
Sign up to save your podcasts
Or
秒速50cmとは粉雪が地上に落下するまでの平均速度。種子島から高山へやってきた主人公はデザイン事務所で働く女性。サーフボードをスノーボードに乗り換えて新しい人生を歩み始める・・・(CV:桑木栄美里)
<ストーリー>
拝啓 姉上さま
ごぶさたしています。
お元気ですか?
カブも元気にしていますか?
種子島ではずいぶん前に桜の季節は終わっているのでしょうね。
高山ではいまがちょうど落下盛ん。
宮川の川面に浮かぶ花筏の下を、鮮やかな緋色の錦鯉が往来しています。
早いもので、私が高山に住みはじめてからこの春でもう7年。
種子島の高校を卒業するときは、進路の件でお姉ちゃんにもお母さんにも
ずいぶん心配をおかけしました。
高山にきてから始めたデザインの仕事もようやく慣れてきた感じです。
ロゴマークをデザインするとき、
いつも弓道の「霞的(かすみまと)」っぽくなっちゃうのが問題だけれど。
海がないからサーフィンはできないけど、
代わりにパウダースノーの中を滑るスノーボードにいまは夢中です。
結局、波が雪に変わっただけかしら。
先週、バイクの免許をとりました。
雪国では、クルマが必須だから、免許をとって小型のSUVも購入したけど
やっぱり私は、風を切って走るのが好き。
高校のときから50ccのカブに乗ってたからかな。
バイクのカブも犬のカブも、もうだいぶん高齢だから心配です。
これから、たまにこうして手紙を書きます。
メールでなく、手紙の方が私は好きだから。
それではまた。
姉上も母上もカブもお元気で。
敬具
SE〜静かな風の音/街角の雑踏
今年もまた桜の季節が通り過ぎていく。
あの人が住む街よりも花時は20日も遅い。
決して埋まらなかった、心の距離のように・・・
知り合いが誰もいない街。
彼が進んだ東京の大学でもなく、地元に残るでもなく、
ここ高山を選んだのは、何ひとつ私の知らない世界だったから。
周りには友達も知り合いもいない。
サーフィンをする海もない。
そしてあの人の、小さく口角をあげる寂しそうな笑顔も、ない。
どうにもならない思いを抱え、残像に恋して生きるより、
自分の人生をリセットする道を、私は選んだ。
今は小さなデザイン事務所で、情報誌のデザインと編集をしている。
SE〜スノボを積む音/エンジンをかける音
いつものようにSUVにスノボを積み、私は今年最後のゲレンデへ向かう。
山から降りてくる粉雪は、季節はずれの風花だろうか。
ゲレンデに着き、(慣れた仕草でスノボを降ろすと、
私はひとりで2人乗りのチェアリフトに乗る。)
頂上に着くと、滑る前に、自販機でお気に入りのカフェラテを購入する。
毎回、必ず決まった銘柄のカフェ・ラテ。
そう。いまはもう、迷わない。
あの頃、いつも飲み物を決められなくて迷っていた私じゃないから。
小さな190mlの缶を一気に飲み干し、ブーツをスノボに装着したとき、
SE〜スマホのバイブ音
未登録の番号から着信がはいった。
え?
まさかこれって・・・
島を出るとき、あの人の電話番号は消去した。
数字の羅列は記憶からも消去されている。
グローブをはずし、持ち替えようとしてとり損ねたスマホは雪の中へ埋没した。
ようやく雪の中から救出したとき、着信はすでに消えていた。
ふっ・・・
そんなはずないのに。
もう7年も経っているのに。
自嘲気味に口の端を歪めて、語尾を繰り返す。
きっと今の自分を鏡で見たら、どうしようもないくらい
恥ずかしい顔をしているだろう。
それは、打ち上げられたロケットが夕闇を割いて照らしたあの日。
あの人の顔が見られなかったあのときと同じように。
SE〜クルマの走行音
あんなことがあったからだろう。
今日はうまく滑ることができなかった。
波に乗れなくなったあの頃の一時期を思い出す。
どうしたんだろう、私。
今日はおかしい。
山を降りて、街まで戻ってきたとき、
信号待ちのフロントグラスに降ってきたのは・・・ひとひらの粉雪。
秒速50センチメートルでやってきた、なごり雪だ。
雪の結晶がとける前に、淡い白に赤色が滲む。
フロントのダッシュボードに置いたスマホ。
着信の赤いランプが光っている。
おそるおそる応答する私の耳にとびこんできたのは、事務所の後輩の声だった。
忘れていた。彼から昨日食事に誘われていたんだ。
スマホごときに怯えていた自分が滑稽に思えて、思わず笑顔で応える。
その瞬間、心の片隅に燻っていたわだかまりはすべて霧散した。やっと、これから、前を向いて歩くことができるかもしれない。
SE〜クルマの走行音
追伸
今度、一度種子島に帰ります。
理由はないけど、急にみんなの顔が見たくなっちゃったから。
お母さんの鶏飯、また食べたいな。
会えるのを楽しみにしています。
秒速50cmとは粉雪が地上に落下するまでの平均速度。種子島から高山へやってきた主人公はデザイン事務所で働く女性。サーフボードをスノーボードに乗り換えて新しい人生を歩み始める・・・(CV:桑木栄美里)
<ストーリー>
拝啓 姉上さま
ごぶさたしています。
お元気ですか?
