小山ナザレン教会

愛の負債はふくれあがる(石田学) – ローマ 13:7–10


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2024年6月16日 三位一体後第3主日

説教題:愛の負債はふくれあがる

聖書:ローマの信徒への手紙 13:7−10、イザヤ書 63:7−9、ヨハネによる福音書 13:34–35、詩編 61

説教者:石田学


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わたしたちは、天の国を目指して地上を旅する神の民です。

天の国はわたしたちの旅の目的地ですが、その途上の旅は現実です。

だから今をどう生きるかは、目指す目的地と同じくらい重要です。

この世で旅人であり寄留者であればこそ、いっそう注意深さが必要です。

わたしたちはこの世の定住者以上に、この世での生活を大切にすべきです。

だが、パウロの時代、この世の生活がいい加減なキリスト者がいました。

だから、「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい」と教え、

さらに八節では「だれに対しても借りがあってはならない」と告げます。

パウロは七節で良い市民として生きるべき具体的な例を挙げています。

「税を納め、関税を納め、恐れを抱き、敬意を払いなさい」と。

わたしたちは自分の死期が迫ると、身辺整理をします。

パウロが言うのはそれに似ていると思います。

だれに対しても借りのないよう、自分の義務を果たして世を旅せよと。

「旅の恥はかき捨て」ではなく「去る鳥後を濁さず」が重要です。

しかし、きれいに世を去る生き方をするだけでは不十分です。

キリスト者は、地上の生活で天の国を表して生きる者だからです。

そこでパウロは、負債(負い目)のないように告げ、一行加えるのです。

  だれに対しても、けっして負債があってはならない。

  互いに愛し合うことを除いて。(直訳)

互いに愛し合うことについてだけは、負債があってよい。

いや、パウロの言い方は「負債があるべきだ」と読めます。

なぜか、それは愛が見返りを求めず返済を期待しないからです。

愛という負債だけは、決して返済することができず、すべきでもない。

だから、愛に関しては借りのままで残る、なければいけない負債です。

わたしたちが受けたキリストの愛がそうではなかったでしょうか。

キリストの愛は返済などできない、無限の負債です。

わたしたちには返済などできないからこそ、感謝がすべてになります。

教会も同様に、愛し合うことを互いに負っています。

この負債こそわたしたちキリスト者がキリスト者であることの証。

互いに愛し合うことで愛の負債はふくれあがり、

わたしたちは互いへの愛に満ち、愛を表して世を旅するのです。

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