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(CV:桑木栄美里)
【ストーリー】
[シーン1:プロローグ/秋の高山祭】
■SE〜秋の高山祭の音
「そーれ!」
絢爛豪華な屋台が一堂に引き揃えられる秋の高山祭。
櫻山八幡宮の境内では今ごろ、布袋台が、見事なからくりを奉納していることだろう。
このあとは、大きな見せ場、屋台を転回させる『曳き回し』だ。
私と一緒に屋台組を復活させてがんばってきた、同級生の彼も
曳子(ひきこ)に徹して掛け声をあげる。
実は私たちの屋台、浦島台にもからくりの仕掛けがある。
名古屋のからくり人形師に頼み込み、10年越しで制作してもらった。
『常世の浦島子』という、私たちが考えたからくりだ。
■SE〜からくりの音
海で大亀を釣った浦島子。
その後亀は美女に姿を変え、2人で常世の国へ行く・・・
という万葉集をルーツにした物語である。
二重三重にうねる波。
船から釣り糸を垂らす浦島子。
やがて釣り上げた亀が美女に変わるクライマックス。
ラストは常世の国から戻った浦島子が、
玉手箱により、300年の時が流れていたことを知る。
時の流れを見せるのは、煙ではなく、走馬灯を使って
浦島姫との蜜月を表現した。
そのあと浦島子の顔があっという間に老人に変身するシーンは最大の見せ場だ。
■SE〜観客の大歓声
私は、この10年を思って、目頭が熱くなった。
思えば、初めて『浦島台』という名前に出会ったのは10年前。
私がまだ15歳。
高校1年生のときだった。
[シーン2:失われた屋台との出会い/高校1年】
高山屋台の保存会の人が、私たちの学校へやってきて、
いろいろな屋台のエピソードを聞かせてくれた。
その中で、私が興味をそそられたのは、『失われた屋台』。
火事などで消失してしまった幻の屋台があると聞いて驚いた。
『失われた屋台』はひとつだけではない。
春の高山祭、秋の高山祭ともに、その数8つ。
なかでも『浦島台』には特に心惹かれた。
『浦島台は、文化十年(1813年)の記録が残っている歴史ある屋台。
でも、明治8年の高山大火で焼けて、そのあとはもう建造されていないんだよ』
その頃、私は読み聞かせのボランティアもやっていて民話や伝承を読み漁っていた。
おとぎ話ではなく、日本書紀や万葉集の『浦島子』。
その不思議な話と『浦島台』という名前の符牒が私を惹きつけた。
同じボランティア仲間の同級生たちも同じ理由で、興味をもったらしい。
その中のひとり、同じクラスの彼は、なにを隠そう私の初恋の相手だったけど、
当時から彼の横には彼女がいた。15歳なのに。
それでも私たちの思いはひとつになる。
この日からボランティアの現場で何度も話し合った。
”浦島太郎伝説を題材にしたカラクリ人形も仕込まれてあったんだって”
”屋根は切妻風で、三輪の屋台というらしい”
”祭礼の時には提灯を掲げて、五色の旗を掲げていたんだ”
”台紋のデザインは波もよう”
”浦島台”をもう一度高山祭の舞台へ”
私たちは時間を忘れて、浦島台復活の計画を語り合った。
もちろん、彼の隣には彼女もいたけれど。
”まずは、屋台組を復活させなきゃ”
そもそも、屋台組というのは、お金を出し合って屋台を維持管理していく仕組み。
高校生の私たちに、そんな余裕があるはずもない。
”クラウドファンディングっていうのは?”
”あ・・・”
誰が言い出したのかは忘れちゃったけど、それっていいアイディアだったと思う。
私たち3人は、ネットで一生懸命調べて、高校生でも参加しやすいサイトを探した。
長期スパンで継続できて、文化的な題材に強いクラウドファンディング。
授業で習ったパワーポイントで必死に事業計画書を作り、
選び抜いたクラウドファンディングのサイトへアップする。
”秋の高山祭に失われた屋台を復活させたい!”
”オリジナルのからくり屋台を作りたい!”
”屋台組を作り屋台をずうっと守っていきたい!”
”みなさん、どうか、助けてください!”
私たちのアーカイブには、高校生らしい文字が踊る。
熱意は、ネットを通じて、さまざまな人たちへ伝わっていった。
[シーン3:クラウドファンディング/大学生】
目標額は1億!
