嵐が去った後に残されたもの
コニカミノルタが、2000億円規模のフィルム・カメラ事業から撤退する。
誰もが驚くような大きな決断でした。
当然、社内には大きな動揺が広がります。
長年、その事業に携わってきた人たちにとっては、自分たちの仕事や、これまで積み上げてきたものそのものを否定されたように感じる人もいたでしょう。
社内のあちこちで、怒りや悲しみ、そして会社への不信感が生まれていました。
そんな状況の中で、広報を担当していた説子さんは、どう動いたのでしょうか。
説子さんは当時を振り返って、
「対応できる状況じゃなかった」
と話します。
社員の感情が大きく揺れ動いている。
そんなときに、正論を言っても届きません。
会社の説明を一方的に伝えても、
「それは会社の言い分でしょう」
と受け取られてしまう。
だからこそ、説子さんがまずやったことは、
「聞く」
ことでした。
怒りも、悲しみも、不満も。
まずは社員の声を聞く。
それが、その時にできることだったのです。
しかし、広報である以上、会社として何かを発信しなければなりません。
ところが、何を発信しても、
「会社のプロパガンダだ」
「言っていることは嘘ばかりだ」
と受け止められてしまう。
そこで上司に相談し、たどり着いた答えは、とてもシンプルなものでした。
「とにかく誠実にやる」
社員にアンケートを取り、ネガティブな声も含めて、できるだけそのまま受け止める。
そして、その声に対して会社としてどう考えているのか。
答えられることも、答えられないことも含めて、きちんと説明していく。
もちろん、反対意見もありました。
「答えられない質問が出てきたらどうするんだ」
そんな声もあったそうです。
それでも、説子さんたちは進みました。
社員から出てきた疑問や不安に対して、経営層が描いている「その先」を丁寧に伝えていく。
すぐにすべてが納得されたわけではありません。
それでも、誠実に向き合い続ける。
この姿勢が、少しずつ人の心を動かしていきました。
しかし、ここには一つ大きな壁がありました。
本社から発信される情報は、どうしても「会社からの説明」と受け取られてしまう。
では、どうすれば社員に本当に伝わるのか。
そこで生まれたのが、当時としてはかなり珍しい取り組みでした。
その名も、
「コミュニケーション・コーディネーター」。
各職場から代表者を集め、およそ150人のネットワークをつくったのです。
狙いは、とてもシンプルでした。
本社の人が何を言っても、疑われてしまう。
でも、
「隣の人」
が話してくれたら、少し耳を傾けてもらえるかもしれない。
会社を変えるためには、上から情報を流すだけでは足りない。
現場と現場をつなぐ人が必要だったのです。
もちろん、最初からうまくいったわけではありません。
集まったメンバー自身も、会社に対して疑心暗鬼でした。
「職場の代表として、とりあえず来ているだけ」
そんな空気もあったそうです。
そこで、説子さんたちは一日かけて、とことん対話をしました。
なぜ会社はこの決断をしたのか。
これから会社はどこへ向かうのか。
社員は何に不安を感じているのか。
そして、会社として何ができるのか。
すぐに全員が納得するわけではありません。
それでも、一人ひとりが自分の言葉で考え始める。
そして、そこで得た理解を、それぞれの職場へ持ち帰る。
「本社が言っていたこと」ではなく、
「自分が聞いて、自分なりに理解したこと」
として伝える。
この違いは、とても大きかったのだと思います。
この取り組みは、後に経団連推薦社内報審査で表彰されるほどの成果につながりました。
そして、第1回のコミュニケーション・コーディネーターの会が終わった時。
説子さんにとって忘れられない出来事がありました。
ずっと半信半疑で、この活動を見守っていた上司がいました。
説子さんが、その上司に、
「ありがとうございました」
と声をかけたそうです。
すると、その上司は、ぽつりと一言。
「コーディネーターは、こうでねぇと」
一見すると、冗談のようにも聞こえる言葉です。
でも、説子さんにとっては、この言葉が何より嬉しかった。
「やってきたことを認めてもらえた」
そう感じた瞬間だったといいます。
大きな表彰状や、立派な肩書きではない。
たった一言の、
「こうでねぇと」
という言葉。
でも、その一言が、その仕事の意味を確かにしてくれることがあります。
仕事をしていると、成果が見えない時期があります。
本当にこれでいいのか。
自分のやっていることに意味があるのか。
