徒手空拳日記

個人のいない国


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徒手空拳日記。
2023年3月13日月曜日。
そもそも、個人というものが全く確立していないこの国で、今日からマスクは個人の判断になる、なぞのお達しが出ているんですが、そのお達しを出している、大連百貨店バカボン宰相の岸田文雄を筆頭とする、昭和の妖怪の孫たちによる満洲国2.0こそ、個人というものの丸でない、凡庸な悪の集団であって、マスクは個人の判断とか、ちゃんちゃらおかしい、笑わせんなよって思います。
今日からチェーン店ではとくに、「マスクつけてない人はおことわり」的な脅し文句は撤去されておりましたので、もちろん私は、マスクをばっちり外して、お店でもなんでも、どこへでも入っていきますが、いなかでもほとんど100%の人が、今日も変わらずお顔のパンツをはいてますので、ギョッとした顔で二度見されちゃいます。
個人の存在しない、または個人が許されない、満洲国2.0の無責任極まりないファシズム思想と対極にあるのが、リバタリアニズムであって、リバタリアニズムとは何かと調べてみますと、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想・政治哲学の立場である、と出てきます。
日本人でリバタリアンといえば、深沢七郎ではないかと、私はにらんでいます。「東京は人口50人くらいでいい」とか、「道徳は誰かが得するようにつくられたもの」といった言葉から、強烈なリバタリアニズムを感じます。私によれば、リバタリアンとは、凡人を虫けらとみなす思想であり、まさに「生まれることは屁と同じ」であると決めつけ、リベラルの胡散くさいヒューマニズムを一蹴します。
私は、自民党と公明党による、現在の気持ちの悪いカルト政治権力を打ち破るのは、リベラリズムではなく、リバタリアニズムだと思っているので、立憲民主党とか共産党なども自民公明と目くそ鼻くその宗教カルトの亜流であり、はやく滅んでしまえと思っています。
宗教とか、イデオロギーではまったく解決できない世界を、いかにリバタリアニズムによって生きていくか、それが私の課題です。
ピーター・ティールは、「未来を正確に予測できる人などいないけれど、次の二つのことだけは確かだ。未来は今と違う、だけど未来は今の世界がもとになっている」と言っていますが、自民党や公明党のキモいカルト政権は、未来でもないし、今の世界でもない、80年間も放置された過去のがん細胞ではないかと思います。
さらに、ピーター・ティールは、「私達の未来の可能性が、政治によって包含されているとは、もはや信じていない」と言ってますが、日本もまさにその通りで、政治が機能していないのは、政治そのもののオワコン化です。
本日は以上です。ありがとうございました。
ひとの行く裏に道あり花の山
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