小山ナザレン教会

分断を乗り越える宴会へようこそ(稲葉基嗣) – アモス6:1−14


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2023年6月4日  三位一体の主日

聖書:アモス書6:1−14、ルカによる福音書 5:27−32、ヨハネの手紙 一 4:13−16、詩編148

説教題:分断を乗り越える宴会へようこそ

説教者:稲葉基嗣


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【説教要旨】

北王国の人口のほんの一握りであった上流階級の人たちは、自分たちの経済的な成功を喜び、味わうために、宴会を開いていました。

アモスが描く彼らの宴会は、実に贅沢なものでした。アモスはこの宴会を批判しますが、その理由は、この宴会を楽しんでいた彼らが、ヨセフの破滅に心を痛めることがなかったからでした(7節)。ここでは北王国全体を代表して、ヨセフの名が用いられています。北王国が破滅へと向かっているのに、宴会を楽しんでいる彼らは、その事実に気づかないふりをしていました。自分たちが楽しんでいるその贅沢さを削って、苦しんでいる人たちに手を差し伸べようなどと、彼らは考えもしませんでした。このように、北王国で指導的な立場にあった人たちが開いていた宴会は明らかに、北王国の分断の象徴でした。

このような分断は、アモスが批判した後もイスラエルの社会の中にありました。アモスの時代からかなりの時代を経た現代であっても、悲しいことに、人と人の間を引き裂くような出来事がなくなることはありませんでした。実に様々な形でわたしたちの暮らすこの社会には、分断が存在しています。それはまるで、北王国の中で開かれていた分断を象徴した宴会の延長線上にあるような世界です。

ということは、わたしたちが生きる世界は、そういう世界なのだと受け止めて、希望など抱かずに、諦めて暮らしていかなければいけないのでしょうか。いいえ、それとは真逆の宴会がイエスさまのために開かれたことを福音書の物語は喜ばしい知らせとして伝えているではありませんか。

イエスさまが共に座ってくださる宴会は、徴税人が招かれたパーティでした。イエスさまは、罪人とみなされていた人たちも、病人も、別け隔てなく、その宴会へと招く方でした。イエスさまが招く天の国の宴会は、わたしたち人間が作り出してしまうような分断を乗り越えて、手と手を結び合わせるような可能性を持つものでした。その喜ばしいパーティに、みなさんはもう既に招かれています。分断を乗り越える天の国の宴会へようこそ。

分断が広がる世界に向かって、わたしたちも呼びかけることが出来るはずです。分断を乗り越えることが出来る、そんな約束を語りかけてくれる世界があるんだよ。わたしたちが集うこの教会の交わりがイエスさまが与えてくださった希望の言葉を少しでも反映する歩みを続けていくことができますように。わたしたちの教会が、分断が当たり前のこの世界に向かって、神の招く声を一緒に発することができますように。

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