2023年7月2日 三位一体後第4主日
聖書:アモス書8:4−14、ヘブライ人への手紙 4:8−11、マタイによる福音書6:10、詩編148
説教題:安息日はいつ終わる?
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
聖書が語る安息日という7日に1度の休みは、現代社会が声高に叫ぶこのような声とはまったく違う方向を向いています。ヘブライ語ではシャバット。「止まる」「停止する」という意味です。神は安息日という日を通して、すべての人に立ち止まるようにと招いています。
立ち止まることを通して、イスラエルの民はふたつのことを思い起こしました。ひとつは、人間が神に造られ、いのちを与えられていることです。神がこの世界のすべてを喜び、その素晴らしさを味わったように、わたしたち人間にも神の創造のわざをいのちに溢れるこの世界を、自分自身の存在を喜び、味わってほしいと願ったから、神は7日目に立ち止まることを安息日を通して提案しました。
イスラエルの民が立ち止まることを通して思い起こしたもうひとつのことは、あらゆる人間が、誰一人欠けることなく平等であることです。社会的立場や性別や仕事の内容にかかわらず、あらゆる人々が平等に立ち止まる日が安息日でした。この日は、あらゆる搾取から誰もが解放されて、すべての人の尊厳の回復が目指されるべき日でした。
そう考えると、「安息日はいつ終わるのか」(5節)という商売人たちの言葉には衝撃を受けてしまいます。安息日が早く終わって、早く自分の仕事に戻りたいと願っている彼らの動機はたくさんの人々に仕えて、多くの人の喜びをこの世界にもたらしたいといったものではありませんでした。その大きな動機は、弱い人々から更に搾取したいというものでした。「安息日はいつ終わるのか?」と問いかけた彼らは、安息日が終わって、また再び、搾取や不正をすることが当たり前の日常に早く戻りたいと願っていました。安息日に休み、神を礼拝していたとしても、この日に思い起こすべき神の思いに耳を傾けずにいたのが彼らの現実でした。
ヘブライ人への手紙は、わたしたちは信仰の旅路において、安息日の休みの終わりではなく、その始まりに向かっていると伝えています(4:9)。著者が語るのは、7日ごとの安息日のことではありません。わたしたちの信仰の旅路の終わりに訪れる、神のもとで安息する日です。天の御国においてこそ、神に与えられたいのちをお互いに心から喜ぶ日が訪れ、天の御国においてこそ、この社会で苦しんだ搾取や不平等は過ぎ去り、お互いに対等な存在としてすべての人と出会えるとわたしたちは信じています。だからわたしたちはこの安息日の訪れを目指して歩み続けます。神の思いが天でなされるように、地にも実現するようにと祈りながら(マタイ6:10)。