流れのほとりに

本当の解放を求めて(ヨシュア記5章13節~6章5節)


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序)私たちは心の戦いの中にいる

・絡みつく罪、悪、悪い欲から解放されるなら、勝利がある。

・ヨシュア記は戦いの物語であり比喩として読むだけでなく、実際の歴史においても、本当の戦いは心の中(霊的なもの)にあることを示す。

1)「ヨシュアがエリコにいたとき」

・5章12節まで、物語の舞台は「ギルガル」or「エリコの草原」である。「エリコにいる」という表現はエリコ陥落の後にしか使えない。Cf.7:2

・ヨシュア記は単なる時系列の記録ではない。

・なぜ「抜き身の剣をもった男」が出て来なくてはならないのか。ヨシュアが叱られるような状況になっているのかは説明されない。

→「エリコにいる」ようになるまでに何かがあったと考えるよう導く。

・エリコ陥落(6 章)において勝利したように見えて、イスラエルが問題を抱えたことが明らかになる(7 章)。ここに至って、この男がさばきのために来たことが明らかになる。

2)ヨシュアの問いかけ、ヨシュアへの問いかけ

・「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか」→「いや」(=どちらでもない。)→罪をきよめるさばき主として彼は来ている。

・「主の軍の将として」…将軍はヨシュアではない。先頭は主の軍であり、主の軍の敵になるのかを決めるのは、イスラエルの側である。

・ヨシュアは自分を「しもべ」と位置付ける。「履き物を脱ぐ」とは、自らが神の前に汚れた者であることを自覚し、認めたことを意味する。

・イスラエルの敗戦の理由は、敵の強さでも自分の弱さでもなく、内側にある罪。これに対処するとき、勝利が戻ってくる。

3)神様の大きな計画

・「あなたの立っている所(=陥落したエリコ)は聖なる場所」

・はじめに神は世界を、神の聖なる世界(いのちと尊厳、正義とあわれみ、力と愛が統合された状態)として創造されたが、人の背きによって聖が失われた。これを回復するのが神の計画である。

・7人の祭司、7つの角笛、7日間、7周は、神の完全な聖さとはじめの創造の回復を象徴している。雄羊の角笛=ヨベルの角笛であり、罪からの解放を告げるシンボルである。だからこそ、イスラエル自身が罪から解放されている必要があった。

結)今や、神の計画のパートナーは教会である

・私たちは世界を回復する戦いの中におかれている。その戦場は心の中である。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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