まもまもの雑談ラジオ

あらゆる“差別”は、自分自身の“写し身”が根源… from Radiotalk


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一言でいえば、全ての事象は自分の五感に返ってきた、エコーチェンバーそのものです…人種や宗教倫理、国籍や性別等、一見すれば別の様に思えても、根源は誰でも同じであり、その究極の答えが、“自己の幸福”に対する探求と成果が得られたかどうかです。

但し、ここで勘違いしないで欲しいのは、同じ答えであっても、人それぞれの立場や条件等が違えば、内容そのものも変わるのです…自己完結を是とする者にとって、他者からの支援は屈辱でしかない場合もあり、逆に依存体質から抜け出せない人は、援助を“当然の権利”と履き違えてるから、理不尽で不条理な状況に陥りやすいのです。

つまり、ツイフェミや某民族の支離滅裂な論理の裏には、自分自身の“本当の姿”を見たくないあまりに虚勢を張ったり論点がズレる訳で、現実を直視する勇気も覚悟もない事を、ただただ嘆いてるだけです…自己矛盾(ダブスタ)という袋小路から抜け出せないが故に。実態を知れば知る程、相手を愚弄し見下した事で、自分自身が勝手に自分を追い込んだ挙句、勝手に迷ってるだけですから、それを指摘されると逆ギレして逃げようとするのです…自尊心が高過ぎて、外的要因あるいは自己瓦解すんのが怖いから。

本心で“人を想う”とは、目の前の他人も、“もう一人の自分”として見た時、自分ならどうして欲しいかを、素直に示す事が重要です。要は、“一人じゃない”という自覚と、自分にできる“全て”を賭けられるか…それを問い続け、行動できる様精進すんのが宗教の本懐であり、故に様々な教義と哲学があるのです。そこをどう使い分けるかは、自分自身の誠意と覚悟に委ねられてるのです。
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まもまもの雑談ラジオBy 栗東少年まもまも