流れのほとりに

福音と礼拝~裏切りからの解放~(コリント人への手紙第一10章1節~14節)


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序)「福音」は何をもたらすのか

・「福音」は「偶像礼拝」からの解放を全人類にもたらす。

・聖書の言う「偶像礼拝」とは異教の礼拝儀式や宗教的慣習に連なることとは次元が違う。正統的キリスト教の礼拝に参加しつつ偶像礼拝者となることは誰にでも起こり得る。

1)偶像礼拝者は「滅ぼされる」とは?

・パウロは、出エジプトの出来事と福音による出来事を重ねながら語る。

・神様の恵みは十分だったが「彼らの大部分はみこころにかなわず、荒野で滅ぼされた」とあり、偶像礼拝に陥るなら神の民は滅ぼされると語る。

・「滅び」とは、永遠のいのちが取り上げられることではない。教会として機能不全になり、神の子としての使命が果たせなくなるということ。そのようなキリスト者の集いを神は忍耐されるが、畳むこともある。

2)聖書の言う「偶像礼拝」とは何か?

・偶像礼拝の入口は「不安」である。(出エジプト記 32 章 1節参照)

・「不安」は私たちが有限であることの裏返しであり、生きている限りつきまとうもの。問題はこの対処法である。

・偶像礼拝は、この不安を自分で完全にコントロールすることを求める心の働きから生まれる。「絶対」を約束するものに依存しようとする。

・福音は「この世に絶対はなく、ただ絶対の神がおられる」と示す。唯一絶対の神は、人間にご自分から離れた「絶対」を提供することはない。

・私たちが望むとき、望むように、望むものが与えられることはないゆえに、不安になることはあり得る。

3)「ひがみ」の陰に偶像あり

・礼拝はその対象に「最高の価値を与えること」である。クリスチャンに忍び寄る偶像礼拝の最たるものは、「不安」を誰かとの比較で解消しようとすること。これは結局、自分以外の人(神も)を信用しない。

・神の愛(存在そのものを尊いと愛して下さること)で満足せず、それに何かを加えようとするところに偶像礼拝の本質がある。

結)偶像礼拝という「誘惑/試練」から逃げるために

・「偶像礼拝者を追い出せ」とは言われていない。「偶像礼拝から逃げるように」勧められている。脱出の道があるから。福音の道は「不安」はあるが、「裏切り」はない。真実の神が共におられる。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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