所謂“禁足地”とか“聖域”と指定される区域には、分相応の科学的な“理由”が存在してる事が多く、特に“女人禁制”とされる山岳信仰の山々は、地理的条件と男女の体力差、更には妊娠の有無を考慮すれば、現代の交通インフラが整備された条件下だとバカにできる話でも、旧来の参詣道だと無理だと気付くはずです…つまり、“条件”の初期設定を見直さずに今日まで守られてるのは、真面目に命と向き合う覚悟と、自分もまた自然の一部として生かされてる畏敬の念を学ぶ場だからこその話です。
ここらを混同してる人が多いからと、信仰をハナで笑う者には、古代の言い出しっぺの意図…教義の本懐は一切理解できてない訳で、故に前者は“神のお告げだから”という言い訳や方便を信じ、後者は学術的観点からの立証をもって論破しないといけない訳で、その両方が通じない人は、“生き神様”だから通じないのです…だって、現世以外は“無関係”であり、胡蝶の夢でしかないからですw
逆をいえば、禁足地に科学的メスを入れて調査したら、いろいろとヤバい“不都合な証拠”が存在し、特に生物学や考古学、天文学的な知見で新事実が解明されると、それを否定したり、興味本位の盗掘が起きたり、動植物の乱獲や交雑、感染症の伝播といった弊害が出る可能性がある訳で、それらを防ぐ意図で規制されてる以上は、宗派問わず守るべきなのが、マナーであると同時に自己防御の原則です。
某クルーズ船でのヤバいウイルス騒動も、運航目的から察するに、公衆衛生や防疫を軽んじた旅行者や主催者に問題があるのかもしれません…その予防策を“戒律”として宗教の教義にしてるなら、守るべきは言葉ではなく、その“真意”かもしれません。