【目覚めの味 TAKE2】
「はぁ、、、。また忘れちゃうのね」
「大丈夫ですよ。全部を忘れるわけじゃありません。それに、またすぐに少しずつ思い出しますから」
チクッ
こうしてワタシはまた今日も、深い眠りの底へと落ちていく。
◆◆◆
「に、にが〜い!」
ワタシはそれに舌先を触れた瞬間、思わず顔をしかめて声をあげた。
それはほんのひと舐めしただけで、とてつもない衝撃とともに頭の先から体の芯を一気に突き抜けていった。
目の前には、木漏れ日に照らされた夜闇色の液体が、真っ白なカップに注がれて、そっと静かに熱をたたえている。
先ほど一瞬だけ波だったその水面は、すでに何事もなかったように静寂さを取り戻していた。今はただ、糸車に紡がれた白糸のような湯気だけを、やさしくほぐしながら、ゆらゆらと不規則に揺らがせ続けている。
「これは、コーヒーっていうんですよ」
「え...。コー...ヒー?」
「はい。最近入ってきた飲みもので、今は限られた仲間だけが飲めるようになったんです。とっても貴重なものなんですよ」
言われてみればたしかに、その香りはいつものティーより燻されて、ずいぶん芳しい香りに感じられる。
いつもの香りが、軽やかに澄んだコンサートフルートの音色だとすれば、それは、しっかり厚みのある中音域を響かせて、温かみと力強さを備えたフレンチホルンの響きのようにも感じられた。そう思うと、なんだか少しずつ気持ちが落ちついてくる。
「あれ...?」
ふいにその時、どこか懐かしいメロディが流れていることに気がついた。チャイコフスキーの <眠れる森の美女> の一曲。 「パノラマ」だ。「それにしても、これはどこから流れてくるんだろう...?」、辺りを見渡してもワタシにはよくわからない。
「たしかこの曲のシーンでは、100年の眠りについた姫を探しに、王子が森の中を進んでいくんでしたよね」
— そういえばあの映画、昔は大好きでよく観ていたっけ。いろんな王子様からの告白に憧れて、いつもドキドキしていたような気もする。「...ん?でも、"映画"ってなんだっけ...?」、どうやらワタシはまだ半分眠っているみたい。
「ちなみに姫は、16歳の誕生日に糸車の針で眠りに落ちたわけですから、長い眠りから目覚めても、やっぱり16歳、でしたよね...?
そして王子が、真実の愛を胸に抱き、眠れる森の姫を目覚めさせ、愛を告白する...」
ちょうどその時、 「パノラマ」の演奏がクライマックスを迎えて、幻想的なハープの音色がワタシの鼓膜を心地よく響かせていく。
「16歳の誕生日おめでとうございます。
今回のお目覚めはいかがでしたか、オーロラ姫」
「あ...」
ワタシはその言葉に、胸の鼓動が一気に高まるのを感じた。
「ボクよりもっと気の利いた王子だったら、この場面は甘いキスで眠りから目覚めさせてあげたんでしょうけど...」
彼は、少し照れくさそうにはにかんだ。
ワタシは、自分の口元が少しずつゆるんでいくのを、もう隠しきれないと思った。
「一応、あなたが喜びそうな甘いドーナツもご用意してはありますけれど...」
ワタシは、彼の言葉をわざと聞こえないフリをして、目の前のそれにゆっくり口を伸ばしていく。
「に、にが〜い」
すこしほどけた唇に、そっと触れたそれは、さっきよりも柔らかくほんのり甘い味がした。
また眠る前のご褒美の味わいに。
#######
▼編集前の作品▼
解説&朗読「目覚めの味」 ※おのの賞投稿作品※
https://stand.fm/episodes/67e751c6e1bf5593f135397e
#朗読
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63804647b4418c968d353e65