流れのほとりに

悪循環を断ち切るイエス(マルコの福音書6章45節~56節)


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序)素晴らしい瞬間にも残る問題

・5000人の男たちに愛される食事体験を与える奇跡に参加した弟子たちに、休息の必要性は残っていた。

1)主イエスの「無理やり」その理由~岸辺でもたつく弟子たち~

・「無理やり」したのは「舟に乗りこませる」ことと「先に行かせる」こと。→「向こう岸のベツサイダ」に明るいうちに移動させ、休ませる意図。

・けれども、弟子たちが抵抗したからこそ「無理やり」することになった。 →弟子たちが、この奇跡の食事からさらにすごいことを期待した可能性。 →イエス様を置いて、自分たちだけで行くことはできないという義理人情。

・46 節「彼らに別れを告げる」の「彼ら」は弟子たちの可能性大。群衆の解散が終わっても、弟子たちは岸辺にとどまっていた。 →タイミング悪く向かい風となり、休息と静まりがさらに遠のく悪循環。

2)主イエスの知恵ある生き方~祈りのために山へ~

・静まりと休息なしに動き続ければ、働きの効率もパフォーマンスも落ち、終わらない仕事の前に、静まりと休息は遠のく。怠けることも問題だが、休めないことも問題である。(伝道者の書 10:10 参照)

・神の国の何たるかを悟らない群衆も、漕ぎあぐねる弟子たちも放っておいて、ひとり山で祈る主イエスの姿に知恵を見出す。

・休むため、祈るために時間を取るのには、信仰が必要である。 「自分がやらなくても、神様が働いてくださる」が第一原則。

「神様は自分の働きを用いて働いてくださる」が第二原則。

3)悪循環を断ち切るイエス

・弟子たちの状況はイエスが近づくことで変化するが、「そばを通り過ぎるおつもり」とはどういうことか。

→弟子たちが前進できないのは、陸地に置いてきたイエスが気になっていたから。後ろを気にする必要はないことを伝えればよかった。

→弟子たちの行先と、主イエスの行先が違った。主イエスはベツサイダではなく、ゲネサレの地を次の目的地にしていた。

・しかし、主イエスの神的介入に取り乱す弟子。それは「頑なさ」ゆえ。自分の考えのフレームの外に出られないので、成長できない。

・「すぐに=迷いなく」計画を変更する主イエス。しかし、肯定的な応答は出てこない。

結)主イエスの模範にならって

・悪循環を断ち切るのは、静まりと祈りである。主イエスの促しに気づこう。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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