ビジネスとITの架け橋:グローバルITリーダーの軌跡
私はIT業界において、特にクラウドとネットワーキングの業界で25年ほど仕事をしております。就職したのは、インターネットの機能がウインドウズに実装されたウインドウズ95がリリースされた1995年になります。
私が大学4年生になった時にネットワークの可能性を非常に感じて、米の情報通信会社AT&Tに入社する形になりました。その後、帰国したのち、ネットワークストレージ仮想化のベンダーに転職をしました。転職理由はもちろん、その会社のテクノロジーに感銘を受けたのですが、この先SEとしてではなく、ビジネスマンとしてどこまで自分が通用するか試したくて、あえて小さい会社を選びました。
その後、ネットワークのベンダーで約8年仕事をさせていただき、そこでは数10名規模のマネージメントだったり、企業買収後のインテグレーションなども経験をさせていただきました。直近、前職の会社になるのですが、VMwareという会社に12年ほど勤務をしておりました。
私自身、かなりケイパビリティとしてもできることが増えてきたので、本当にいろいろな経験をさせていただきました。
大きく2つ挙げると、一つはAPJ(日本を含むアジア太平洋地域)のグローバルアカウント、いわゆる日本と韓国、インド、オーストラリアなど、グローバルのラージエンタープライズのお客様を担当するソリューションコンサルタントのチームをリードさせていただきました。
最後は日本のトップ20社ほどのお客様を担当させていただきまして、いわゆるITの価値をビジネスの価値に変換して提案を進めていくようなチームのリードをさせていただきました。そこではエグゼクティブメンバーの一人として、お客様ならびにパートナー様のご支援をさせていただいた形になっております。
ミッションクリティカルな成功事例:日本のITがアジアにも波及
米国初の革新的なソリューションをより早く、日本やアジアのお客様、パートナー様に納入いただくようなプロジェクトをソリューションコンサルタントとして数多くリードしてきました。
そのような中で、やはりお客様のアジリティの向上、ITをより効率的に運用するような仕組みであったり、さらにはROI の向上、ITのパートナー様へは、先駆者利益の最大化みたいなところに貢献できたのではないかと考えております。
また、よく日本のITは欧米に比べると遅れているようなことも言われるかと思いますが、日本で導入したシステム、それをさらに日本に合った形で導入したものを海外、アジアに展開することもやらせていただきました。
やはり、ミッションクリティカルなシステムに関しては、「日本の事例というものがアジアで非常に通用するものだというものも強く感じた次第です。」そんなような形で、日本のビジネスの成長の金字塔といいますか、いわゆるその「リファレンスケース」になるようなプロジェクトに携われたことで、お客様のITの高度化みたいなところに少なからず貢献できたのではないかと考えております。
前例のない導入であったり、一番規模の大きなプロジェクトを遂行するにあたり、テクノロジー的には実現できると考えていても、顧客の導入事例や実績があるかみたいなところが重視されるので、なかなか簡単には進めることができない状況ではありました。
そのような中、ソリューションやテクノロジーの詳細をお客様にご説明差し上げるような機会を多く持ちました。もちろん、新しいソリューションになりますので、米国の開発のメンバーを入れて直接話をする形になるのですが、やはり私自身が今テクノロジーをキャッチアップできているのも、「お客様と一緒に新しいソリューションやテクノロジーを正しく理解する機会を持ち続けられた」というところが非常に大きいのかなと考えております。
また、海外との関係性の構築に関してお話をさせていただきますと、私の考えのベースとしては本社側も日本のお客様であったり、日本のビジネスのことは気にはしていただけているとは思うのですが、やはりこちらからアプローチしないと理解にまでは至ってないと思うんです。
日本人の方って「日本は特有だから」ということで、特にアプローチをしないような事も多々見えているのですが、まずは「日本を正しく理解してもらう」ということで、私自身もビジネスプランを持