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「私は、このままジョージアに定住したいんだっけ?」
標高の高い山の上、「天国に一番近い教会」から絶景を眺めていたとき、ふとそんな問いが浮かんできました。
私の誕生日は8月11日、日本の「山の日」です。40歳を迎えたその夏、すごく安直な発想ですが、どこか山に行きたくなって、コーカサス山脈の麓にある町、カズベキ(ステパンツミンダ)を訪れました。
今回のエピソードでは、40歳という節目に訪れたこの旅と、そこで生まれた心境の変化、そして新しい暮らし方を始める決断までをお話しします。
マルシュルートカの爆走をなんとか生き延びて辿り着いた町では、牛が普通に道を歩いてきて、コテージの窓の向こうにも、ゆっくり牛が通り過ぎていく。名古屋、東京、ロッテルダム、トビリシと、ずっと都会で暮らしてきた私にとっては、まるでリアル・サファリパークのような世界でした。
翌日は、ツミンダ・サメバ教会を目指してトレッキングへ。ところが、Googleマップが示す「近道」は、まさかの藪の中の急斜面。景色を楽しむはずが、気づけばガチの登山になり、「落ちたら死ぬかも」と思いながら、ようやく頂上へ。そこで待っていたのは、今まで見たことのないほどの大絶景でした。
ちょうどその頃、コロナの規制が少しずつ緩和され、世界中で国境が一つ、また一つと開き始めていました。オランダ時代、買い付けでヨーロッパ中を飛び回っていたあの頃の感覚が、急に蘇ってきたんです。
「世界には、私がまだ知らない国が、こんなにたくさんある」
ジョージアでの暮らしは、本当に悪くなかった。でも、「ここが好き」ということと、「ここに一生住みたい」ということは、イコールではなかったんです。
一つの場所に定住することをゴールにするのではなく、いろんな場所を見て、暮らして、その上で「ここだ」と思える場所を探し続ける。
とはいえ、フルリモートで働く私にとって、ただ世界を巡るだけでは納税の問題がついて回ります。日本の住民票を抜くだけでは「非居住者」とは認められない、という意外と知られていない話も交えながら、ジョージアを拠点に1年の半分を過ごし、残りの半年で他の国を巡る「半ノマド生活」にたどり着いた経緯をお話しします。
次回は、半ノマド生活の最初の一歩として、4年ぶりに日本へ一時帰国したときのお話です。名古屋、沖縄、福岡、大阪、京都、東京と、3ヶ月かけて日本国内をノマド的に巡った日々について、お話ししていきます。
ぜひ最後までお聴きください。
「これ、死ぬかもしれない」
コーカサスの山道を爆走するマルシュルートカの中で、本気でそう思った瞬間がありました。
2021年9月、コロナ禍のまっただ中、私はオランダを出て、それまでほとんど知らなかった国、ジョージアへ移住しました。首都トビリシに降り立った瞬間、整った街並みのオランダとはまったく違う、旧ソ連時代の団地や廃墟のような建物が並ぶ景色に、正直「ここに住むのか……」と不安になったのを覚えています。
でも、家探しはたったの2週間。1LDK家具付きで月400ドルと、オランダの家賃の3分の1という価格にも驚きました。
今回のエピソードでは、そんなジョージアでの移住直後の日々についてお話しします。
予告もなく最長26時間続く断水、レジで爆睡するコンビニ店員、1ラリのショティパン。かと思えば、事業登録は数日で完了するのに、黒色のボールペンでサインしたら「コピーと疑われる」という理由で却下される謎ルールも。日本では、コロナで大打撃を受けた実家のカフェと雑貨屋の再建を、LINE電話越しに手伝ってもいました。
クリスマスには、賃貸物件の大家さんから「うちで祝おう」と誘われ、親戚が集まる食卓で、ジョージア流の宴「スプラ」を初体験。そして移住して間もなく訪れた、山岳リゾート「カズベキ」への道中、対向車線に何度もはみ出す運転に、本気で死を覚悟した瞬間の話も。
断水も、停電も、謎の行政ルールも。不便なことはたくさんあったはずなのに、なぜか「こんなにゆるくて良いんだ」という感覚が、日に日に強くなっていきました。
移住して早々、死ぬかと思うくらいの体験もしましたが、それも含めて、ジョージアでの生活は、今までにない新鮮な毎日の始まりでした。