高校を卒業したあとも、大学へ通いながら、私たち3人は、活動を続けた。
”失われた屋台の復活にご協力ください!”
高山駅前で観光客にビラを配る。
”高山の未来を一緒に築こう!”
高校を回って有志を募る。
”町内の枠を超えて、屋台組を作らせてください”
町の人たちにも協力を呼びかける。
”私たちだけのからくりを作りたいんです!”
見よう見まねで図面をひき、からくり人形師の元へ足繁く通う。
私は高校時代から飛騨の匠と呼ばれる職人の元へ通い、木工技術を学んできた。
大学へ入ってからも木工の修行は続け、
卒業後に就職したのは、文化財の修理も手がける建築会社。
もちろん木工職人=飛騨の匠として。
屋台を建造するとき、何も知らないのはいやだ。
何度も何度も図面を引き直し、台車の上の浦島台をイメージする。
ベテランの職人=飛騨の匠たちも惜しみなく力を貸してくれた。
一方、彼は大学院へ進み、民俗学を専攻した。
”からくりにも、古典文学のストーリーをつけよう”
万葉集 巻九 水江(みづのえ)の浦の島子(しまこ)を題材に、
浦島台という屋台のからくりにふさわしい、素晴らしい物語ができあがっていく。
彼女は大学卒業後、結婚した。
相手は・・彼ではなく、年上の実業家。
それでも屋台組からは離れず、地元の小学校で歴史の教師となった。
彼女の生徒、小学生たちも、屋台組のお囃子として参加してくれる。
鼓を打つのも、篠笛(しのぶえ)を吹くのも、みるみる上達していく。
かつて声をかけた高校生たちは、休みの日に私たちの活動に参加する。
今や若き屋台組の柱だ。
気がつくと、あの日から10年が過ぎようとしていた。
[シーン4:高山祭でデビュー/浦島台】
目標額までは届かなかったけど、
集まったお金でコツコツと少しずつ作り上げた浦島台。
もともと残っていた台車の上に、私が1年かけて彫り上げた彫刻は浦島姫と海竜。
大きくうねる波とただよう船は躍動感に溢れている。
中段の大幕は、鮮やかな朱塗りに波を表す台紋が美しい。
上段には祭囃子を奏でる鼓と篠笛の子どもたちが乗り込む。
その前には、人形師に5年かけて制作してもらった渾身のからくり。
私たちが作った浦島子のストーリーを華麗に表現する。
屋根の鳳凰は私の手作りだ。
八幡祭の前日。
巫女たちの浦安の舞に続いて、屋台曳行の順番を決めるくじ引きだ。
宮司が御幣(ごへい)でくじを引く。
結果は・・・私たちはなんと曳行の先頭になった。
私と彼と彼女。
顔を見合わせて、驚き、次の瞬間、満面の笑みになる。
■SE〜秋の高山祭の音
表参道に引き揃えられた12台の屋台。
屋台を曳く曳子は、彼を先頭に力自慢の高校生たちが息を合わせる。
車の廻り止めをする小挺子(こていし)。囃子を演奏する子どもたち。
からくり人形を扱う人形方。
多くの人たちが、全員揃いの法被を着て、今日の日のために集う。
私は中段で手綱を持ち、身構える人形方に合図を送る。
■SE〜祭囃子の音
波の中へ、浦島子の船が漕ぎ出した。
私は上段に乗り込み、見送りへ立ってからくりを見守る。
私の横には彼女。
囃子方の子どもたちを心配そうに眺める。
ラスト、浦島子の顔が老人に変わっていよいよクライマックス。
沿道からは拍手喝采。
曳子の彼は雄叫びをあげる。
屋台の中にいるみんなの笑顔に包まれて、私も瞳が潤む。
そのとき、隣にいる彼女がぽつりとつぶやいた。
”箱をあけなければよかったのに”
え?
