小山ナザレン教会

公正と正義が水のように流れ続けるならば(代読) – アモス5:18−27


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2023年5月28日  聖霊降臨祭

聖書:アモス書5:18−27,ヨハネによる福音書7:37−39,ローマの信徒への手紙15:13,詩編67

説教題:公正と正義が水のように流れ続けるならば

説教者:稲葉基嗣(*牧師不在のため代読による説教)

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【説教要旨】

預言者アモスが活動をした北王国イスラエルがあったパレスティナでは、土地は乾いていて、川は常に水が流れているわけではありませんでした。この地域の川はヨルダン川とその支流を除くと、雨が降る時期以外は涸れてしまう「ワディ」と呼ばれる川です。普段は乾ききっている土地で暮らす人たちにとって、水はとても貴重で、命を左右するものです。そのため、水にたとえられている公正さはイスラエルの社会にとって、とても重要で、必要なものでした。でも、彼らにとって川とはワディです。普段は、雨季以外の時期は、乾ききっています。つまり、公正や正義が見当たらない、乾ききった、腐敗した社会をイスラエルの民は想像したと思います。公正さや正義がないから、政治も、経済も、礼拝も腐敗してしまっている。誰もが正義の実現を諦めきってしまっている。そんなイスラエルの社会に向かって、アモスは語りかけました。

だからこそ、当時の人々がアモスの言葉に衝撃を受けたのは間違いありません。公正と正義を絶え間なく流れさせよとアモスは語りかけているからです。それは、まさに洪水のようなものでした。実際、正義や正しさは時として暴力的です。正しさに触れる時、自分の誤りを認めて、あるべき状態に正さなければいけないのですから。

古代の社会において、洪水は単なる災害ではなく、恵みをもたらすものです。普段、乾ききっている土地に水を、栄養のない大地にたくさんの栄養をもたらし、洪水によって潤った土地で作物が育つ可能性を与えるからです。同じように、神の正義と公正が洪水のように決して止まることなくわたしたちのもとにやってくるならば、それは今、この社会で苦しんでいる人にとって希望です。

聖霊降臨祭であるきょう、水は聖霊の象徴であることを思い起こします。水のように、聖霊がわたしたち一人ひとりに臨み、聖霊を通して、わたしたち一人ひとりから神の愛や憐れみが流れ出るならば、同じように、神の正義や公正はわたしたちから聖霊を通して流れ出ていくことを神は望んでいるに違いありません。水のように絶え間なく、聖霊を通してわたしたちから流れ出る神の正義が、みなさんの日常に、わたしたちの暮らす社会に染み渡っていきますように。正義を水のようにこの世界に浸透させたいと願っている聖霊の働きに押し出されて歩んでいきましょう。

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