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たった500円の優しさが、誰かの人生を変えることがある。
漢方薬剤師・よもぎと、医学生・楸の出会い。
龍宮淵に響く、母の愛と、再生の物語。
【ペルソナ】
・よもぎ(29歳/CV:蓬坂えりか)=カフェ「よもぎ」オーナー。漢方薬剤師。月に一回程度、高山市街地で買い出しやショッピングを楽しむが、そのときに楸と出会う
・楸=シュウ(22歳/CV:日比野正裕)=歴史好きな医学生。御岳町の旧家出身。幼い頃に失くした母は漢方薬に頼り西洋医学の治療を受けなかった。そのせいで命を落としたと思い込んでいる。その反動で医学を学び、医者を目指す。歴史・伝承・伝説が好きなのは母の影響。
・魚屋のおばちゃん(妙齢/CV:小椋美織)=市街地の魚屋で旬の食材を扱う。この時期は北陸の海産物。棒鱈や煮いかを売っている。店先には赤い煮いかをズラリと吊り下げている
【プロローグ:出会い/高山市街地】
◾️SE:高山市街地・朝のざわめき
「あ、あれ?あれ〜っ!?
足りない・・・
現金持ってきてたはずなのに!」
『よもぎちゃん。ええて、ええて。
また今度ようけ買ってえな』
「あかんて、おばちゃん」
『次、来るときはもうないで。
煮いかも棒鱈(ぼうだら)も』
白い湯気の中。
豪快に吊るされた真っ赤な「煮いか」。
漢方でイカは、『血(けつ)を補う薬膳』。
女性に不足しがちな鉄分を補って、月経トラブルやめまいをケアする。
あ、誤解のないように言っておくけど・・
薬膳カフェで使うよもぎやクロモジは、すべて朝日町の薬草よ。
月イチで市街地に行く目的は、新鮮な海産物や加工品。
知らない人もいるけど、高山ってお魚が美味しいって有名なのよ。
だって、北へ行けば日本海ですもんね。
江戸時代、日本海のブリを運んだぶり街道だって・・
ああ、寒鰤食べたくなってきちゃった。
鰤は寒さから体を守って『腎』を養うし・・
『よもぎちゃん。わかった?』
「え?
あ・・・ごめんなさい!
やっぱり、煮いかはやめとくわ。
カタクチイワシにする。なら、お金足りるよね?」
『ほんなら、両方持ってけ』
「あかんて、それは」
『ええんやて』
「あかん・・」
「ええて」
おばちゃんとの無限ラリー。
その間を割るように覗き込んできたのは・・・
「あのう・・・」
皮ジャンを着た男の人。品の良さそうな顔立ち。
「よかったら、これ使っていただけませんか・・・」
そう言って500円玉をおばちゃんの手のひらに。
「おやまあ」
「結構です。
見ず知らずの方にそんなこと・・」
「いや、さきほどからの会話、ちょっと聴こえちゃったんで・・・」
「あ、いえ。大丈夫ですから・・」
「これは、ペイ・フォワード。
もし誰か困ってる人がいたら、あなたも同じことをするでしょ・・・」
「あ、ちょっと・・」
「じゃ、よい旅を・・」
そう言い残して立ち去った。
私は慌てて体を起こす。
「まあ〜。男前やねえ」
「おばちゃん、お金と煮いか、あずかっといて。
私、ちょっとあたりを探してくるわ」
「ああ。転ばんように気ィつけて」
どこ行った?