それは、独り言なのか、私に言っているのか・・・
このあとは宵祭。
屋台の灯りが夜の高山を練り歩く。
■SE〜宵祭の音「高い山」
そして最終日の曳き別れ。
物悲しい『高い山』の歌声を聴きながら屋台蔵へ帰る浦島台を私たち3人で見送った。
彼女と彼と私。
みんなで屋台を見ながら、笑顔でつぶやく。
彼: 『10年か。長かったなあ・・・』
彼女: 『300年に比べれば一瞬よ』
誰からでもなく、笑顔で私たちは握手をする。
檜舞台を終えた浦島子が、静かに私たちを見つめていた。
(CV:桑木栄美里)
【ストーリー】
[シーン1:プロローグ/秋の高山祭】
■SE〜秋の高山祭の音
「そーれ!」
絢爛豪華な屋台が一堂に引き揃えられる秋の高山祭。
櫻山八幡宮の境内では今ごろ、布袋台が、見事なからくりを奉納していることだろう。
このあとは、大きな見せ場、屋台を転回させる『曳き回し』だ。
私と一緒に屋台組を復活させてがんばってきた、同級生の彼も
曳子(ひきこ)に徹して掛け声をあげる。
実は私たちの屋台、浦島台にもからくりの仕掛けがある。
名古屋のからくり人形師に頼み込み、10年越しで制作してもらった。
『常世の浦島子』という、私たちが考えたからくりだ。
■SE〜からくりの音
海で大亀を釣った浦島子。
その後亀は美女に姿を変え、2人で常世の国へ行く・・・
という万葉集をルーツにした物語である。
二重三重にうねる波。
船から釣り糸を垂らす浦島子。
やがて釣り上げた亀が美女に変わるクライマックス。
ラストは常世の国から戻った浦島子が、
玉手箱により、300年の時が流れていたことを知る。
時の流れを見せるのは、煙ではなく、走馬灯を使って
浦島姫との蜜月を表現した。
そのあと浦島子の顔があっという間に老人に変身するシーンは最大の見せ場だ。
■SE〜観客の大歓声
私は、この10年を思って、目頭が熱くなった。
思えば、初めて『浦島台』という名前に出会ったのは10年前。
私がまだ15歳。
高校1年生のときだった。
[シーン2:失われた屋台との出会い/高校1年】
高山屋台の保存会の人が、私たちの学校へやってきて、
いろいろな屋台のエピソードを聞かせてくれた。
その中で、私が興味をそそられたのは、『失われた屋台』。
火事などで消失してしまった幻の屋台があると聞いて驚いた。
『失われた屋台』はひとつだけではない。
春の高山祭、秋の高山祭ともに、その数8つ。
なかでも『浦島台』には特に心惹かれた。
『浦島台は、文化十年(1813年)の記録が残っている歴史ある屋台。
でも、明治8年の高山大火で焼けて、そのあとはもう建造されていないんだよ』
その頃、私は読み聞かせのボランティアもやっていて民話や伝承を読み漁っていた。
おとぎ話ではなく、日本書紀や万葉集の『浦島子』。
その不思議な話と『浦島台』という名前の符牒が私を惹きつけた。
同じボランティア仲間の同級生たちも同じ理由で、興味をもったらしい。
その中のひとり、同じクラスの彼は、なにを隠そう私の初恋の相手だったけど、
当時から彼の横には彼女がいた。15歳なのに。
それでも私たちの思いはひとつになる。
この日からボランティアの現場で何度も話し合った。
”浦島太郎伝説を題材にしたカラクリ人形も仕込まれてあったんだって”
”屋根は切妻風で、三輪の屋台というらしい”
”祭礼の時には提灯を掲げて、五色の旗を掲げていたんだ”
”台紋のデザインは波もよう”
”浦島台”をもう一度高山祭の舞台へ”
私たちは時間を忘れて、浦島台復活の計画を語り合った。
もちろん、彼の隣には彼女もいたけれど。
”まずは、屋台組を復活させなきゃ”
そもそも、屋台組というのは、お金を出し合って屋台を維持管理していく仕組み。
高校生の私たちに、そんな余裕があるはずもない。
”クラウドファンディングっていうのは?”
”あ・・・”
誰が言い出したのかは忘れちゃったけど、それっていいアイディアだったと思う。
私たち3人は、ネットで一生懸命調べて、高校生でも参加しやすいサイトを探した。
長期スパンで継続できて、文化的な題材に強いクラウドファンディング。
授業で習ったパワーポイントで必死に事業計画書を作り、
選び抜いたクラウドファンディングのサイトへアップする。
”秋の高山祭に失われた屋台を復活させたい!”
”オリジナルのからくり屋台を作りたい!”
”屋台組を作り屋台をずうっと守っていきたい!”
”みなさん、どうか、助けてください!”
私たちのアーカイブには、高校生らしい文字が踊る。
熱意は、ネットを通じて、さまざまな人たちへ伝わっていった。
[シーン3:クラウドファンディング/大学生】
目標額は1億!
