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序)私たちは心の戦いの中にいる
・絡みつく罪、悪、悪い欲から解放されるなら、勝利がある。
・ヨシュア記は戦いの物語であり比喩として読むだけでなく、実際の歴史においても、本当の戦いは心の中(霊的なもの)にあることを示す。
1)「ヨシュアがエリコにいたとき」
・5章12節まで、物語の舞台は「ギルガル」or「エリコの草原」である。「エリコにいる」という表現はエリコ陥落の後にしか使えない。Cf.7:2
・ヨシュア記は単なる時系列の記録ではない。
・なぜ「抜き身の剣をもった男」が出て来なくてはならないのか。ヨシュアが叱られるような状況になっているのかは説明されない。
→「エリコにいる」ようになるまでに何かがあったと考えるよう導く。
・エリコ陥落(6 章)において勝利したように見えて、イスラエルが問題を抱えたことが明らかになる(7 章)。ここに至って、この男がさばきのために来たことが明らかになる。
2)ヨシュアの問いかけ、ヨシュアへの問いかけ
・「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか」→「いや」(=どちらでもない。)→罪をきよめるさばき主として彼は来ている。
・「主の軍の将として」…将軍はヨシュアではない。先頭は主の軍であり、主の軍の敵になるのかを決めるのは、イスラエルの側である。
・ヨシュアは自分を「しもべ」と位置付ける。「履き物を脱ぐ」とは、自らが神の前に汚れた者であることを自覚し、認めたことを意味する。
・イスラエルの敗戦の理由は、敵の強さでも自分の弱さでもなく、内側にある罪。これに対処するとき、勝利が戻ってくる。
3)神様の大きな計画
・「あなたの立っている所(=陥落したエリコ)は聖なる場所」
・はじめに神は世界を、神の聖なる世界(いのちと尊厳、正義とあわれみ、力と愛が統合された状態)として創造されたが、人の背きによって聖が失われた。これを回復するのが神の計画である。
・7人の祭司、7つの角笛、7日間、7周は、神の完全な聖さとはじめの創造の回復を象徴している。雄羊の角笛=ヨベルの角笛であり、罪からの解放を告げるシンボルである。だからこそ、イスラエル自身が罪から解放されている必要があった。
結)今や、神の計画のパートナーは教会である
・私たちは世界を回復する戦いの中におかれている。その戦場は心の中である。
By キリスト教たんぽぽ教会序)私たちは心の戦いの中にいる
・絡みつく罪、悪、悪い欲から解放されるなら、勝利がある。
・ヨシュア記は戦いの物語であり比喩として読むだけでなく、実際の歴史においても、本当の戦いは心の中(霊的なもの)にあることを示す。
1)「ヨシュアがエリコにいたとき」
・5章12節まで、物語の舞台は「ギルガル」or「エリコの草原」である。「エリコにいる」という表現はエリコ陥落の後にしか使えない。Cf.7:2
・ヨシュア記は単なる時系列の記録ではない。
・なぜ「抜き身の剣をもった男」が出て来なくてはならないのか。ヨシュアが叱られるような状況になっているのかは説明されない。
→「エリコにいる」ようになるまでに何かがあったと考えるよう導く。
・エリコ陥落(6 章)において勝利したように見えて、イスラエルが問題を抱えたことが明らかになる(7 章)。ここに至って、この男がさばきのために来たことが明らかになる。
2)ヨシュアの問いかけ、ヨシュアへの問いかけ
・「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか」→「いや」(=どちらでもない。)→罪をきよめるさばき主として彼は来ている。
・「主の軍の将として」…将軍はヨシュアではない。先頭は主の軍であり、主の軍の敵になるのかを決めるのは、イスラエルの側である。
・ヨシュアは自分を「しもべ」と位置付ける。「履き物を脱ぐ」とは、自らが神の前に汚れた者であることを自覚し、認めたことを意味する。
・イスラエルの敗戦の理由は、敵の強さでも自分の弱さでもなく、内側にある罪。これに対処するとき、勝利が戻ってくる。
3)神様の大きな計画
・「あなたの立っている所(=陥落したエリコ)は聖なる場所」
・はじめに神は世界を、神の聖なる世界(いのちと尊厳、正義とあわれみ、力と愛が統合された状態)として創造されたが、人の背きによって聖が失われた。これを回復するのが神の計画である。
・7人の祭司、7つの角笛、7日間、7周は、神の完全な聖さとはじめの創造の回復を象徴している。雄羊の角笛=ヨベルの角笛であり、罪からの解放を告げるシンボルである。だからこそ、イスラエル自身が罪から解放されている必要があった。
結)今や、神の計画のパートナーは教会である
・私たちは世界を回復する戦いの中におかれている。その戦場は心の中である。

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