小山ナザレン教会

不確かに見える、確かな言葉(稲葉基嗣) – ヨハネ 4:43−54


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2024年5月12日 復活節第7主日

説教題:不確かに見える、確かな言葉

聖書:ヨハネによる福音書 4:43−54、創世記 1:1−13、ヘブライ人への手紙 11:1–3、詩編 19

説教者:稲葉基嗣


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目に見える象徴やシンボルはとても大切なものです。


わたしたちが信じているものや、頼りにしているものが何であるのかを

目に見える形で示してくれるからです。


イエスさまが不思議な業や奇跡を行った大きな理由は、

人びとが神と出会い、神を見つめるためでした。


けれども、イエスさまによるしるしや不思議な業を見た人びとの目は、

そのしるしや不思議に留まったままで、神に向くことがありませんでした。


そのため、イエスさまはこのとき、不思議な業や奇跡を行わず、

この役人にイエスさまが語りかける言葉を信じるようにと、励ましました。


王の役人と紹介されている彼は、財産も権力も人脈も十分に持つ人でした。


社会的に高い地位を持つ彼ならば、この当時の文化で病を癒すために、

考えられていた手段をいくらでも試すことができました。


けれど、彼はイエスさまのもとに来ました。


彼にとって、自分が積み重ねてきたものは何の頼りにもなりませんでした。


だから、噂で耳にするようになったイエスさまの存在が、

彼にとって最後の頼みの綱となったのかもしれません。


けれども、イエスさまのもとに来たとき、彼は目に見える、信頼できる保証を

イエスさまから受け取ることは出来ませんでした。


目に見える保証もなく、ただイエスさまの口から彼に向かって語られたこの一言を

彼は最後に頼るべきものとして信じ、受け止め、自分の家へと帰って行きました。


不確かに思える約束の言葉を信じて、家へ向かう途中、彼はしもべと出会い、

自分の息子が良くなったという知らせを受け取りました。


不確かに思えたイエスさまの言葉が、

他の何よりも確かなものであることを彼は知ることになりました。


この役人が歩んだ旅路はまるで、わたしたちの信仰の旅路のようです。


彼はイエスさまの確かな言葉を信じながらも、

その言葉や自分の将来に対する不確かさを抱きながら、歩んでいるからです。


神はわたしたちの生涯を通じて、わたしたちに何度も語りかけてくださる方です。


わたしたちがどれほど過ちを犯し、どれほど自分を赦せなかったとしても、

あなたは神に愛され、神に赦されていると、神はわたしたちに語り続けています。


また、神が語りかける声は、わたしたちの人生の終着点は、死ではないと伝えます。


人の語る言葉として受け止めるならば、それはとても不確かな旅路といえます。


でも、わたしたちが受け止めるその言葉には命があり、わたしたちを生かします。


闇の中に、「光あれ」と語りかけた神が、きょうもわたしたちに語り続けています。

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