
Sign up to save your podcasts
Or


芦田宏直氏の論攷、デカルト的「主観」と「確実性」については、デカルトの「我思う故に我あり」によって確立された主観の概念に焦点を当てています。この主観は、ギリシャ哲学の「基体」(hypokeimenon)に由来し、中世の「救いの確実性」に代わる、「明晰判明な確実性」として真理の基盤となったと説明されています。デカルト的なこの確実性は、後の行動主義やサイバネティクスといった分野における学問統合の動機となり、認識と対象の一致を重視する真理論の前面化を促しました。最終的に、ウィーナーのサイバネティクスは、この命題論的な一致を超え、予測と実際の行動に基づくシステムへと概念が変化していく様子も示唆されています。
By Hironao Ashida芦田宏直氏の論攷、デカルト的「主観」と「確実性」については、デカルトの「我思う故に我あり」によって確立された主観の概念に焦点を当てています。この主観は、ギリシャ哲学の「基体」(hypokeimenon)に由来し、中世の「救いの確実性」に代わる、「明晰判明な確実性」として真理の基盤となったと説明されています。デカルト的なこの確実性は、後の行動主義やサイバネティクスといった分野における学問統合の動機となり、認識と対象の一致を重視する真理論の前面化を促しました。最終的に、ウィーナーのサイバネティクスは、この命題論的な一致を超え、予測と実際の行動に基づくシステムへと概念が変化していく様子も示唆されています。