次回は、そんなジョージアでの暮らしにも慣れてきた頃、ふと私の中に芽生え始めたある変化と、そこから下した決断についてお話ししていきます。
ぜひ最後までお聴きください。
「動けないのに、家賃だけ払ってる」。
ある日、家計簿をつけながら、ふとそんな言葉が頭に浮かびました。
買い付けの仕事をコロナで失った私は、ロックダウンの中、久しぶりにWebデザインの仕事に戻ることになります。7年ぶりに触るAdobe、初めて使うFigma、オンラインでの転職活動。慣れないことだらけでしたが、個人事業主として少しずつ仕事も軌道に乗り始めていました。
生活が落ち着いてくると、それまで後回しにしていた「ビザの期限」が目の前に迫ってきます。オランダの個人事業主ビザは2年間。更新すれば、また2年間住み続けることができます。
最初は迷わず更新するつもりでした。せっかく9ヶ月かけて取得したビザだったので。
でも、ロックダウンで外に出られない生活の中、家賃や税金だけは以前とまったく変わらず出ていく現実に直面したとき、「オランダである必要、本当にあるのかな」という思いが浮かんできたんです。
今回のエピソードでは、コロナ禍での急な引っ越し、Webデザイナーとしての再スタート、そしてビザ更新をめぐる心境の変化まで、当時のリアルな日々をお話しします。
「動けない」という現実に向き合う中で、私はふと、以前出会ったある夫婦の話を思い出します。
コーカサス地方にある、黒海に面した小さな国、ジョージア。
PCR検査さえ受ければ隔離なしで入国できるという、当時としては珍しい制度を知り、私の中で何かが動き出しました。
「どこに住みたいか」ではなく、「何がしたいか」。
オランダでの生活に区切りをつけ、ビザを更新せず、まったく知らない国へ向かうことを決めた、あの瞬間のお話です。
次回は、実際にジョージアへ移住してからの、戸惑いだらけの日々についてお話しします。
ぜひ最後までお聴きください。
2019年、オランダに移住し、9ヶ月かけて個人事業主ビザを取得した私。
ようやく「ここに住んでいいんだ」と安心できたところから、オランダでの生活が本当の意味でスタートしました。
今回お話しするのは、私がオランダへ移住して、「来てよかった!」と一番強く感じていた時期のお話です。
それは、オランダを拠点にヨーロッパ各地を巡り、雑貨の買い付けをする仕事。
オランダ国内の蚤の市やセカンドハンドショップを巡るだけでなく、ベルギー、フランス、イギリス、チェコ、ポルトガル、スペイン、オーストリア、そしてモロッコまで、月に一度ほどスーツケースを持って買い付けの旅へ出ていました。
コーヒーカップやお皿、アンティーク小物、ヴィンテージ缶、ヴィンテージ服、ネコの古い絵本など、「自分が好きだと思ったもの」を探して、見つけて、買って、日本のお店へ届ける。
観光旅行とは違う、仕事としてのヨーロッパ旅。
朝から蚤の市やショップを何軒も歩き回り、値段を聞いて、交渉して、商品を買って、気づけばスーツケースはいっぱい。
そんな日々の中で、「好きなことを仕事にする」「住む場所を変えても仕事はできる」「自分で仕事を作ることができる」ということを、私は実際に経験していきました。
ところが、そんな理想の働き方は、突然終わりを迎えることになります。
新型コロナウイルスのパンデミック。
予定していた買い付けの旅は次々とキャンセルされ、オランダでもロックダウンが始まり、蚤の市もショップも閉まり、ヨーロッパを自由に行き来することができなくなってしまいました。
「少し待てば、また行けるようになる」
そう思っていたものの、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても状況は変わらない。
自分が失敗したわけでも、仕事が嫌になったわけでもない。
ただ、世界が変わってしまった。
オランダ移住の大きな理由の一つでもあった、大好きな買い付けの仕事を、私は泣く泣く手放すことになります。
たった1年ほどだったけれど、私の人生にとって大きな意味を持った買い付けの日々。
今回は、そんな「好きなことを仕事にできた1年間」と、それが突然終わってしまったときのリアルをお話しします。
そして、買い付けの仕事を失った私は、ここからどうやってもう一度仕事を立て直していくのか。
