中を変える存在に一刻も早くなって欲しいという願いを込めてな。しかし赤松の親父の件があってあいつは変わった。」
「村上はお前に自首を促してきた。」
「ああ。だから俺はあいつを回収不能先と見て買収の方向で動いた。」
「それが特殊能力を使った、あいつの洗脳ってことか。」
内灘海岸に車を止めた鍋島はニット帽を脱ぎ、頭に浮かぶ汗を拭った。
「はぁ…つい感情的になってしまったな。」
「お前らしからぬ言葉だった。」
「あんたぐらいなんだよ。俺の本音をぶつけられたのは。」
「ぶつけられた…。か…。」
「まぁ代役を立てられるってことは、俺もそろそろ詰みってことか。」
下間は何も言わない。
「今までありがとよ下間さん。」
「鍋島…。」
「じゃあな。」
そう言って鍋島は電話を切った。
「さてと…。」
ニット帽をかぶり直した鍋島はタブレット端末を起動した。
ー佐竹と赤松は熨子山の墓地で警察と接触。警察は俺の動向を伺っている。
タブレットには店で勤務する久美子の姿が映しだされていた。
ーさて…あいつらはどう来るか…。こちらから動くのも良いが、できればあっちから動くほうが面白い。あいつらがどう考え、どういう手を打ってくるかを試すか。
彼は映しだされる久美子の姿を見ながら、自身の爪を噛み始めた。
ーここはひとつ久美子に慰めてもらって、あいつらの動きを見るか。
そう言うと鍋島はタブレットの電源を切り、車から降りた。そして彼は下間との連絡に使用していた携帯電話を眼前の日本海めがけて投げた。
「まぁ…俺は俺で楽しませてもらうさ。」
彼は辺りを見回した。一組の家族の姿が彼の目に映った。父親と思われる男が少年と一緒に海岸線をはしゃぎながら走る。それを浜にすわり微笑ましく眺める妻と思召しき女性。サングラスをかけているはずなのに、その姿は彼にとって眩く映った。
「あばよ。」
こう言って海を背にして車に乗り込んだ時である。声が聞こえた。
「ねえねえ!!」
「あ?」
窓の外を見ると先ほどの少年がこちらに向かって走って来ていた。
砂に足を取られながらも必死に走ってきた彼の手には投げ捨てたはずの携帯電話があった。
「これ、駄目やよ。」
「あ?」
「勝手に海に捨てたら駄目やよ。」
そう言って少年は塩水と砂でまみれた携帯電話を鍋島に差し出した。
「ほら見てま。」
少年は砂浜を指差した。そこには打ち上げられたゴミが散乱している光景があった。
「ゴミいっぱいになるの嫌やろ。ほやからちゃんと持って帰って。」
「あ…ああ…。」
「じゃあ、はい。」
少年は鍋島に携帯を受け取るよう催促した。
鍋島は止む無くそれを受け取った。
「ゴミ。無くそうね。」
「…そうだな…。」
「じゃあね。おじさん。」
「ああ…。」
少年は踵を返して遠くで心配そうな目で見つめる親の下へ走りだした。
「あ…おい!!」
「え?」
少年は振り返った。
「お前、これお父さんとお母さんに言われて来たのか?」
「ううん。違うよ。」
「じゃあなんで見ず知らずの俺にこんなこと注意したんだ。」
「だって嫌やもん。」
「嫌?」
「おじさんが悪い事するの見るの嫌やったもん。」
鍋島は呆然とした。
「ほんなら僕行ってもいいけ?」
「あ!!ちょっと待て!!」
車の後部座席を弄った鍋島は紙袋を取り出し、その場にかがみこんで少年と目線を合わせた。
「これお前にやるよ。」
「え?」
「いいか。中は開くなよ。黙ってそのままお父さんとお母さんに渡すんだ。」
「でも…知らん人からもの貰ったら駄目って言われとるげん。」
この少年の言葉に鍋島は口元を緩めた。
「これはものじゃない。投資っていうもんだ。だから大丈夫。」
「本当?」
「ああ。本当だ。それにあそこにお父さんもお母さんもいるだろ。俺は知らない人じゃない。」
「でも…。」
「いいから。」
少年は頷いた。
鍋島は少年の小さな頭を乱暴に撫でて車に乗り込んだ。
「どうやった惇。」
「ちゃんと携帯持って帰ったよ。」
「本当か…。お前、人に注意するのも良いんやけど、一応相手みてから行けよー。」
「だって駄目なもんは駄目ってちゃんと言わんといかんってお父さん言っとったがいね。」
「まぁ…。でも大丈夫やったか?サングラスして帽子被って何か怖い感じの人やったけど。」
「別になんともないよ。」
「あれ?惇。何もっとらん?」
「うん…。これ、あのおじさんがお父さんとお母さんに渡してくれって。」
「え…?」
紙袋を受け取った父親は不審そうにそれを眺めた。
「これ…何なん?」
「なんか、トウシとかって言っとったよ。」
「へ?トウシ?」
紙袋を開いた父親は思わずその場で尻餅をついた。
「どうしたん?」
母親が父の元に駆け寄った。
「こ…これ…。」
「え?」
袋の中を覗き込んだ母親もまた、その場に座り込んだ。
「ちょ…惇…これ何ねんて…。」
「え?知らんよ」
「これ…お金やがいや…。」
札束が5つ入った紙袋を抱え震えながら顔を上げた父親は、鍋島の姿を探した。しかし彼の車はこの場から既に消えていた。