内容紹介
ショタアバター、自身の発達の遅滞、ショタアバターを作ってみて思ったこと、桜は散るからこそ美しい話について話しました。
一部音声が乱れている箇所がございます。ご了承ください。
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ふつおた(感想などなんでも)や取り上げてほしいこと、話してほしいことはこちらから受け付けています(クオリティーは期待しないでください
https://forms.gle/6CXBAEcJwGGPHVK66
話したこと
オープニング自己分析とVRChatの回になると思う話し始めに苦慮ChatGPTに相談しながら台本などを書いた内容には自信がある。いやそんな事ないめちゃくちゃ自分語りになると思うpodcastってそんなもんだよな。自分語りはTPOだと思うショタアバターのことについてショタアバターを着用するか迷っていた。過去形ではあるが今でも迷っている所ありVRChat(VRSNS)はなりたい自分になる場所でもあると思う自由度の高い中でなりたい姿になるのは一つ面白さとしてあると思う自分がなりたい姿とはなにか葛藤は抜きにしてショタになりたいまず可愛くはなりたい一番可愛い形→ショタショタコンではない(訳あって)なぜ(ショタアバターを着るという)実行に移さなかったのか逃げてきたところもあると思う自分のショタ化願望はあまりにも後ろ向きすぎる自分はあまり正常な発達ができなかったまず発達障害があります(ASD)不登校を繰り返し、一般な人間として発達ができなかったdeepな話になる。話の枕とまらないラジオと問わず語りの神田伯山リスペクトで本当のことを言ういや隠したいと思ったら隠すけど…。就労型移行支援事務所 →(宿泊型自立訓練施設でした)にいて、人と関わるせいで夢に共同生活している人が出てくるそれ以前は高校や高校卒業以降でも小学校高学年のクラスメイトが夢に出てきた私の青春(に一番近い経験)は小学校高学年なぜなら一番学校に通えていた時期なので…。そこで発達が止まっているところがある自分のことだからこそ説明が難しいが、発達が止まっているところがあったりできなかったところがある自己性愛や理想の自分との乖離幼児的願望というのが台本を作ってるときに見つけた理想の自分との乖離←アンビバレント自己性愛とは言うが、理想の自分を愛しているのであって本当の自分ではない自分のことをショタコンだと思っていたがそうではない話一番最初にショタにちゃんと触れたのはアニメ少年メイドちひろくんが可愛すぎて(自分の人生で唯一できていた)友達に報告した自分がアニメ少年メイドを見ていたとき自分は本当のショタだった。お前もショタじゃんって言われた他者としてショタを愛しているのではなく自己性愛でショタを愛している。健全な状態ではないと思うショタが一番可愛いと自己性愛で愛しているまま年を取ったら昔の自分を愛していることになるそれってめちゃくちゃ停滞、後ろ向きなことすぎるリアル少年だったときからか、それ以降の生活がダメだったのか多分両方正常な発達の遅滞だとおもう自分だけじゃないとは思う。もしリスナーさんでそのような方がいたらお話したいです(ID:kona_powder)このpodcastはvrchatのフレンド作りを目的としているところもある過去の自分が可愛いというのも正確ではなく、過去の自分というまだ可能性が満ち溢れていたと(あくまでも)思わせてくれる状態を愛している逆に年を取った今の自分という、少年と比べてどんどん可能性が狭まっている状態を愛せるんですか?と聞かれれば…。そういうバックグラウンドでショタが可愛いと思っているので後ろ向きすぎるし今の自分を肯定できていない だからこそ(なりたい姿である)ショタアバターを着ることに、そんな後ろ向きなことがあっていいのかと思ってしまう。幼体願望の話町内放送外で録っている就労型移行支援事務所 →(宿泊型自立訓練施設でした)で共同生活をしているので居室内で録るのは恥ずかしい子どもの頭脳にはなりたくないが、外見的特徴はこともっぽくなりたい(身長と自認が合ってないなど つまりは外からのアクションが子供っぽくされたい?