流れのほとりに

いのちの冠を目指して(ヨハネの黙示録2章8節~11節)


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序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~

・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし

1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」

・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。

・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。

・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。

・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。

・世の中は「王冠」を求める世界だから全世代が注意を払う必要がある。

・神の計画と御心(神の国)のために忠実であることが冠を目指すレース

2)結果ではなくプロセスに

・「王冠」は結果に左右されるが「冠」は過程を問題にする。

・結果が悪かったらどうしようという恐れによって、私たちは身動きが取れなくなる。「今」という時にベストを尽くす忠実さは、私たちを恐れから解放する。

・人間が経験する最悪の結果は死であるが「初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方」が共に人生のレースを走ってくださる。死ではなくよみがえりが与えられるという真理を、この人生でどれだけ自分のものとできるかが、勝負ポイントになる。

3)苦難の中でも幸せに生きる

・「苦難と貧しさ」は一般的にいえば敗北のしるしである。苦難が少なくリッチであることが勝利のしるしだという常識が刷り込まれている。

・スミルナの教会が貧しい理由は、ギルド(職業組合)に加入しなかったため。加入すれば偶像礼拝に加担することになった。ニコライ派はこれに躊躇うことなく参加した。

・このようなスミルナの教会に対して「富んでいる」とイエス様は評価する。それは「忠実さ」という富(決して失われない)であり、これが朽ちない冠を彩る宝石のようなものだとイエス様はご覧になる。

・貧しさの中でも幸せに生きていたスミルナ教会に対して「自称ユダヤ人」からの迫害(偽りの罪によるローマへの訴え)があった。

結)「あなたが受けようとする苦しみを何も恐れることはない」

・迫害によってできるのは、いのちを奪うところまで。「十日」の 10 は最大数であるから半端な苦しみではないが、主にあって乗り越えられる!

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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