必死で走って彼をさがす。
それでも、人混みのなか、彼を見つけることはできなかった。
肩を落として店に戻ると・・・
「やあ」
「え?」
「おお。ちょうどよかったわ」
彼がおばちゃんと話をしている。
「このにいさん、さっきの煮いかを思い出してな、
自分も欲しくなったんやと」
「どうしたんですか?そんなに慌てて」
「あなたを探してたのよ!」
あ・・いけない。
つい口調が・・・
「そしゃ決まりやな。この500円はおばちゃんが預かっとく。
よもぎちゃん、煮いかとカタクチイワシは持ってけ。
その代わり、このお兄さんに、あんたの店でランチでもご馳走してあげるんやさ」
「お店やってるんですか」
「あ、はい・・いえ、でも、うちの店は朝日町(あさひちょう)よ」
「朝日町・・・」
「バスの本数も少ないし・・」
「ボクはバイクだから大丈夫です」
「ほおか」
「それに・・・
明日、朝日町に行くつもりだったんです」
「うそでしょ」
「いえ。ホントに。
僕、歴史とか民話が大好きで、
秋神ダムの底に沈んだ小瀬ヶ洞(おぜがほら)の歴史とか、
龍宮淵の伝説を知りたいと思ってました。
あ、そうそう。美女ヶ池の八尾比丘尼も」
急に饒舌になった彼を見て、またおばちゃんが笑う。
「こら、ちょうどええわ。
どうや。
こういうのをさっきのほら、ペイペイ・・とかなんとか言うんやろ」
「ペイ・フォワード」
「そうそう。それそれ」
結局、おばちゃんの強引な説得で
彼との再会が決まってしまった。
煮いかを持って笑う彼を見ていると、
”ま、いいかな”・・とも思っちゃうんだけど・・
「春やなあ。
2人とも煮いかより真っ赤な顔して」
「おばちゃん!」
「ありがとうございました!」
おばちゃんは独り言を言いながら、預かった500円玉を大切にレジにしまう。
陽は少し高くなり、市街地の賑わいは増していった。
[シーン1:不穏/カフェ「よもぎ」】
◾️SE:カフェの店内(コーヒーを煎れる音)〜カフェベルの音
「いらっしゃいませ・・・あ・・」
「あ・・早すぎましたか?」
「いえ、大丈夫です。ちょうど、昨日の煮いかを小鉢に盛り付けてるとこ。昨夜甘酢にくぐらせて寝かせておいたの。
ちょっとだけ待っててくださいね」
「あ、はい」
「どうぞ、お好きな席へ。
といっても、席数、そんなにないですけど、ふふ」
「ありがとうございます・・」
なんか、昨日会ったときと雰囲気が違うかも。
こんな・・シャイな青年だったっけ?
彼は窓側の席に腰を下ろすと、怪訝な表情をした。
「あれ・・この匂い・・?」
「はい、よもぎ団子です。
いま蒸しているところ。
いい香りでしょ」
「あ・・あの・・・」
「どうかしました?」
「ここって・・・」
「あ、はい。薬膳をお出しするカフェです。
薬膳カフェ『よもぎ』。
昨日言いませんでしたね」
「ぼ、ぼく、ちょっと・・急用を思い出しちゃって・・」
「え?」
「ま、また来ます」
「あ、ちょっと」
「ご、ごめんなさい!」
◾️SE:扉を閉めて出て行く音〜カフェベルの音
思い詰めたような表情で彼はお店を出ていった。
私は手を止めてキッチンからフロアへ。
店内に小さく響くバイクのアイドリング。
表へ飛び出すと、彼はサイドスタンドを勢いよく蹴り上げた。
フルフェイスのシールド越し、わずかに首を振る。
「待って!」
私の声は、厚みのある排気音に吸い込まれて消えた。
[シーン2:秋神ダム】
◾️SE:車のエンジンをかける音〜走り出す
美女ヶ池か、秋神ダムか・・・
彼は昨日、歴史とか民話が好きだって言ってた。
だとすると、どちらか・・
先に下りちゃうよりも、秋神ダムへ行ってみよう。
秋神ダムに興味あるって言ってたし。
店を出るときの彼のあの表情。
どうしても気になっちゃって・・・
ランチの時間が終わるとすぐ、おばあちゃんにお留守番をお願いした。
秋神方面へ車を走らせる。
まずは秋神ダムへ。
この時期なら予備放流してるかも。
うまくいけばダムに沈んだ集落が見られるはず。
歴史とかに興味があるなら・・
ってこれ、私だけの感覚かな。
◾️SE:小鳥のさえずり〜ダム湖のイメージ
秋神ダムのほとりにある「あさひふるさとの森」。
人気(ひとけ)の少ない平日のコテージは静まり返っている。
彼の姿は・・・
ない。
駐車場に車を停めて、湖が見えるところまで歩いていく。
すると・・・
「・・・あ、いた」
ダムの上の道。
石碑の前から湖を眺めている。
ああ。(※小さな気づき)
湖面の下にある「小瀬ヶ洞(おぜがほら)」。
湖の底に眠る集落の跡を見ているんだ。
私は、ゆっくりと歩を進める。
管理棟の横には、蒲田の力持石(かまたの ちからもちいし)。
蒲田は、かつてこの地にあった、小瀬ヶ洞(おぜがほら)集落の字名(あざめい)。
少し歩けば、ほどなくダムの最上部へ。
歩道まで出ると・・
彼は、ちょうど真ん中あたりから湖を眺めている。
一歩足を踏み出したとき・・
「あ・・・」
突然振り返った彼と、まともに目が合った。
「さっきは・・」
「ごめんなさい!」
私の言葉を遮って、歩きながら喋り続ける。
「いま、あなたのところへ行こうと思ってました!」
「え?」
「大変失礼な態度をとってしまいました!