さらに、2年間のオランダのビザが近づく中で、「このままオランダに住み続けるのか?」という新たな問いも生まれ始めます。
次の移住先として、私の頭に浮かんだのは、オランダとはまったく違う、ある国でした。
ぜひ最後までお聴きください。
ついにオランダへ出発。
約1年かけて準備を重ね、家族や友人に見送られながら、新しい人生への一歩を踏み出しました。
しかし、オランダに到着したからといって、すぐに「移住」が始まったわけではありませんでした。
今回のエピソードでは、移住前に悩んだ荷造りの話から、空港で感じた家族との別れ、そしてオランダで始まった過酷な家探しまで、当時のリアルな体験をお話しします。
オランダでは住民登録できる物件がなかなか見つからず、ようやく契約した家もまさかの登録不可。振り出しに戻った物件探しの中で、現地ならではの住宅事情や、外国人として暮らし始める難しさを痛感しました。
さらに、すべての申請手続きを終えたあとも、待っていたのは長い「審査中」の日々。
ビザはいつ下りるのか分からないまま、3か月ごとに仮滞在許可を延長し続ける生活。医療保険にも加入できず、病気やケガへの不安、頼れる人がほとんどいない異国での心細さなど、「移住したはずなのに、まだ住めない」という宙ぶらりんな時間を過ごしました。
そしてオランダ到着から9か月後、ようやく届いた一通の手紙。
その封筒を開けた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。
海外移住は、飛行機に乗れば終わりではありません。むしろ、本当のスタートは到着してから。
理想と現実のギャップ、不安と期待が入り混じる9か月間を、ありのままにお話ししています。
次回は、オランダ移住の大きな目的でもあった、ヨーロッパ各地への雑貨の買い付けについてお話しします。オランダだけでなく、ベルギーやフランス、チェコなどを巡りながら続けていた仕事と、その後思いがけず手放すことになった理由についてもお話しする予定です。
オランダへの下見旅を終え、「住めるかも」ではなく「住みたい」という気持ちに変わった私。
今回のエピソードでは、日本へ帰国してから本格的に移住準備を始めた頃のお話をしています。
ビザの情報収集、必要な資金や書類の確認、そして何よりも大きな課題だったのが、名古屋で営んでいた雑貨店「ルリエ」をどうするのかという問題でした。
移住のためには前に進みたい。
でも、大切に育ててきたお店は手放したくない。
そんな葛藤の中で、母にお店を託せるのか、自分は本当に移住する覚悟があるのか、何度も自問自答していました。
そして迎えた、家族へ移住計画を打ち明ける日。
名古屋の喫茶店・コメダ珈琲店で、両親や家族にオランダ移住の意思を伝えたあの日は、今振り返っても人生の大きな転機だったと思います。
さらに、友人や常連さんたちへ少しずつ移住の話を伝え始めたことで、頭の中にあった「夢」が、少しずつ現実へと変わっていきました。
今回のエピソードは、
・オランダ移住のための情報収集
・個人事業主ビザの準備と必要資金
・雑貨店「ルリエ」を母に託す葛藤
・家族へ移住を打ち明けた日のこと
・友人や常連さんたちの反応
・「夢」だった移住が「現実」へ変わっていく感覚
についてお話ししています。
新しい挑戦を前にするとき、多くの人は不安や迷いを抱えると思います。
私自身も、「本当にこれでいいのかな」と何度も立ち止まりました。
それでも、自分の人生を前へ進めるためには、どこかで覚悟を決めなければならない。
そんな「人生が動き始める瞬間」を、今回のエピソードではお届けしています。
✈️ 次回は、いよいよオランダへ渡航。
日本人は取得しやすいと言われるオランダの個人事業主ビザですが、実際には想像以上に大変でした。
オランダ到着からビザ取得まで、なんと9か月。
不安と手探りの日々についてお話しします。
🎧 AMI Radioでは、40代からの海外暮らし、移住、働き方、キャリアチェンジについて、リアルな体験をもとに発信しています。
フォロー・レビューいただけると励みになります。
それではまた次回。 🌷
「海外に住んでみたい」
そう思っていても、本当に暮らせるのかどうかは、実際に行ってみないと分からない。