そんな迷いを抱えながら進んでいるとき、誰かからもらった小さな承認の言葉が、次の一歩を踏み出す力になる。
説子さんの話から、そんなことも感じました。
この経験をきっかけに、説子さんのキャリアはさらに広がっていきます。
広報の仕事から、経営戦略室へ。
社内変革も経営戦略の一部であるという考えから、経営戦略そのものを学ぶことになりました。
さらに、経営戦略について体系的に学びたいと考え、イギリスの大学のオンラインMBAを取得。
その後は人事へ異動し、人や組織の仕組みづくりに携わります。
そして、働き方改革室の立ち上げにも関わることになります。
一見すると、
「広報」
「経営戦略」
「MBA」
「人事」
「働き方改革」
と、まったく違う仕事を経験しているように見えます。
でも、説子さん自身は、
「やっていることの本質は変わらなかった」
と振り返ります。
それは、
「会社が変わるために、企業文化をどう変えていくか」
というテーマでした。
部署が変わっても。
肩書きが変わっても。
取り組む仕事が変わっても。
根底にあるテーマは、ずっと同じだったのです。
人生を振り返ってみると、
「あの仕事と、この仕事は関係ない」
と思っていた経験が、実は後になってつながることがあります。
そのときは意味が分からなくても、数年後、十数年後に、
「あの経験があったから、今の自分がいる」
と思えることがある。
説子さんのキャリアは、まさにそんな積み重ねだったのではないでしょうか。
そんな説子さんに、新たな転機が訪れます。
ご縁があり、大手プロフェッショナルファーム、いわゆるビッグ4の一角にある、間接部門の会社へ転職することになったのです。
そこでは、4つの独立した事業ポートフォリオが、それぞれ別々に動いていました。
法律上、一つの会社になることはできない。
でも、せめて連携を強化していきたい。
そこで、バックオフィスなどの間接部門を一つに統合していくプロジェクトが立ち上がり、そのために説子さんへ声がかかったのです。
転職の決め手を尋ねると、説子さんはこう語っています。
「自分が経験してきたことは、すごく特殊だという意識があった。
この経験をもっと伸ばして、同じ課題に直面した人に貢献できないかと思ったんです」
大規模な経営統合。
大きな事業からの撤退。
組織変革。
企業文化の変革。
こうした経験は、誰もが簡単にできるものではありません。
だからこそ、その経験そのものが、説子さんだけの価値になっていったのです。
そして、その価値をさらに伸ばすために、新しい環境へ飛び込んでいく。
これが、説子さんにとっての大きなキャリアチェンジでした。
今回の説子さんの話から、私たちは何を学べるでしょうか。
一つ目は、
「誠実さは、逆境の中でこそ力になる」
ということ。
誰も会社を信じてくれない。
何を言っても疑われる。
そんな状況だからこそ、都合の悪い声も含めて、まず聞く。
そして、分からないことは分からない。
答えられないことは、答えられない。
それでも誠実に向き合う。
その積み重ねが、少しずつ信頼をつくっていくのだと思います。
二つ目は、
「人を動かすのは、必ずしも正しい情報だけではない」
ということ。
本社からの一方的な発信ではなく、
「隣の人」
から伝える。
人と人との間にある信頼が、組織を動かす力になる。
これは、今の時代にも通じる大切な考え方ではないでしょうか。
そして三つ目。
「特殊な経験は、次のキャリアで大きな価値になる」
ということです。
その時には苦しかった経験。
できれば避けたかった経験。
自分にとっては当たり前だと思っていた経験。
それらが、後になって誰かの役に立つことがあります。
だから、今の経験に無駄なものはないのかもしれません。
そして、説子さんの人生は、ここからさらに大きく動き始めます。
大手プロフェッショナルファームという、これまでとはまったく違う環境へ。
そこで待っていたのは、また新たな「組織を変える」という仕事でした。
これまで積み重ねてきた広報、経営戦略、人事、働き方改革。
そこで得た経験が、新しい組織の中でどのようにつながっていくのでしょうか。
もちろん、順風満帆だったわけではありません。
迷うこともあった。
悩むこともあった。
思うようにいかないこともあった。
それでも、人生の中で積み重ねてきた経験は、思いもよらないところでつながっていきます。
「あの経験があったから、今の自分がある」
そう思える瞬間は、人生のどこに待っているのでしょうか?