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1995年10月。飛騨高山で放送されたイベントFM局「HitsFM」。その最終日、イベントFM虚局の閉局前に高山市にコミュニティFM局を開局させようと奔走したスタッフの物語(CV:桑木栄美里)
<ストーリー>
「お疲れさま!」
ミニマムの人員でフル稼働するナビゲーターたちを労いながら、
配信されてきたニュースに目を通し、最後の原稿チェックをする。
ここは、高山市を中心に開催されているイベントFM局のサテライトスタジオ。
しかも、今日がイベントの千秋楽。
イベントFM局も今日で閉局する予定だ。
一抹の寂しさはあるものの、開局のときよりも緊張している自分に気づいた。
もともとイベントFM局の目的は、高山祭の混雑緩和。
清見まで延伸した高速道路からの観光客と
国道41号線からの観光客が交差して、大渋滞を引き起こす高山祭。
そのとき、カーラジオにリアルタイムの交通情報を常時提供して、
渋滞を緩和するのがFM局の存在理由である。
そもそも俺が呼ばれたのは、AからGからZまで、いろいろなFM局、AM局で
ワイド番組を制作していたから・・・だと思う・・・ん?ホントか?(笑)
少しだけ渋谷系に寄せた音楽を中心に、洋楽邦楽を織りまぜて
ミュージックステーションのスタイルでオンエアをスタートした。
クルマの流れが穏やかになる昼間の時間帯には、
スピッツなど、人気アーティストのインタビューもノーカットでオンエアする。
まあ、インタビュアーは俺なんだが・・・
一緒に高山まで引き連れてきた、女性ナビゲーターは4人。
この人数で期間中のタイムテーブルを配分する。
バイリンガルの帰国子女からモデルあがり、舞台女優まで、
いささかバラエティに富んだ顔ぶれだったが、かえってそれが受けた。
イベントが中盤に入る頃には、高山の皆さんからいろいろな差し入れが届き、
美味しいお店もいくつか教えてもらった。
ニュースを読んでいる俺にさえ、冬季限定という上摘みの吟醸酒が届いた。
オンエアでは、曲と曲の間に入るTraffic Report=交通情報も曲の一部と考え、
ビートルズのDrive My Carに乗せて情報を伝えていく。
いや、なんか、ちょっと格好つけすぎか?
スタッフと、高山の皆さんと、ナビゲーター。
思いがひとつになってテンションが最高潮になったころ、
クローズの日にちが迫ってきていた。
FAXで届くリスナーからのメッセージには、宝物のような言葉が並ぶ。
『終わらないでほしい!』
『イベントが終わってもFMは続けろ!』
『どこにも行くな!』
そして、
『高山にコミュニティFM放送局を!』
その声は日増しに大きくなり、とうとう最終回の今日、
市長をスタジオへ招くところまでこぎつけた。
そう、俺は今夜ゲストで入る市長に、
『FM局の継続、つまりコミュニティFMの開局』を約束してもらわないと
無事に閉局することなどできないのだ。
マイクの前とはうって変わり、気難しい表情で腕を組む俺の背中を
ナビゲーターがつつき、小さく目配せをする。
来たか・・・
スタジオへ案内をし、対面でマイクテーブルにつく。
俺がカフを上げて、和やかに対談が始まった。
FMが開局して例年よりも渋滞が緩和されたこと、
街の中、商店街のみなさんは、いつもこのFM局を流していること。
市長は、さりげなく労いの言葉をかけてくれる。
気づけば、閉局まで10分を切っている。
いまだ・・・
笑顔の表情のまま、瞳だけ真剣に、俺は市長を見つめて口を開いた。
次はコミュニティFMですね?