前回のエピソードでは、名古屋で続けていた雑貨屋とカフェをどうするのか、海外移住への葛藤についてお話ししました。
そして今回は、その答えを探すために実際にオランダへ“下見”に行った時の話です。
今回の旅は、普通の観光旅行とは少し違いました。
テーマは「楽しむ」ではなく、「ここで生活できるか確かめること」。
しかも、私は寒いのが苦手。
だからこそ、あえて冬のオランダを選びました。
「冬を越せるなら、夏は絶対好きなはず」
そんな考えで、アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグ、ユトレヒトの4都市に、それぞれ2週間ずつ滞在。
観光地を巡るというより、スーパーへ行き、トラムに乗り、街を歩きながら、“暮らし”を想像する2ヶ月でした。
そして、この旅をきっかけに、私たち夫婦の人生も大きく動き始めます。
会社員だった夫が、海外でも働けるように個人事業へ切り替える決断をしたり、
私もお店を家族に任せる準備を始めたり。
気づけば、「いつか移住できたらいいな」という曖昧な夢が、少しずつ現実になり始めていました。
ロッテルダムでは、想像以上にスタイリッシュで住みやすそうな街並みに驚き、
アムステルダムでは、まさかのぎっくり腰で1週間引きこもり。
デン・ハーグでは、落ち着いた空気と優しい人たちに癒され、
ユトレヒトでは、ミッフィーの信号機に誰も反応していないことに衝撃を受けたり(笑)。
そんな2ヶ月を過ごす中で、気持ちにも大きな変化がありました。
最初は「この国で生活できるかな?」という確認作業だったのに、
いつの間にか、「帰りたくない」「もっとここにいたい」と思うようになっていたんです。
“住める”と“住みたい”は、全然違う。
今回のエピソードでは、そんな感覚の変化について、リアルにお話ししています。
次回は、日本帰国後に本格的に始まったオランダ移住準備編。
ビザ、お金、お店の運営、周囲の反応など、より現実的な話をしていこうと思います。
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AMI Radioでは、40代からの海外暮らしやキャリアの変化について、等身大でお話ししています。
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オランダ移住という選択肢が現実的に見えてきたとき、私が直面したのは「夢」ではなく、とてもシンプルで重たい現実でした。
それは、「今やっている仕事をどうするのか」という問題です。
当時の私は、名古屋で雑貨屋とカフェを経営していました。
カフェは家族に任せられるとしても、雑貨屋は完全に自分一人で回している状態。
つまり、海外に行く=お店を辞める、という構図でした。
ビジネスとして考えれば、辞めるのが一番合理的だったと思います。
規模的にも売却できるようなものではなく、続けること自体が簡単ではない状況。
それでも、「辞める」という選択を考えた瞬間に、強い違和感がありました。
それは、単なる仕事ではなく、これまで積み上げてきた時間や人とのつながり、自分にとっての“居場所”だったからです。
お客さんというよりも、友達のような関係性。
モノを売る場所というより、人が集まり、つながる場所。
一方で、海外に行きたいという気持ちも、消えるどころかどんどん強くなっていきます。
どちらも本音で、どちらも手放したくない。
その矛盾の中で、ずっと答えが出せずにいました。
「そもそも、なんで海外に行きたいのか?」
そう自分に問い続けても、明確な答えは出てきません。
ただひとつ言えるのは、海外で見てきたもの、感じたカルチャー、
それを今のお店で伝えていきたいという気持ちが根底にあったこと。
つまり、海外に行きたい理由も、結局は「お店を続けたい」から。
それに気づいたとき、この問題のややこしさを改めて実感しました。
両立できる方法はないのか。
そんな中で思いついたのが、家族にお店を引き継いでもらうという選択肢でした。
現実的には成立しそうな案。
一度は「これでいけるかも」と思います。
でもすぐに、不安が押し寄せてきます。
もしうまくいかなかったら?
お客さんが離れてしまったら?
責任は誰が取るのか?