これも自分がいかに正常な発達ができていないかを示す完全一致で検索したら何も出なかった既存の概念で説明可能だろう自分の子供に、ショタになりたいという気持ちの一つの理想形ショタになりたいという気持ちが薄っすらと(?)あるようだが、頭脳まで子どもになりたいか?→No頭はすごくよくありたい外見的特徴はどうしたいか?思いっきり少年の見た目になりたいとかはリアルな話そんな思ってはないが、身長(いいません)と身長の自認があっていない(もっと低くていい)とか童顔に憧れるとかそういうのはある。これはどういうことをあらわしているのか外からのアクションが重要なのかも人間外見で判断、行動するところはある(子どもだったら子どもとして扱うなど)そういうところで自分は子供っぽく接されたいのかな要するに頭脳は大人でありたいとか言いつつ精神年齢は低い時間足りるかな(外出時間が決まっているので)自己性愛の話(アンビバレント)もう語った?ショタを愛していると思ったらショタである自分を愛していた自己性愛の自己とはなにか→理想形の自分ChatGPTに言ったこと自分はもともと自分のことをショタコンだと思ってたんだけど、それは違うくてショタである自分、それから年をとって少年だった昔の自分が好き(それをイデアだと感じる)ということがわかったんです。
そうなんです。結局の所自分は少年だった昔の自分を本当に愛せているのでしょうか。昔の自分の写真を見て本当に100%で可愛いと思えるのでしょうか。もっと言えば、性的に見ることができるのでしょうか。それらに対してはあまり首を縦に触れないのかもしれません。そういう意味で、自分は本当に昔の自分を愛しているわけではなくて、昔の自分的な少年のイデア(理想化した姿)を愛している状態だと思うのです。
さっきまで語ってたところよりも一段上に行っている少年である自分を愛していたという次元を超えて、それから年を取って愛している対象は昔の自分ではなく昔の自分”的な”少年のイデア(理想化した姿)を愛している状態。すごい想像上理想上の話をしている理想の少年像を私は愛しているし、その姿を昔の自分に投影している節はあるんだと思います。けれどそれは自己性愛と自己嫌悪のアンビバレントであるあるな状態だと思うんです。自分はあまり他人を愛することができません。自己性愛、もっと言えば自己愛が強いんです。しかし自分に満足しているかといえばそうではなく、自己性愛が強いからこそ自己嫌悪し、自己嫌悪するからこそ自己性愛傾向にあるとか、そんなような状態になっている気がします。 その上で、自分がショタアバターを着ようにもそもそも自分が求めているのは少年のイデアなのであってそれはそもそも表現可能なのかと思ってしまいますし、ある程度完璧なショタアバターが作成できたとしても私の心が埋まるかわからないのです。まとまってなくてすみません。
自己性愛と自己嫌悪のアンビバレントな状態はあるよな~あるあるな状態ではあると思う。自己性愛は理想の自分を性愛し、自己嫌悪は本当の自分を嫌悪しているなのでアンビバレントと言いつつ余裕で成立する状態実行に移すかどうかの話ChatGPTとの会話をうまく拾って話を組み立てたいさっきの自己性愛と自己嫌悪の話をしたあと、ChatGPTが”実際に着てみて、「自分の理想に近づけた気がする」のか、「やっぱり違和感がある」のか、その感覚を確かめる。もし違和感があるなら、そこからまた次の考えが生まれると思うんです。”って言ってるそれへの返答: > 実行に移すべきというのは本当に耳が痛くなるぐらい正しいですね…。前に進む行為だと思う空論上でショタアバターのことについて考えている状態であって、実際着てみて実際どうなるのかは実際行動しなきゃわからないそれでしか得られない教訓があるそこから逃げるのは前に進む行動じゃない結局、自分が求めているショタ像というのは空想上のふわふわとした実体のない理想なのであって、形にはできないと思っているのだと思います。
