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幸田文のエッセイ「番茶菓子」のあとがきを紹介します。
※幸田文(こうだ あや)明治生まれの小説家・エッセイスト。大正・昭和・平成まで生きた。父は幸田露伴。
思うところあり、幸田文の全集から、いくつかの文章を読み返しています。
わずか1000文字ほどの小文「『番茶菓子』あとがき」が、とても良かったのでご紹介します。
ちなみに『番茶菓子』というのは、いかにも「幸田文」っぽいエッセイ集です。
(以下、引用)
こまかいものは溜まりやすいとおもふ。つとめて溜めるつもりではなくても、いつの間にか 溜まってゐるのだ。小さいものの持つ性格かとおもふ。眼に見えないやうな塵ほこりがまことによく溜まるのは、毎日の掃除で誰もみな経験してゐるし
(中略)
つとめて溜めるのではなくてひとりでに溜まるのだから、きつとさういふ性格なんだらうと思うのだけれど、そこが恐ろしいやうな、やりきれないやうな、又ありがたいやうなものだとも云へる。
この本もそんなものである。いつか溜まってゐたこまかい作文なのである。いつの間にか一冊にもなるほどの分量が溜まってゐたといふのは嬉しかった。そんなにあるとは思ってゐなかったからである。
(中略)
折角そのやうに嬉しかったけれど、それを読みかへしてみると、やはり数より品質のことを思はないわけには行かなかった。鉛筆を入れて直したくなるのだった。
(中略)
しかも「作文とは都合のいゝものだな。 一度書いてもあとから直せる。そこへ行くと時間は一度勝負だ。過ぎた時間は書き直せない」といふ思ひが起きる。直してこそすっきりするやうな気もするし、直さないのが素直なやうでもある。
(中略)
それで、たうとうそのまゝにしておくことにした。いづれも何年かまへに自分の書いたものなのである、なまじつか繕はないほうがいゝ、天日の下では所詮繕ひは見苦しい、と思ふのである。
(引用、以上)
この文章から思い出されるのは、「塵(ちり)も積もれば山となる」。
これは、もともと仏教の言葉なんですね。
「塵」は、ゴミや不要なものではなく、全体を構成する小さなもの、ひとつひとつ。
善きものもあれば、悪しきものもあり、また善し悪しのないものもあります。
それら小さなもの、ひとつひとつが、宇宙や地球や、私たちひとりひとりを満たしているわけです。
「小さなことを、おろそかにしてはダメですよ」というような教訓なのでしょうが、それより「小さなことを、おろそかにしてしまった自分も、大切にしてね」と捉えるのが自然だと思います。
幸田文は、溜まった「こまかいもの」を読み返し、書き「直し」たくなったものの、最後には「直さないのが素直」だから、とうとう「そのまゝ」にしました。
過去の自分を振り返ると、あれもこれも、やり直したいような気持になります。
しかし、あのことも、このことも、取り繕おうとすれば、見苦しいことになります。
そのまま素直に受け入れ、山のように、どっしり構えておけば良いのです。
By TOMOKO幸田文のエッセイ「番茶菓子」のあとがきを紹介します。
※幸田文(こうだ あや)明治生まれの小説家・エッセイスト。大正・昭和・平成まで生きた。父は幸田露伴。
思うところあり、幸田文の全集から、いくつかの文章を読み返しています。
わずか1000文字ほどの小文「『番茶菓子』あとがき」が、とても良かったのでご紹介します。
ちなみに『番茶菓子』というのは、いかにも「幸田文」っぽいエッセイ集です。
(以下、引用)
こまかいものは溜まりやすいとおもふ。つとめて溜めるつもりではなくても、いつの間にか 溜まってゐるのだ。小さいものの持つ性格かとおもふ。眼に見えないやうな塵ほこりがまことによく溜まるのは、毎日の掃除で誰もみな経験してゐるし
(中略)
つとめて溜めるのではなくてひとりでに溜まるのだから、きつとさういふ性格なんだらうと思うのだけれど、そこが恐ろしいやうな、やりきれないやうな、又ありがたいやうなものだとも云へる。
この本もそんなものである。いつか溜まってゐたこまかい作文なのである。いつの間にか一冊にもなるほどの分量が溜まってゐたといふのは嬉しかった。そんなにあるとは思ってゐなかったからである。
(中略)
折角そのやうに嬉しかったけれど、それを読みかへしてみると、やはり数より品質のことを思はないわけには行かなかった。鉛筆を入れて直したくなるのだった。
(中略)
しかも「作文とは都合のいゝものだな。 一度書いてもあとから直せる。そこへ行くと時間は一度勝負だ。過ぎた時間は書き直せない」といふ思ひが起きる。直してこそすっきりするやうな気もするし、直さないのが素直なやうでもある。
(中略)
それで、たうとうそのまゝにしておくことにした。いづれも何年かまへに自分の書いたものなのである、なまじつか繕はないほうがいゝ、天日の下では所詮繕ひは見苦しい、と思ふのである。
(引用、以上)
この文章から思い出されるのは、「塵(ちり)も積もれば山となる」。
これは、もともと仏教の言葉なんですね。
「塵」は、ゴミや不要なものではなく、全体を構成する小さなもの、ひとつひとつ。
善きものもあれば、悪しきものもあり、また善し悪しのないものもあります。
それら小さなもの、ひとつひとつが、宇宙や地球や、私たちひとりひとりを満たしているわけです。
「小さなことを、おろそかにしてはダメですよ」というような教訓なのでしょうが、それより「小さなことを、おろそかにしてしまった自分も、大切にしてね」と捉えるのが自然だと思います。
幸田文は、溜まった「こまかいもの」を読み返し、書き「直し」たくなったものの、最後には「直さないのが素直」だから、とうとう「そのまゝ」にしました。
過去の自分を振り返ると、あれもこれも、やり直したいような気持になります。
しかし、あのことも、このことも、取り繕おうとすれば、見苦しいことになります。
そのまま素直に受け入れ、山のように、どっしり構えておけば良いのです。