本当にごめんなさい!」
「いえ、そんな・・」
「あの、実は・・・」
そう言って語り出したのは、ものすごく切ないお話。
その前に・・・
彼の名は、楸。
木編に秋、と書いて「シュウ」。
お母様が命名したんだって。
楸は東京の医大生。
医師を目指して勉強中の四年生だという。
22歳ってことね。
ソロツーリング?って言うのかしら。
御嵩から高山へバイクで来ているらしい。
昨日言っていたように、町の歴史や民話を集めるのが趣味なんだって。
少しシャイで、真面目な好青年。
だけど、楸にはトラウマがあった。
それが、お母様のお話。
彼の実家は、御嵩の旧家。
江戸時代には、中山道の宿場町で旅籠を営み、富を築いたという。いまでは山林を所有し、管理する、地域きっての名家だ。楸が敬愛していたのは、地元の名士であるお父様ではなく、お母様。
歴史好きは、民話や伝承を愛したお母様の影響だった。
お母様がこの世を去ったのは、彼がまだ幼い頃。
病院での治療を頑なに拒み、
漢方に頼り、最期まで薬草の力を信じ続けたという。
「漢方が、母さんの命を奪ったんだ」
※続きは音声でお楽しみください。
By Ks(ケイ)、湯浅一敏、飛騨・高山観光コンベンション協会たった500円の優しさが、誰かの人生を変えることがある。
漢方薬剤師・よもぎと、医学生・楸の出会い。
龍宮淵に響く、母の愛と、再生の物語。
【ペルソナ】
・よもぎ(29歳/CV:蓬坂えりか)=カフェ「よもぎ」オーナー。漢方薬剤師。月に一回程度、高山市街地で買い出しやショッピングを楽しむが、そのときに楸と出会う
・楸=シュウ(22歳/CV:日比野正裕)=歴史好きな医学生。御岳町の旧家出身。幼い頃に失くした母は漢方薬に頼り西洋医学の治療を受けなかった。そのせいで命を落としたと思い込んでいる。その反動で医学を学び、医者を目指す。歴史・伝承・伝説が好きなのは母の影響。
・魚屋のおばちゃん(妙齢/CV:小椋美織)=市街地の魚屋で旬の食材を扱う。この時期は北陸の海産物。棒鱈や煮いかを売っている。店先には赤い煮いかをズラリと吊り下げている
【プロローグ:出会い/高山市街地】
◾️SE:高山市街地・朝のざわめき
「あ、あれ?あれ〜っ!?
足りない・・・
現金持ってきてたはずなのに!」
『よもぎちゃん。ええて、ええて。
また今度ようけ買ってえな』
「あかんて、おばちゃん」
『次、来るときはもうないで。
煮いかも棒鱈(ぼうだら)も』
白い湯気の中。
豪快に吊るされた真っ赤な「煮いか」。
漢方でイカは、『血(けつ)を補う薬膳』。
女性に不足しがちな鉄分を補って、月経トラブルやめまいをケアする。
あ、誤解のないように言っておくけど・・
薬膳カフェで使うよもぎやクロモジは、すべて朝日町の薬草よ。
月イチで市街地に行く目的は、新鮮な海産物や加工品。
知らない人もいるけど、高山ってお魚が美味しいって有名なのよ。
だって、北へ行けば日本海ですもんね。
江戸時代、日本海のブリを運んだぶり街道だって・・
ああ、寒鰤食べたくなってきちゃった。
鰤は寒さから体を守って『腎』を養うし・・
『よもぎちゃん。わかった?』
「え?