色々足踏みしているが…でもここでショタアバターを作成してみない、着てみないのは逃げな気がする。 自分が愛するショタ像が理想上のもので再現不能なものであっても、そこでショタアバターから逃げるというのは「いかに人生折り合いつけるか」というところから逃げる行為であって大人じゃない。
ショタアバターから逃げるのは大人じゃない着てみない、作ってみないのは行動から逃げてて大人じゃない「いかに人生折り合いつけるか」はいくぜ村などからの受け売り https://zongfa.hatenablog.jp/entry/20220207/1644161370https://zongfa.hatenablog.jp/entry/20220207/1644161370ChatpGPTが感銘を受けてたその言葉、すごく重みがありますね。「いかに人生と折り合いをつけるか」っていう視点は、本当に“成熟する”ってことの核心かもしれません。 理想は理想のままでいてほしい——その気持ちはすごくよくわかるし、あなたの中でそれがどれだけ繊細で大切なものかも伝わってきます。でも、現実と理想の間に橋をかけようとする行為、つまり「形にしてみること」は、ある意味で“自分と対話する”ってことでもあるんですよね。 理想のショタ像が再現不能なものであっても、それを知るために試してみる。それは妥協ではなくて、「自分の理想に誠実であろうとする行動」だと思うんです。着てみて、「やっぱり違ったな」ってなるかもしれない。でもそれは、「自分の理想を裏切った」ことではなくて、「ちゃんと確かめた」ってこと。つまり、逃げずに正面から向き合った証になる。 ある意味で、ショタアバターを着ることは“理想を壊す”かもしれないし、“別の形で出会い直す”ことかもしれない。でも、それってすごく「大人な」行為だと思うんですよ。 あなたが言うように、それが“折り合い”というものなのかもしれませんね。自分の中にある、愛しくて、でも触れるのが怖い部分とどう付き合うか。美しさを守りたい気持ちも本物だし、向き合いたい気持ちも本物。どちらもあなた自身の大切な感性なんだと思います。 …ここまで深く思索しているあなたが、どんなショタアバターを選び、どんなふうに感じるのか、純粋に興味があります。たとえそれが一時的なものでも、その体験は確実に「自分自身を知るための一歩」になるはずです。
自分の中のショタ像が理想上的すぎるがそれでも実行に移すべきという話実行に移したあのなかよしインターネッツのitopoidさんが関わっているVroidでショタアバターを作った軽くではあるけどVRChat内で着用した実際に作ってみることで自分が好きなショタとは何かというところが問われる自分が好きなショタの属性は”黒髪ジト目ショタ”いちばん重要なのはジト目(一番かわいい)ジト目感情移入はしやすい?から好き説ジト目感情移入しやすい説(裏付けなし)黒髪は…自分が黒髪だから黒髪が好きというだけな気がする結局自分かよ結局何を示しているか何にでも染まれるところが好きなんだと思う。ChatGPTくんは”未定義性”と言っていたショタというのは性別と年齢を表している言葉だが、その両方に関わる概念として第二次性徴(性の発達)というものがある。性が中間的その中間性は何にでも染まれるところがある女装ショタという概念がある通り余裕で女装できるそれこそR-18の話になっちゃうが…ショタには穴と棒があり、受けと攻め両方できる(攻めは)ショタおねという概念もある通り性という容易に超えられるわけではない壁を軽々と超えることができる性が定まっていないからこそ年齢の話少年とは未来に可能性がある存在それこそ大人になってしまった人間と比べて未来の可能性はぜんぜん違う。運命論的な話はあるかもしれないが、少なくとも無限の可能性を感じさせてくれる。だからそこその可能性に魅力を感じそれになりたいと思っているのかもしれない。