小山ナザレン教会

安息を生み出すリズム(稲葉基嗣) – ヨハネ 5:9b–18


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2024年8月4日 三位一体後第10主日

説教題:安息を生み出すリズム

聖書:ヨハネによる福音書 5:9b–18、出エジプト記 20:8–11、詩編 34、ヤコブの手紙 3:13-18

説教者:稲葉基嗣

 

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イエスさまの時代のユダヤ人にとって安息日を守り、7日に一度立ち止まることは、

自分たちが神の民であることの証であり、重要な生活スタイルであり、文化でした。

ヨハネが紹介する物語の中で、イエスさまは、安息日における労働について、

その定義付けのための議論を始めず、人々の関心を違う方向に向けました。

それは、誰が安息日に働いているかです。

ユダヤ人たちにとって、答えは明らかに「神が働いている」でした。

その日、人間は働きません。神にすべてのことを委ねる日だからです。

イエスさまは、「だから、私も働くのだ」(17節)と一言付け加えました。

この言葉は、わたしたちが自分の抱えている問題や物事を一度脇に置き、

立ち止まり、休むときに、神がその背後で働いてくださっていることの意味を

より深く理解するための助けとなるでしょう。

イエスさまが安息日に働いておられるということは、人となり、

わたしたちと共に生き、わたしたちの友となってくださった方が、

わたしたちのすぐ近くで、働いてくださっているということだからです。

イエスさまが「床を担ぎなさい」と伝えたのは、文字通り立ち止まることだけが、

安息日の本質ではないと考えていたからでしょう。

安息日は、立ち止まることを通して、わたしがわたしであることを喜べる日です。

でも、病気を癒やされたこの人にとって、安息日に立ち止まることは、

これまでと変わらない生活を続けることのようでした。

今このとき、この人が自分の存在を喜ぶためには、病気であったときのように

立ち止まり続けるのではなく、病気が治った者らしく、動き出す必要がありました。

動けるようになったその喜びを抑え込んで、立ち止まっていることは、

癒やされたこの人にとって、ふさわしくないことでした。

だからイエスさまは文字通りのルールを守らせることに固執しなかったのでしょう。

それはまさに、安息日が本来持つ精神を一人の人の人生に届けた瞬間でした。

このような意味で、わたしたちが安息日の持つ精神を受け止めて生きることを

イエスさまが願っていたことは明らかです。

神が求める安息を現代のこの社会の中でどのように受け止められるのでしょうか。

わたしたちは忙しない日常の中で、意識的に立ち止まることを選び取ります。

それは、わたしたちが、自分自身や周囲の人びとの命の大切さに気づくためです。

立ち止まらなければ、わたしたちは過剰に消費し、命を蔑ろにしてしまいます。

立ち止まることを選ばなければ、争いの手を止めることだってできません。

どんなときも、わたしたちに必要なのは、

定期的に立ち止まることによって、安息を生み出すリズムです。

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