その刹那、緩んだ口元が引き締まる。
永遠とも思えた一瞬のあと、笑顔で町長がうなづいた。
これで、高山に新しい春がくる。
俺は背中で大きく安堵の息を漏らした。
顔をあげると、副調のガラスに映る4つの笑顔。
それは、涙で潤んだナビゲーターたちの労いの笑顔だった。
1995年10月。飛騨高山で放送されたイベントFM局「HitsFM」。その最終日、イベントFM虚局の閉局前に高山市にコミュニティFM局を開局させようと奔走したスタッフの物語(CV:桑木栄美里)
<ストーリー>
「お疲れさま!」
ミニマムの人員でフル稼働するナビゲーターたちを労いながら、
配信されてきたニュースに目を通し、最後の原稿チェックをする。
ここは、高山市を中心に開催されているイベントFM局のサテライトスタジオ。
しかも、今日がイベントの千秋楽。
イベントFM局も今日で閉局する予定だ。
一抹の寂しさはあるものの、開局のときよりも緊張している自分に気づいた。
もともとイベントFM局の目的は、高山祭の混雑緩和。
清見まで延伸した高速道路からの観光客と
国道41号線からの観光客が交差して、大渋滞を引き起こす高山祭。
そのとき、カーラジオにリアルタイムの交通情報を常時提供して、
渋滞を緩和するのがFM局の存在理由である。
そもそも俺が呼ばれたのは、AからGからZまで、いろいろなFM局、AM局で
ワイド番組を制作していたから・・・だと思う・・・ん?ホントか?(笑)
少しだけ渋谷系に寄せた音楽を中心に、洋楽邦楽を織りまぜて
ミュージックステーションのスタイルでオンエアをスタートした。
クルマの流れが穏やかになる昼間の時間帯には、
スピッツなど、人気アーティストのインタビューもノーカットでオンエアする。
まあ、インタビュアーは俺なんだが・・・
一緒に高山まで引き連れてきた、女性ナビゲーターは4人。
この人数で期間中のタイムテーブルを配分する。
バイリンガルの帰国子女からモデルあがり、舞台女優まで、
いささかバラエティに富んだ顔ぶれだったが、かえってそれが受けた。
イベントが中盤に入る頃には、高山の皆さんからいろいろな差し入れが届き、
美味しいお店もいくつか教えてもらった。
ニュースを読んでいる俺にさえ、冬季限定という上摘みの吟醸酒が届いた。
オンエアでは、曲と曲の間に入るTraffic Report=交通情報も曲の一部と考え、
ビートルズのDrive My Carに乗せて情報を伝えていく。
いや、なんか、ちょっと格好つけすぎか?
スタッフと、高山の皆さんと、ナビゲーター。
思いがひとつになってテンションが最高潮になったころ、
クローズの日にちが迫ってきていた。
FAXで届くリスナーからのメッセージには、宝物のような言葉が並ぶ。
『終わらないでほしい!』
『イベントが終わってもFMは続けろ!』
『どこにも行くな!』
そして、
『高山にコミュニティFM放送局を!』
その声は日増しに大きくなり、とうとう最終回の今日、
市長をスタジオへ招くところまでこぎつけた。
そう、俺は今夜ゲストで入る市長に、
『FM局の継続、つまりコミュニティFMの開局』を約束してもらわないと
無事に閉局することなどできないのだ。
マイクの前とはうって変わり、気難しい表情で腕を組む俺の背中を
ナビゲーターがつつき、小さく目配せをする。
来たか・・・
スタジオへ案内をし、対面でマイクテーブルにつく。
俺がカフを上げて、和やかに対談が始まった。
FMが開局して例年よりも渋滞が緩和されたこと、
街の中、商店街のみなさんは、いつもこのFM局を流していること。
市長は、さりげなく労いの言葉をかけてくれる。
気づけば、閉局まで10分を切っている。
いまだ・・・
笑顔の表情のまま、瞳だけ真剣に、俺は市長を見つめて口を開いた。
次はコミュニティFMですね?
その刹那、緩んだ口元が引き締まる。
永遠とも思えた一瞬のあと、笑顔で町長がうなづいた。
これで、高山に新しい春がくる。
俺は背中で大きく安堵の息を漏らした。
顔をあげると、副調のガラスに映る4つの笑顔。
それは、涙で潤んだナビゲーターたちの労いの笑顔だった。