小山ナザレン教会

誠実さをもって生きる(稲葉基嗣) – マタイ 1:1-6a


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2025年11月30日 待降節第1主日

説教題:誠実さをもって生きる

聖書: マタイによる福音書 1:1-6a、創世記 38:12–26、詩編 122、ローマの信徒への手紙 13:11–14

説教者:稲葉基嗣

 

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詐欺師やいたずらする人という意味の、トリックスターという言葉があります。物語に登場するトリックスターは、誰かを騙したり、出し抜いたりすることによって、物語に転換点を提供するような重要な役割を担います。タマルは、そのひとりです。二人の夫を亡くしたタマルは、古代イスラエルの制度に従って、死んだ夫の弟である三男が彼女の新しい夫となるはずでした。しかし、義理の父であるユダは、タマルが三男と結婚することをゆるしません。ユダの決断は、ユダの家の保護の外にタマルが置かれることに等しいことでした。自分の置かれている辛い状況を何とか改善し、未来を切り拓いていくために、タマルは遊女のふりをしてユダの前に現れ、自分の身体を差し出すことによって、彼女はユダとの間に子どもを得ました。ユダを騙し、出し抜き、ユダの子どもをお腹に宿すことによって、彼女はユダの家族の中に自分の居場所を確保し、将来の安全を勝ち取りました。正直、タマルについてのこの物語は、現代に生きる私たちにとって、「倫理的にどうなの?」と、問いかけたくなる物語です。けれども、力のない人たちにとって、トリックスターの物語は現実へのささやかな抵抗と希望を与えるような物語でした。すべての人の救い主として私たちのもとに来てくださった、イエスさまの系図の中に、トリックスターであるタマルの名前があります。彼女の目の前に、誠実さを選び取るというような選択肢はありませんでした。騙し、出し抜き、自分を犠牲とするしか、彼女が生き抜く道はありませんでした。本当は、誰も騙さず、出し抜くことなく、誠実に生きたい。でも、誠実には生きられない。それがタマルが歩んでいた道です。このタマルの物語はまるで、この世界の罪や人間の悪に、何とかもがいて生きている私たちやこの世界を映し出しているかのようです。マタイ福音書の系図は、タマルの名前の先に、イエス・キリストがいます。それはまるで、イエスさまが、そんな私たちの思いや嘆きをすべて受け止めてくれることを描いているかのようです。この社会の悪や、人間の罪に翻弄され、誠実に生きる道を選び取りきれない。そんなタマルや私たち一人ひとりをイエスさまは受け止めてくださっています。誠実さを失い、罪にまみれた状況の中で生きる私たちを救い出すために、イエスさまは来てくださいました。イエス・キリストは私たちにとっての希望です。私たちが誠実さをもってこの世界で生きる道を備え、いつも指し示してくださっているからです。

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