カブも元気にしていますか?
種子島ではずいぶん前に桜の季節は終わっているのでしょうね。
高山ではいまがちょうど落下盛ん。
宮川の川面に浮かぶ花筏の下を、鮮やかな緋色の錦鯉が往来しています。
早いもので、私が高山に住みはじめてからこの春でもう7年。
種子島の高校を卒業するときは、進路の件でお姉ちゃんにもお母さんにも
ずいぶん心配をおかけしました。
高山にきてから始めたデザインの仕事もようやく慣れてきた感じです。
ロゴマークをデザインするとき、
いつも弓道の「霞的(かすみまと)」っぽくなっちゃうのが問題だけれど。
海がないからサーフィンはできないけど、
代わりにパウダースノーの中を滑るスノーボードにいまは夢中です。
結局、波が雪に変わっただけかしら。
先週、バイクの免許をとりました。
雪国では、クルマが必須だから、免許をとって小型のSUVも購入したけど
やっぱり私は、風を切って走るのが好き。
高校のときから50ccのカブに乗ってたからかな。
バイクのカブも犬のカブも、もうだいぶん高齢だから心配です。
これから、たまにこうして手紙を書きます。
メールでなく、手紙の方が私は好きだから。
それではまた。
姉上も母上もカブもお元気で。
敬具
SE〜静かな風の音/街角の雑踏
今年もまた桜の季節が通り過ぎていく。
あの人が住む街よりも花時は20日も遅い。
決して埋まらなかった、心の距離のように・・・
知り合いが誰もいない街。
彼が進んだ東京の大学でもなく、地元に残るでもなく、
ここ高山を選んだのは、何ひとつ私の知らない世界だったから。
周りには友達も知り合いもいない。
サーフィンをする海もない。
そしてあの人の、小さく口角をあげる寂しそうな笑顔も、ない。
どうにもならない思いを抱え、残像に恋して生きるより、
自分の人生をリセットする道を、私は選んだ。
今は小さなデザイン事務所で、情報誌のデザインと編集をしている。
SE〜スノボを積む音/エンジンをかける音
いつものようにSUVにスノボを積み、私は今年最後のゲレンデへ向かう。
山から降りてくる粉雪は、季節はずれの風花だろうか。
ゲレンデに着き、(慣れた仕草でスノボを降ろすと、
私はひとりで2人乗りのチェアリフトに乗る。)
頂上に着くと、滑る前に、自販機でお気に入りのカフェラテを購入する。
毎回、必ず決まった銘柄のカフェ・ラテ。
そう。いまはもう、迷わない。
あの頃、いつも飲み物を決められなくて迷っていた私じゃないから。
小さな190mlの缶を一気に飲み干し、ブーツをスノボに装着したとき、
SE〜スマホのバイブ音
未登録の番号から着信がはいった。
え?
まさかこれって・・・
島を出るとき、あの人の電話番号は消去した。
数字の羅列は記憶からも消去されている。
グローブをはずし、持ち替えようとしてとり損ねたスマホは雪の中へ埋没した。
ようやく雪の中から救出したとき、着信はすでに消えていた。
ふっ・・・
そんなはずないのに。
もう7年も経っているのに。
自嘲気味に口の端を歪めて、語尾を繰り返す。
きっと今の自分を鏡で見たら、どうしようもないくらい
恥ずかしい顔をしているだろう。
それは、打ち上げられたロケットが夕闇を割いて照らしたあの日。
あの人の顔が見られなかったあのときと同じように。
SE〜クルマの走行音
あんなことがあったからだろう。
今日はうまく滑ることができなかった。
波に乗れなくなったあの頃の一時期を思い出す。
どうしたんだろう、私。
今日はおかしい。
山を降りて、街まで戻ってきたとき、
信号待ちのフロントグラスに降ってきたのは・・・ひとひらの粉雪。
秒速50センチメートルでやってきた、なごり雪だ。
雪の結晶がとける前に、淡い白に赤色が滲む。
フロントのダッシュボードに置いたスマホ。
着信の赤いランプが光っている。
おそるおそる応答する私の耳にとびこんできたのは、事務所の後輩の声だった。
忘れていた。彼から昨日食事に誘われていたんだ。
スマホごときに怯えていた自分が滑稽に思えて、思わず笑顔で応える。
その瞬間、心の片隅に燻っていたわだかまりはすべて霧散した。やっと、これから、前を向いて歩くことができるかもしれない。
SE〜クルマの走行音
追伸
今度、一度種子島に帰ります。
理由はないけど、急にみんなの顔が見たくなっちゃったから。
お母さんの鶏飯、また食べたいな。
会えるのを楽しみにしています。