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2024年12月29日 降誕節第1主日
説教題:背負い、担う神
聖書: イザヤ書 46:1–4、ヘブライ人への手紙 2:10–18、詩編 23、マタイによる福音書 11:28-30
説教者:稲葉基嗣(牧師不在のため代読による)
-----
神がわたしたちと共にいることに、どのような意味があるのでしょうか。
神は、わたしたちを担い、背負い続ける方であると預言者は伝えています。
この言葉を聞いた人びとにとって、神が担い、背負うというイメージは、
とても大きな意味のあるイメージでした。
定期的に、バビロニアの神々の像が人びとの手によって運ばれていく光景を
見ていたイスラエルの民に対して、預言者は、神こそが人びとを背負うと伝えます。
それは、お祭りや特別な時だけ、期間限定のものではありません。
神は、人生の始まりから終わりまで、どのような時も、
わたしたちを背負ってくださる方であるというのが、この預言者の確信でした。
神が担い、背負ってくださったのは、古代イスラエルの人びとだけではありません。
神は、悩み、苦しむすべての人の重荷を担い、すべての人を背負うために、
人となってわたしたちと共に歩んでくださる決断をしてくださいました。
イエスさまを通して、神が共にいるということは、
イエスさまがわたしたちの重荷を担い、背負ってくださるということです。
イエスさまは、わたしたちのただ中に来て、わたしたちの苦しみのすべてを背負い、
自分のものとして担い、ご自分も苦しみながら、
わたしたちのために、大祭司として神に向かってとりなし祈ってくださっています。
この1年を振り返るとき、誰もがさまざまなことを経験してきました。
残念ながら、わたしたちの日常も、わたしたちの生きる社会も、
そして、この世界においても、喜ばしいことのみがあったわけではありません。
わたしたちの力では、支えきれず、背負い続けることができないことばかりです。
そのようなわたしたちと共に生きるために、イエスさまは来てくださいました。
わたしたちの罪深さゆえに引き起こされる、
さまざまな悪からわたしたちを癒やし、救い出すために、
イエスさまがわたしたちの罪を背負ってくださいました。
不正義や暴力にまみれた世界に生き、苦しんでいるわたしたちを
背負い、救い出すために、イエスさまは来てくださいました。
わたしたちと共に生きるために、わたしたちのもとに来てくださったイエスさまは、
きょうも、わたしたちが背負いきれないものを一緒に背負ってくださいます。
また、イエスさまがわたしを支え、わたしの苦しみや悲しみを一緒に背負う姿を
見つめることを通して、わたしたちは誰かに手を差し出すことを学びます。
わたしたちにできることは僅かかもしれないけれど、
共に生きる誰かの苦しみや悲しみを担い合って、支え合う交わりを築きながら、
これからもこの信仰の旅路を一緒に歩んでいきましょう。
By 小山ナザレン教会2024年12月29日 降誕節第1主日
説教題:背負い、担う神
聖書: イザヤ書 46:1–4、ヘブライ人への手紙 2:10–18、詩編 23、マタイによる福音書 11:28-30
説教者:稲葉基嗣(牧師不在のため代読による)
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神がわたしたちと共にいることに、どのような意味があるのでしょうか。
神は、わたしたちを担い、背負い続ける方であると預言者は伝えています。
この言葉を聞いた人びとにとって、神が担い、背負うというイメージは、
とても大きな意味のあるイメージでした。
定期的に、バビロニアの神々の像が人びとの手によって運ばれていく光景を
見ていたイスラエルの民に対して、預言者は、神こそが人びとを背負うと伝えます。
それは、お祭りや特別な時だけ、期間限定のものではありません。
神は、人生の始まりから終わりまで、どのような時も、
わたしたちを背負ってくださる方であるというのが、この預言者の確信でした。
神が担い、背負ってくださったのは、古代イスラエルの人びとだけではありません。
神は、悩み、苦しむすべての人の重荷を担い、すべての人を背負うために、
人となってわたしたちと共に歩んでくださる決断をしてくださいました。
イエスさまを通して、神が共にいるということは、
イエスさまがわたしたちの重荷を担い、背負ってくださるということです。
イエスさまは、わたしたちのただ中に来て、わたしたちの苦しみのすべてを背負い、
自分のものとして担い、ご自分も苦しみながら、
わたしたちのために、大祭司として神に向かってとりなし祈ってくださっています。
この1年を振り返るとき、誰もがさまざまなことを経験してきました。
残念ながら、わたしたちの日常も、わたしたちの生きる社会も、
そして、この世界においても、喜ばしいことのみがあったわけではありません。
わたしたちの力では、支えきれず、背負い続けることができないことばかりです。
そのようなわたしたちと共に生きるために、イエスさまは来てくださいました。
わたしたちの罪深さゆえに引き起こされる、
さまざまな悪からわたしたちを癒やし、救い出すために、
イエスさまがわたしたちの罪を背負ってくださいました。
不正義や暴力にまみれた世界に生き、苦しんでいるわたしたちを
背負い、救い出すために、イエスさまは来てくださいました。
わたしたちと共に生きるために、わたしたちのもとに来てくださったイエスさまは、
きょうも、わたしたちが背負いきれないものを一緒に背負ってくださいます。
また、イエスさまがわたしを支え、わたしの苦しみや悲しみを一緒に背負う姿を
見つめることを通して、わたしたちは誰かに手を差し出すことを学びます。
わたしたちにできることは僅かかもしれないけれど、
共に生きる誰かの苦しみや悲しみを担い合って、支え合う交わりを築きながら、
これからもこの信仰の旅路を一緒に歩んでいきましょう。