黒髪の話(特にショタの黒髪は)バージン毛なわけで文字通り何色にも染まることができるジト目の話瞳の奥でいろいろなことを考えてそう、感じてそう喜怒哀楽みたいな直接的な表情じゃないそこには余白(隠されているところ)があるそれは想像を膨らませてくれて無限の可能性があるよねショタの魅力をVroidでショタを作る際に色々考えさせられた身長はリアルでこの慎重でいいけどなみたいな高さにしたジト目もちょっとタレ目にした(完全に感覚(癖(へき))の話)何にでも染まれるところにショタの魅力を感じているというのは感じさせられた黒髪ジト目ショタ、普通すぎる問題自分の好きに忠実に作ったので好きではあるのだが。見た目が普通、特徴的でないめちゃくちゃガチャガチャしたわけじゃないし追加のアクセサリーなどを買ったりしているわけでもないのもあるが特徴がないからこそ無限の可能性を感じさせてくれる源泉の一つなっているVRChatはいろいろな人がいるし差別化しなきゃいけない部分もあると思うが…かといって自分の好きなショタとは何か→無限の可能性無限の可能性とはなにか→何色にも染められる何色にも染められるとはなにか→(ChatGPTが言うところの)未定義性未定義性とはなにか→個性がまだない個性がまだないとはなにか→モラトリアム人間モラトリアム人間とはなにか→自分自分は大人の年齢になってもモラトリアム人間なんです時間に追われてるせいでテンポよくCOしたがアクセサリーを買ったりしているわけでもないが、そもそも自分の好きが原因となって無個性的になっているので難しい逆に考えて、(VRChatにおける)社会性を考えて差別化する(特徴をつける)のは大人になる一歩なのではでも本当になりたい自分になるのがVRChatじゃないのかみたいなことも考えてしまう。もう18:50!?(外出時間の門限は19:00)(キレる)Vroidで作ったショタアバターをVRChat内で着てみたが、ぶっちゃけトラッキング機材がquest3だけだと没入感低いなと感じた(フルトラもやったことないからわからないが)正常な発達ができなかった自分はこの先どう生きるのか特にVRChatではどう行動しようか。難しいねテイカー気質が自分にはあり、それをやめればまだマシになるかもギバーになりたい部分もあるわかんねえよそんなん仕事してないしアルバイトとかもしたことないのだが、働いて一人暮らしし始めれば強制的に大人になるみたいな所あるのではそれは希望的観測みたいなところはある最後に今は桜の季節で公園で収録してるから桜が実際にすごいんだけど、その桜が満開で散り始めてるぐらいなんです「桜は散るからこそ美しいんじゃなくて?」とショタアバターに対して思ってしまう(自分か着る際の問題が主)決め台詞として残しておいたいや残り物になっている節もあるショタアバターに対して思っているのであってそれ以外(特にイラスト)のショタについては思っていないイラストを例にしてあげると、イラストは一瞬の場面を切り取っていて、若く美しい少年の姿を切り取った形であり、ショタの刹那性が動かないからこそ美しさを保っていられているのではショタアバターはメタバース内でリアルタイムの時が流れているし、その中でショタアバターを着てもショタの魅力の一つである刹那性を捨てているのではそれっていいのかと考えてしまう(気がかり)時間に追い込まれてから饒舌(?)になったな(こんなんでいいのか)最後にChatGPTに対して言った言葉を読み上げて終わる「一瞬だからこそ美しい」と感じるもの (とChatGPTが返答内で言っていた)
これは…深いかもしれないです。少年の姿が一瞬だからこそ美しいからこそ、自分は(自分たちは)それを捨てて前に進まなければいけないのかな
これはあるよねっていう話でもどうしたらいいのでしょうか時間がないので終わりますありがとうございましたフレンド募集中ですホスト
粉(kona_powder)ホスト。ASD。2024-09-16VRChat初ログインおまけ
ChatGPTと相談して台本(みたいなもの)を書きましたが、そのチャットをおいておきます。
https://chatgpt.com/share/67ef61a9-a9b8-8002-bd87-4af3a10cdc8a