高校を卒業したあとも、大学へ通いながら、私たち3人は、活動を続けた。
”失われた屋台の復活にご協力ください!”
高山駅前で観光客にビラを配る。
”高山の未来を一緒に築こう!”
高校を回って有志を募る。
”町内の枠を超えて、屋台組を作らせてください”
町の人たちにも協力を呼びかける。
”私たちだけのからくりを作りたいんです!”
見よう見まねで図面をひき、からくり人形師の元へ足繁く通う。
私は高校時代から飛騨の匠と呼ばれる職人の元へ通い、木工技術を学んできた。
大学へ入ってからも木工の修行は続け、
卒業後に就職したのは、文化財の修理も手がける建築会社。
もちろん木工職人=飛騨の匠として。
屋台を建造するとき、何も知らないのはいやだ。
何度も何度も図面を引き直し、台車の上の浦島台をイメージする。
ベテランの職人=飛騨の匠たちも惜しみなく力を貸してくれた。
一方、彼は大学院へ進み、民俗学を専攻した。
”からくりにも、古典文学のストーリーをつけよう”
万葉集 巻九 水江(みづのえ)の浦の島子(しまこ)を題材に、
浦島台という屋台のからくりにふさわしい、素晴らしい物語ができあがっていく。
彼女は大学卒業後、結婚した。
相手は・・彼ではなく、年上の実業家。
それでも屋台組からは離れず、地元の小学校で歴史の教師となった。
彼女の生徒、小学生たちも、屋台組のお囃子として参加してくれる。
鼓を打つのも、篠笛(しのぶえ)を吹くのも、みるみる上達していく。
かつて声をかけた高校生たちは、休みの日に私たちの活動に参加する。
今や若き屋台組の柱だ。
気がつくと、あの日から10年が過ぎようとしていた。
[シーン4:高山祭でデビュー/浦島台】
目標額までは届かなかったけど、
集まったお金でコツコツと少しずつ作り上げた浦島台。
もともと残っていた台車の上に、私が1年かけて彫り上げた彫刻は浦島姫と海竜。
大きくうねる波とただよう船は躍動感に溢れている。
中段の大幕は、鮮やかな朱塗りに波を表す台紋が美しい。
上段には祭囃子を奏でる鼓と篠笛の子どもたちが乗り込む。
その前には、人形師に5年かけて制作してもらった渾身のからくり。
私たちが作った浦島子のストーリーを華麗に表現する。
屋根の鳳凰は私の手作りだ。
八幡祭の前日。
巫女たちの浦安の舞に続いて、屋台曳行の順番を決めるくじ引きだ。
宮司が御幣(ごへい)でくじを引く。
結果は・・・私たちはなんと曳行の先頭になった。
私と彼と彼女。
顔を見合わせて、驚き、次の瞬間、満面の笑みになる。
■SE〜秋の高山祭の音
表参道に引き揃えられた12台の屋台。
屋台を曳く曳子は、彼を先頭に力自慢の高校生たちが息を合わせる。
車の廻り止めをする小挺子(こていし)。囃子を演奏する子どもたち。
からくり人形を扱う人形方。
多くの人たちが、全員揃いの法被を着て、今日の日のために集う。
私は中段で手綱を持ち、身構える人形方に合図を送る。
■SE〜祭囃子の音
波の中へ、浦島子の船が漕ぎ出した。
私は上段に乗り込み、見送りへ立ってからくりを見守る。
私の横には彼女。
囃子方の子どもたちを心配そうに眺める。
ラスト、浦島子の顔が老人に変わっていよいよクライマックス。
沿道からは拍手喝采。
曳子の彼は雄叫びをあげる。
屋台の中にいるみんなの笑顔に包まれて、私も瞳が潤む。
そのとき、隣にいる彼女がぽつりとつぶやいた。
”箱をあけなければよかったのに”
え?
それは、独り言なのか、私に言っているのか・・・
このあとは宵祭。
屋台の灯りが夜の高山を練り歩く。
■SE〜宵祭の音「高い山」
そして最終日の曳き別れ。
物悲しい『高い山』の歌声を聴きながら屋台蔵へ帰る浦島台を私たち3人で見送った。
彼女と彼と私。
みんなで屋台を見ながら、笑顔でつぶやく。
彼: 『10年か。長かったなあ・・・』
彼女: 『300年に比べれば一瞬よ』
誰からでもなく、笑顔で私たちは握手をする。
檜舞台を終えた浦島子が、静かに私たちを見つめていた。