2023年 11月 26日 三位一体第25主日
説教題:ボアズの抗議
聖書:ルツ記4:1−12、コロサイの信徒への手紙3:12−17、マタイによる福音書18:15−20、詩編122
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
ルツを自分の妻として迎えるために、門の前で交渉をするボアズの言葉に、気になることがあります。ボアズがルツをモアブ人の女性と強調している点です。たしかに、これまでルツ記は何度も、ルツがモアブ人であることを強調し、彼女がイスラエルの社会で部外者であったと伝えています。門の前でのボアズの交渉は、ルツがモアブ人であることを利用して、ボアズがルツと結婚する道を拓いたかのように見えます。ルツがモアブから来た女性であることは、町中に知れ渡っていたことですから、わざわざルツがモアブ人であることを強調する必要などありません。それにも関わらず、ボアズがこの時、ルツがモアブ人であることを強調したのは、イスラエル社会に対して抗議するためだったのではないでしょうか。
ルツ記という書物が記されたのは、紀元前400年頃です。それは、エズラやネヘミヤという指導者によって導かれ、ユダと呼ばれる共同体をエルサレムの地に再建した時代でした。ネヘミヤの時代に、モアブ人は神の民に加われないと伝える、申命記の言葉が発見されました(ネヘミヤ13:1、申命記23:4)。エズラ、ネヘミヤの時代、ユダの人びとの間で、この考えが主流となっていきます。他の民族と一緒に生きていくよりは、自分たちは神に選ばれた民族だと誇り、他の民族と一緒に生きることを拒絶し、彼らを排除していくという考えです。この考えに基づいて、外国人と結婚している人びとは、離婚を強制されました。
このような考えが主流であった時代に、ルツ記は記され、嫌われていたモアブ人女性をイスラエルの共同体が受け入れたことを伝えました。そのような時代状況を知った上でルツ記を読み直してみると、ボアズの行動はまさに、イスラエル社会に対する抗議です。そして、外国人に対する受け入れと、祝福の声でした。
ルツ記の物語は、時代を越えて、わたしたちが生きるこの時代に対しても、抗議の声を上げているかのようです。わたしたちの社会は、どのような人たちを追い出してしまっているでしょうか?誰を排除してしまっているでしょうか?すべての人を愛し、慈しみ、多様な生き方や多様なあり方を喜ばれる神は、誰か特定の人たちを排除する社会や交わりをわたしたちが築いていくことを決して望んではいません。罪人といわれ、社会からのけ者にされている人の友とイエスさまがなったように、排除ではなく、受け入れ合って、一緒に歩んで行くとこを選び取り、共に生きることを模索する場所を作ることこそ、わたしたちに必要なことです。教会のあり方がそのような神の願いを少しでも映し出すものでありますように。