あ・・・ごめんなさい!
やっぱり、煮いかはやめとくわ。
カタクチイワシにする。なら、お金足りるよね?」
『ほんなら、両方持ってけ』
「あかんて、それは」
『ええんやて』
「あかん・・」
「ええて」
おばちゃんとの無限ラリー。
その間を割るように覗き込んできたのは・・・
「あのう・・・」
皮ジャンを着た男の人。品の良さそうな顔立ち。
「よかったら、これ使っていただけませんか・・・」
そう言って500円玉をおばちゃんの手のひらに。
「おやまあ」
「結構です。
見ず知らずの方にそんなこと・・」
「いや、さきほどからの会話、ちょっと聴こえちゃったんで・・・」
「あ、いえ。大丈夫ですから・・」
「これは、ペイ・フォワード。
もし誰か困ってる人がいたら、あなたも同じことをするでしょ・・・」
「あ、ちょっと・・」
「じゃ、よい旅を・・」
そう言い残して立ち去った。
私は慌てて体を起こす。
「まあ〜。男前やねえ」
「おばちゃん、お金と煮いか、あずかっといて。
私、ちょっとあたりを探してくるわ」
「ああ。転ばんように気ィつけて」
どこ行った?
必死で走って彼をさがす。
それでも、人混みのなか、彼を見つけることはできなかった。
肩を落として店に戻ると・・・
「やあ」
「え?」
「おお。ちょうどよかったわ」
彼がおばちゃんと話をしている。
「このにいさん、さっきの煮いかを思い出してな、
自分も欲しくなったんやと」
「どうしたんですか?そんなに慌てて」
「あなたを探してたのよ!」
あ・・いけない。
つい口調が・・・
「そしゃ決まりやな。この500円はおばちゃんが預かっとく。
よもぎちゃん、煮いかとカタクチイワシは持ってけ。
その代わり、このお兄さんに、あんたの店でランチでもご馳走してあげるんやさ」
「お店やってるんですか」
「あ、はい・・いえ、でも、うちの店は朝日町(あさひちょう)よ」
「朝日町・・・」
「バスの本数も少ないし・・」
「ボクはバイクだから大丈夫です」
「ほおか」
「それに・・・
明日、朝日町に行くつもりだったんです」
「うそでしょ」
「いえ。ホントに。
僕、歴史とか民話が大好きで、
秋神ダムの底に沈んだ小瀬ヶ洞(おぜがほら)の歴史とか、
龍宮淵の伝説を知りたいと思ってました。
あ、そうそう。美女ヶ池の八尾比丘尼も」
急に饒舌になった彼を見て、またおばちゃんが笑う。
「こら、ちょうどええわ。
どうや。
こういうのをさっきのほら、ペイペイ・・とかなんとか言うんやろ」
「ペイ・フォワード」
「そうそう。それそれ」
結局、おばちゃんの強引な説得で
彼との再会が決まってしまった。
煮いかを持って笑う彼を見ていると、
”ま、いいかな”・・とも思っちゃうんだけど・・
「春やなあ。
2人とも煮いかより真っ赤な顔して」
「おばちゃん!」
「ありがとうございました!」
おばちゃんは独り言を言いながら、預かった500円玉を大切にレジにしまう。
陽は少し高くなり、市街地の賑わいは増していった。
[シーン1:不穏/カフェ「よもぎ」】
◾️SE:カフェの店内(コーヒーを煎れる音)〜カフェベルの音
「いらっしゃいませ・・・あ・・」
「あ・・早すぎましたか?」
「いえ、大丈夫です。ちょうど、昨日の煮いかを小鉢に盛り付けてるとこ。昨夜甘酢にくぐらせて寝かせておいたの。
ちょっとだけ待っててくださいね」
「あ、はい」
「どうぞ、お好きな席へ。
といっても、席数、そんなにないですけど、ふふ」
「ありがとうございます・・」
なんか、昨日会ったときと雰囲気が違うかも。
こんな・・シャイな青年だったっけ?
