「海外から見た日本」をテーマに、私自身が東南アジアを訪問して感じたことについてお話します。
昨年来、東南アジアはフィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムの5か国を訪問しました。昨年後半からコロナの期間凍結していたグロービス経営大学院の活動を再開したことに伴うものです。久しぶりの海外ということもありますが、考えることが多々あったため、皆さんに共有したいと思います。
国によって多少なりの違いはありますが、共通して感じるのは「アジアの国々の成長に対する意欲」です。「働けば豊かになれる」「良い生活が送れる」と多くの人達が心から信じていて、恐らく1960年代から70年代の高度成長期の日本と同じような状況だろうと感じました。それから、テクノロジーの導入の早さを感じます。
例えば、朝の通勤時間や夜の帰りの時間、多くの人が道端でスマホのアプリをいじっています。そうするとバイクタクシーがやって来て、運転手のゼッケン番号を確認してすぐ乗ってバイクで目的地に向かいます。これは本当によく出来ていて、自分が乗るバイクが今どこにいるのか、あと何秒で着くのか、何番なのかが全てリアルタイムで分かるようになっていて、現金のやり取りは一切なし。全てスマホ上で決済が行われる仕組みになっています。ただ一方で、平気で道路を逆走したり、交差点で通行人を全然考えずに自動車やバイクが右折・左折したりするため、正直言って交差点を渡るのは命がけです。普通に道路を運転していると、逆走するバイクがどんどんやってきて、日本では毎日ニュースになってしまうような状況です。テクノロジーを素早く導入して利用していますが、マナーや安全・安心面に於いては、また別問題のようです。
今回、東南アジアを訪れて感じたことは、日本に留学をしたい或いは日本のビジネススクールで学びたいという人達が予想以上にいるということでした。今は円安もあるため、先進国の中でもビジネスの場としての日本の魅力はもう低いのではないか、日本には誰も来ないのではないかという議論がありますけれども、現地に行くと日本は色々な面で依然として魅力的なようです。
その理由の一つとして、社会的な安定性があるようです。安全で安心して暮らし学べるということ。二つ目は経済力もある一方で文化の深さと広さがあるということが挙げられます。例えば、欧米のような即物的で経済合理性至上主義というよりは、精神性や倫理観をも大切にしている日本に対し、東南アジアの国々の皆さんは親和性を感じてくれているようでした。
それから他国との比較において、日本では社会的な階級差が少ないこと、リーダーシップの階層が現地現物や現場を大切にしているといった所も高く評価されています。そして最後に、日本の場合には、何のために命を使うのかという"志"的なものに対する意識がキャリア形成上において重視されていて、欧米の様な金銭的報酬が成功の尺度と考える国々に対して、日本は自分たちに近いという感覚がアジアの方々にはあると感じました。そういった意味から、日本は依然として魅力的な場だと映っているっていうことを感じます。
最近は東南アジアの発展が目覚ましいという印象がある一方で、日本が後れを取っていってしまっているという不安を感じている方も日本には多いかもしれません。しかし、もっと自信を持っていいのではないかと思いました。
私自身、日本で海外からの留学生に様々な授業を提供してキャリア作りのお手伝いをしていますが、日本に1年近く住んでいる留学生たちに日本に住んだ感想を尋ねると、"dualism"、 つまり日本の持つ二元性の深さと魅力について多くの皆さんがお話になります。これはどういう意味かと問うと、例えば日本では先進的な技術がものすごくある一方で、伝統的な文化や美がきちんと残されているということ。確かに経済的には進んでいるけれども、倫理観もしっかり根付いていて、普通の人達がとてもしっかりしている。そのような意味での倫理観の高さが日本の美徳であると皆さんおっしゃいます。
最後に、これは様々なご意見があるかもしれませんが、今の世界の二大大国であるアメリカとも中国とも日本はきちんと向き合う姿勢を保っている点を評価している人もいました。最近、中国に対して日本は厳しい姿勢を見せるべきではないかという意見があるかもしれませんが、欧米との比較においては、やはり日本は中国との貿易も維持してきていて、アメリカとも中国ともきちんと向き合っている姿勢が、東南アジアの皆さんから見るととても魅力的に見えているようです。
では、今日のまとめです。
日本にいるとアジアの国々が日本をどう見ているのかはあまり見えてきません。メディアもなかなかそういった観点では採り上げませんが、大切なことは、日本のストロングポイントをしっかり把握して日本らしさを大切にしていくということではないでしょうか。それが世界の中で日本が認められ、尊敬されていくために必要なのではないかと思います。