ひとりひとりの人生・オンリーワン

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ひとりひとりの人生・オンリーワン episodes

  • #27 「言いたいことが言えない」私を変えた松野さんの人生物語2

    「言いたいことが言えない」から

    「言いたいことを言える」へ


    ~ オーストラリアで180度変わった私の人生~


    松野咲さんは、誰もが経験したことのある「空気を読む」日本の文化の中で生きてきました。中学・高校時代、グループの中で浮かないように、自分の意見を押し殺して同調してきた彼女。専門学校を卒業して病院に就職しても、その生き方は変わりませんでした。

    しかし、社会人4年目。突如として彼女の中で「自分の生きる力を試したい」という衝動が湧き上がります。そして、旅行で訪れたオーストラリアのケアンズの開放的な空気に魅了され、ワーキングホリデーを決意。この決断が、彼女の人生の大きな転換点となりました。

    語学学校での衝撃的な出来事が、彼女の価値観を180度転換させます。

    英語の授業中、トルコ人の彼女と、ある問題の答えを巡って激しい議論になり、お互いに自分の意見を譲らず。
    しかし、授業後、予想に反して「コーヒー飲みに行かない?」と誘われたのです。

    「意見が違っても、関係性は壊れない」

    この気づきは、彼女の中で大きな衝撃となりました。
    それまでの「人に合わせる」「責任逃れ」の生き方から、「自分で選択する喜び」「責任を持つ楽しさ」を知ったのです。

    しかし、開放的になりすぎた彼女が日本に戻ってきたとき、新たな試練が待っていました。

    摩擦を生んだ経験から、今は相手の立場に立って、背景を丁寧に説明し、理解を求める努力を重ねている。

    「昨日より今日、今日より明日」をモットーに、失敗を恐れず、常に成長を目指す松野さん。小学生の時から「みんなと同じ赤いランドセルは嫌だ」と違う色を選んできた彼女の個性は、今も輝き続けています。

    「私はオンリーワンでありたい」

    そう語る松野さんの目は、まっすぐに前を見つめています。彼女の物語は、私たち一人一人が持つ「個性」の大切さを教えてくれているのかもしれません。

    皆さん、松野さんの人生物語、いかがでしたか?
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    17 min
  • ♯25 第六感のチカラで、今を楽しむヒロさんの人生物語2

    🏃‍♂️ 小学校時代の悔しさは
    高校での多種多様な人々との交流で一変 🏃‍♂️

    ヒロさんの子供時代は、まさに「悔しさのシャワー」を浴び続けた日々でした。スポーツ万能で勉強もできるクラスのヒーローたちに囲まれ、自分はそれに当てはまらない、、、
    徒競走では、いくら練習しても速くならない自分に悔しさを感じていました。

    しかし、高校に進学すると、世界が一変!
    マンモス校で出会った多種多様な人々との交流を通じて、自分の可能性を見つけ始めました。まさに人種のルツボ。

    ヒロさんは、「自分も自由になれるかも」と感じ、そこから自分の道を切り開いていったのです。


    🌟 高校時代の転機と自己発見 🌟

    高校時代、ヒロさんは多くの人々と出会い、彼らの生き方や考え方に触れることで、自分の視野を広げました。感受性が強かったその時期に、社会やメディアから多くを吸収し、自分の自由度を高めていきました。

    「悔しさ」を乗り越えるために、仲間と共に過ごし、支え合いながら成長していったヒロさん。その経験が、今の彼を支える土台となっています。


    🤝 人との繋がりと行動力 🤝

    ヒロさんの強みは、人との繋がりを大切にすること。
    ネットワークを活かし、協力し合いながら社会に貢献することを目指しています。彼の行動力は、時代を超えて求められる価値観です。

    「行動力があれば、どんな時代でも自分の道を切り開ける」と語るヒロさん。その言葉には、彼の経験と信念が詰まっています。


    🤝第六感のチカラ🤝

    かつて、GPSもスマホもなかった時代、人々は「第六感」とも呼べる直感を研ぎ澄ませて生きていた。

    目的地にたどり着くのも、情報を得るのも、すべては自分の感覚と経験に頼るしかなかった。道に迷えば、周囲の景色をヒントにし、人に尋ね、方角を読む。辞書をめくり、誰かに教えを乞いながら、じっくりと知識を積み重ねる。

    それが今はどうだろう?

