序)「私は、神様に用いられて、世界を変える存在になる」
・「神様に用いられない」と言うことはへりくだりではなく、高ぶりである。神様以上の存在になって、自分を評価しているからである。
・「神様なしに、世界を変える存在」だと豪語するのも高ぶりであるが。
・「現状維持」に甘んじてしまうのは、やはり、神様の力を小さく見積もっているのではないか。
・「現状維持」で良いというなら、今の状態を肯定し、悪に加担することになりかねない。もちろん「世界をすっかり変える」ことはできない。それはキリストの再臨のみわざである。
・神の民とされた者には、自分自身が変えられ、そのインパクトが広がっていくことが期待されている。
・マリアはキリストを産み育てることを通して世界を変える存在になった。
・「私のたましいは主をあがめ(≒大きくし:現在進行形)」「私の霊は私の救い主である神をたたえます(言い切りの形)
・賛美・喜びの火には、じんわりと広がる火(静かな継続)、ぱっと明るくなる火(言い切り、ほとばしる賛美)の2つがある。
・神様の偉大さを知るほどに、喜びの底が上がっていく。
・喜びの源は、神が「目を留め」用いて下さるという事実にあった。
・神に用いられる唯一の条件は、神を恐れへりくだること。
・マリアは自分をサンプルにして「幸いな人」へとすべての人を招く。
・マリアの賛歌は、即興であるが、旧約聖書の賛美が総動員され、自分の人生と結び合わされ歌い直されている。
・「主は~た」と過去形で訳されているが、言い切りの形「~す」と理解する方がよい。(時間に制約されていない)
・地位もなく、名もなく、小さくされた者に目を留め、そこに御力を現されることで、世界を変えるのが聖書に現わされた主なる神の姿である。
・社会的に低い、小さい、弱いと見なされている人の方が、神の選びの憐れみに、より多く、より深く驚くことができる有利な立場にいる。
・「飢えた者」とは、貧しさに連帯し、分かち合いたいと願う者のこと。「富む者」は自分で独り占めしたい者のこと。持っている物の多寡は関係ない。「イスラエルを助ける」のも、助ける者になるため。
・神の憐れみは、消えていない。神の国は変えられた私達から始まる。