彼は窓側の席に腰を下ろすと、怪訝な表情をした。
「あれ・・この匂い・・?」
「はい、よもぎ団子です。
いま蒸しているところ。
いい香りでしょ」
「あ・・あの・・・」
「どうかしました?」
「ここって・・・」
「あ、はい。薬膳をお出しするカフェです。
薬膳カフェ『よもぎ』。
昨日言いませんでしたね」
「ぼ、ぼく、ちょっと・・急用を思い出しちゃって・・」
「え?」
「ま、また来ます」
「あ、ちょっと」
「ご、ごめんなさい!」
◾️SE:扉を閉めて出て行く音〜カフェベルの音
思い詰めたような表情で彼はお店を出ていった。
私は手を止めてキッチンからフロアへ。
店内に小さく響くバイクのアイドリング。
表へ飛び出すと、彼はサイドスタンドを勢いよく蹴り上げた。
フルフェイスのシールド越し、わずかに首を振る。
「待って!」
私の声は、厚みのある排気音に吸い込まれて消えた。
[シーン2:秋神ダム】
◾️SE:車のエンジンをかける音〜走り出す
美女ヶ池か、秋神ダムか・・・
彼は昨日、歴史とか民話が好きだって言ってた。
だとすると、どちらか・・
先に下りちゃうよりも、秋神ダムへ行ってみよう。
秋神ダムに興味あるって言ってたし。
店を出るときの彼のあの表情。
どうしても気になっちゃって・・・
ランチの時間が終わるとすぐ、おばあちゃんにお留守番をお願いした。
秋神方面へ車を走らせる。
まずは秋神ダムへ。
この時期なら予備放流してるかも。
うまくいけばダムに沈んだ集落が見られるはず。
歴史とかに興味があるなら・・
ってこれ、私だけの感覚かな。
◾️SE:小鳥のさえずり〜ダム湖のイメージ
秋神ダムのほとりにある「あさひふるさとの森」。
人気(ひとけ)の少ない平日のコテージは静まり返っている。
彼の姿は・・・
ない。
駐車場に車を停めて、湖が見えるところまで歩いていく。
すると・・・
「・・・あ、いた」
ダムの上の道。
石碑の前から湖を眺めている。
ああ。(※小さな気づき)
湖面の下にある「小瀬ヶ洞(おぜがほら)」。
湖の底に眠る集落の跡を見ているんだ。
私は、ゆっくりと歩を進める。
管理棟の横には、蒲田の力持石(かまたの ちからもちいし)。
蒲田は、かつてこの地にあった、小瀬ヶ洞(おぜがほら)集落の字名(あざめい)。
少し歩けば、ほどなくダムの最上部へ。
歩道まで出ると・・
彼は、ちょうど真ん中あたりから湖を眺めている。
一歩足を踏み出したとき・・
「あ・・・」
突然振り返った彼と、まともに目が合った。
「さっきは・・」
「ごめんなさい!」
私の言葉を遮って、歩きながら喋り続ける。
「いま、あなたのところへ行こうと思ってました!」
「え?」
「大変失礼な態度をとってしまいました!
本当にごめんなさい!」
「いえ、そんな・・」
「あの、実は・・・」
そう言って語り出したのは、ものすごく切ないお話。
その前に・・・
彼の名は、楸。
木編に秋、と書いて「シュウ」。
お母様が命名したんだって。
楸は東京の医大生。
医師を目指して勉強中の四年生だという。
22歳ってことね。
ソロツーリング?って言うのかしら。
御嵩から高山へバイクで来ているらしい。
昨日言っていたように、町の歴史や民話を集めるのが趣味なんだって。
少しシャイで、真面目な好青年。
だけど、楸にはトラウマがあった。
それが、お母様のお話。
彼の実家は、御嵩の旧家。
江戸時代には、中山道の宿場町で旅籠を営み、富を築いたという。いまでは山林を所有し、管理する、地域きっての名家だ。楸が敬愛していたのは、地元の名士であるお父様ではなく、お母様。
歴史好きは、民話や伝承を愛したお母様の影響だった。
お母様がこの世を去ったのは、彼がまだ幼い頃。
病院での治療を頑なに拒み、
漢方に頼り、最期まで薬草の力を信じ続けたという。
「漢方が、母さんの命を奪ったんだ」
※続きは音声でお楽しみください。