高千穂さんのご縁です。

【仏教と蓮の花】のお話し ―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―


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蓮の花に宿る仏の教え

―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―


🔶今週のテーマは「仏教と蓮の花」
熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶごんじ)のご住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんと、丸井純子(まるい じゅんこ)さんが語り合います。


蓮の花が象徴する「清らかさ」

蓮の花――仏教では「れんげ」とも呼ばれ、お釈迦様が悟りを開いたときにもその足元に咲いていたと伝えられる、美しい花です。

浄土真宗の仏様である阿弥陀様も、蓮の花の上に立っておられる姿で表されます。

では、なぜ蓮の花がこれほど大切にされてきたのでしょうか。

それは、蓮が「泥の中から咲く花」だからです。

この泥は、煩悩に満ちた私たちの生きる世界を表します。そんな世界に染まることなく、清らかに咲く蓮の姿は、仏教の理想そのもの。

「どんなに汚れた世界の中でも、美しい花を咲かせられる――」そんな希望と慈悲の象徴として、仏教では蓮が尊ばれてきたのです。



🔶阿弥陀様は「立って」おられる理由

仏様といえば、座っている姿を想像する方が多いかもしれません。
けれど、浄土真宗の阿弥陀様は「立って」おられます。

それは、「救いに行くために座っている暇などない」という姿勢の現れ。

さらにお顔は、やや斜め前に傾けておられます。「今すぐあなたのもとへ向かいますよ」という、まさに“やる気満々”の姿なのです。



🔶浄土の世界と「白蓮華(びゃくれんげ)」

仏教発祥の地・インドでは、蓮は国家の花。仏教と深く結びついた特別な花とされています。

浄土真宗の教えの中でも、「正信偈(しょうしんげ)」には極楽浄土を「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」と表現し、蓮が咲き誇る美しい世界として描かれています。

また、念仏を唱える人は「白い蓮の花」のようだとも語られます。

心清らかに阿弥陀様を信じ、念仏に生きる人々を称えて、そう呼ばれるのです。


🔶念仏に生きた人々――妙好人(みょうこうにん)

そのような念仏者たちは「妙好人」と呼ばれます。

親鸞聖人の教えに目覚め、阿弥陀様の慈悲を喜び、感謝とともに生きた人々――それが妙好人です。

今回はその中から、妙好人・浅原才市(あさはら さいち)さんをご紹介します。

浅原才市さん――「念仏の日暮らし」

浅原才市さんは、1850年・江戸末期に島根県温泉津(ゆのつ)で生まれました。

もとは下駄職人でしたが、福岡の七里(しちり)先生という高僧と出会い、念仏の道へ。

以来、20年以上も七里先生の話に耳を傾け、お念仏の喜びを歌にして人々へ伝えました。

昼も夜も、寝ても覚めても「南無阿弥陀仏」。

まさに「念仏の日暮らし」と呼ぶにふさわしい生き方です。

歌に込めた信仰の喜び

たとえば、次のような歌があります:


寝るも仏 起きるも仏 覚めるも仏

冷めて敬う 南無阿弥陀仏

胸に六字の声がする

親の呼び声 慈悲の催促 南無阿弥陀仏


ここでいう「親」とは阿弥陀様。

念仏を唱える私の声も、阿弥陀様の導きによって出てくるものだ――そんな深い気づきを表しています。


🔶「自分は鬼」――角を描かせた肖像画

ある日、画家が才市さんの肖像画を描いたときのこと。

できあがった絵を見た才市さんは「これはわしじゃない。角を描いてくれ」と言いました。

「わしは鬼だ。怒り、妬み――そんな心を持っている」と。

頭に2本の角を描かせて完成した肖像画を見て、「これが本当のわしだ」と喜んだそうです。

才市さんは、自らの煩悩に気づき、それを抱えながらもなお、阿弥陀様の慈悲に感謝して生きていたのです。


🔶まとめ

今週は仏教と蓮の花についてのお話でした。

蓮の花は、泥の中から清らかに咲くその姿が、私たちの生き方の理想を表しています。

念仏を喜び、感謝して生きた先人――妙好人たち。

浅原才市さんのような念仏者の存在は、現代に生きる私たちにも、温かい光を届けてくれます。


🔶次回のテーマは「仏教と雨のお話」。

番組では、あなたのお悩み相談も受け付けています。

メールは [email protected] までお寄せください。


お話は仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

聞き手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。


ご縁に感謝して、また来週――。

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高千穂さんのご縁です。By RKKラジオ