考えれば考えるほど、また振り出しに戻る。
行くべきか、やめるべきか。
毎日同じことを考え続けて、答えが出ないまま時間だけが過ぎていきました。
そんな中で、ひとつの気づきがありました。
「全部を今、決めようとしている」こと自体が、苦しさの原因だったということ。
移住するかしないか、ではなく、
まずは実際に行ってみるという選択もある。
1〜2ヶ月だけ現地で生活してみて、そこから考える。
そう思えたことで、少しだけ気持ちが軽くなりました。
完璧な答えは出ていないけれど、
“とりあえず一歩進む”という選択ができた瞬間でした。
次回は、実際にオランダへ下見に行ってみた時のリアルな体験についてお話しします。
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AMI Radioでは、40代からの海外暮らしのリアルやキャリアの変化について、等身大でお届けしています。
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今回は、海外移住を現実的に考え始めた私が、数ある国の中から「なぜオランダを選んだのか」についてお話ししています。
30代で雑貨屋とカフェを運営していた頃、ベルリンやラトビア、リトアニアへ買い付けに行き、現地で“暮らすように旅する”体験を重ねていく中で、海外はただの旅行先ではなく、「仕事の場」として意識するようになりました。
ベルリンではオーガニックやサステナブルな思想が当たり前に根付いていることに衝撃を受け、その空気感ごと日本に持ち帰りたいと思い「ベルリンフェス」を開催。ラトビアやリトアニアでは、編み物文化やリネンに魅了され、「ニッティングフェス」やオリジナルの服作りなど、現地で得たインスピレーションを形にしていきました。
そうした経験を通して芽生えたのが、「もっと深く海外と関わりたい」という気持ち。そしてもう一つ、「海外に出たい日本人アーティストの橋渡しがしたい」という想いでした。日本の作り手のクオリティの高さは海外でも十分通用するのに、機会が少ない。その状況に強いもどかしさを感じていました。
そんな中、友人の何気ない一言から「オランダ」という選択肢が浮かび上がります。日本人が比較的取得しやすい個人事業主ビザの存在を知り、「海外移住=特別な人のもの」というイメージが大きく崩れました。
そこからドイツやカナダと比較しながら、「自分がやりたいこと」と「現実的に実現できる条件」をすり合わせていくプロセスへ。好きな国であるドイツはビザや言語のハードルが高く、カナダは制度的には現実的でも、自分の仕事や興味の軸とは少しズレがありました。
最終的に残ったのが、オランダ。
ビザの取りやすさ、ヨーロッパの中心という立地、英語が通じる環境。そして意外と大きかったのが、「寒さがまだ耐えられそう」という、とても現実的な理由でした。
理想だけでも、条件だけでもなく、その間をとった“ちょうどいい場所”。それが私にとってのオランダでした。
この回では、「どこに住みたいか」ではなく「どこなら自分が生きていけるか」という視点に変わっていった過程をお話ししています。
次回は、そんな移住の決断の裏側にあった「葛藤」について。前向きに見えていた選択の中で、実際にはどんな迷いや不安があったのか、リアルにお話ししていきます。
今回は、私が「海外移住って、もしかしたら現実的かもしれない」と感じ始めたきっかけについてお話ししています。
もともと私は、「海外で暮らすなんて一部の人だけの話」と思っていました。英語ができる人、外資系で働いている人、もともと海外志向が強い人。自分はそういうタイプではないし、日本で働きながら海外に住むなんて、現実的な選択肢として考えたこともありませんでした。
そんな私の考えが少しずつ変わっていったのが、30代で雑貨屋とカフェを経営していた頃。仕入れのために訪れたロンドンやベルリンで、初めて「現地で暮らすように滞在する」体験をしました。
最初に利用した民泊ではかなりハードな経験もありましたが、その後に泊まった一軒貸切の滞在では、現地のスーパーで食材を買って料理をしたり、日常生活に入り込むような感覚を味わうことができました。観光とは違う、“生活する視点”での海外体験が、とても心地よかったのを覚えています。
さらに、イベントで出会ったドイツ在住のミュージシャンや、カナダの永住権を取得した知人との会話を通して、「海外で暮らす人=特別な人」というイメージが崩れていきました。自分が思っていたよりも、海外で生きている人たちはもっと多様で、もっと現実的な存在だったのです。
もちろん、簡単なことばかりではありませんし、不安もたくさんありました。でも、「絶対に無理」だと思っていたものが、「もしかしたらできるかも」に変わった瞬間が、確かにありました。
この回では、そんな小さな気づきの積み重ねが、どのようにして移住という選択肢につながっていったのか、そのプロセスを振り返っています。
これから海外移住や長期滞在を考えている方にとって、「遠い話」だったものが少しだけ近づくきっかけになれば嬉しいです。
次回は、実際に移住を決断するまでの葛藤や、移住先をどのように選んだのかについてお話しします。
フォローしていただけると励みになります。
それではまた次回。
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