    スマホを取り出し、数秒で答えが出る。キーボードを叩けば、GoogleやChatGPTが瞬時に最適解を提示してくれる。検索結果が1〜2秒遅れるだけでイライラするほど、私たちは"即答"に慣れすぎてしまった。

    情報の爆発的な進化は、私たちの生活を便利にしたが、一方で「考える時間」「迷う経験」「自分の感覚を信じる力」を奪ってはいないだろうか?

    もし、突然インターネットがなくなったら?
    地図もなしに知らない街を歩いたら?
    誰も答えをくれなかったら?

    ヒロさんは、そんな第六感に長けている。


    今、楽しいと言えるか?

    「今、楽しいって言えるだろうか?」

    仕事に追われ、時間に余裕があるわけでもなく、お金が有り余っているわけでもない。それでも、こうして誰かと笑い合い、「また飲みに行こう!」と言い合えることが、どれほど貴重で幸せなことか。

    健康であること。
    信頼できる仲間がいること。
    やりがいのある仕事があること。
    家族がいること。

    どれか一つでも欠けると、「楽しい」と言うのが難しくなる。

    昔はそんなこと、深く考えたこともなかった。楽しいことは、ただ楽しいものだと思っていた。でも今は違う。楽しさの裏側には、普段の行動、言葉、周りとの関係があって、それが積み重なった結果として「今、楽しい」と言えるのだ。

    SNSがある時代、僕たちはいつも誰かに見られている。
    発信する言葉、振る舞い、価値観が、自分自身を映し出す鏡になる。
    「楽しい」と思える瞬間を増やしたいなら、行動するしかない。

    誰かに誘われたら、迷わず飛び込んでみる。
    新しいことに挑戦してみる。
    少しでも興味を持ったら、自分の世界を広げに行く。

    時間も、お金も、健康も、すべてが揃うなんてことはない。
    でも、今の自分ができる範囲で、楽しいと思える瞬間を増やしていくことはできる。

    ヒロさんの話を聞いて、私たちも日々の小さな幸せを大切にしようと思いました。


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    18 min
  • #24 笑って生きる、ヒロさんの冒険者の人生哲学1

    「人前に出るのが怖かった—」

    64歳のヒロさんは、そう語り始めました。今や経験豊富なビジネスマンとして、次世代を導く立場となった彼の口から、意外な言葉が零れます。

    かつて彼は、人前で話すことすら怖かった内気な少年でした。
    3人兄弟の次男として、両親からの期待も低く、自分自身が好きになれない。「こんな人生でいいのだろうか」と悩む日々を送っていました。

    しかし、その「期待されない自由」が、後の人生を大きく変えることになるのです。

    少中学校での反動により、心の中で何ていうかモヤモヤしてたものが高校になって開花。高校2年生のとき、アメリカの雑誌やドラマが彼の人生を変えました。

    そこに映っていたのは、自由な空気が流れるアメリカ西海岸の景色。ハワイアンカルチャーと、まるで異世界のような自由な暮らし。

    「あの世界で生きたい」

    親や周りの反対を押し切り、アメリカ行きを決意。
    高校卒業後、2年間必死で働き、100万円を貯めて渡米を実現させました。

    アメリカでの日々は、まさに夢のよう。

    当時、第一次寿司ブームがあって、経験のない人間でも、寿司をちょっと勉強させてもらって、シェフをすることで日々の生活費を稼ぐ。
    シェフをやっている時以外は、本当にもう毎日がもう観光みたいな感じで、サンタモニカで生活して、最後はサンディエゴの海沿いに住む。
    毎日、朝の波を見てサーフィンをして、その後は、寿司バーで働く。
    まさに青春そのもの。

    勉強とか進学校への合格などの成功体験は全くないです。それと引き換えに自分の人生をアメリカという国で選んだことで、すごく楽しく、人間力がついた時代。

    しかし、すべての夢には覚醒の時が訪れます。

    帰国後、彼を待っていたのは厳しい現実。
    学歴がないことで、やりたい仕事に就けない日々が続きました。
    フリーターとして、その日暮らし。

    自分の夢を早く10代でかなえてしまい、切れた凧のようになってしまった。
    貯金もなくなっていくし、テレビで「笑っていいとも」を見てても笑えなくなっていった。精神的にはつらい時代。やっぱり自分のやりたいことって、やっぱり学歴がないとできないとか、経験がないとできない現実もある。
    最後は3年間新聞配達をしながら、奨学金をもらい、専門学校に通う日々。
    貿易実務の実力をつけることで、やっと26歳でついに貿易の仕事への道を開きました。

    26歳で会社に入社するも「最初の2年間は地獄でした」

    「なんで、こんなもん出来へんのや」

    新入社員として、パワハラまがいの上司の下で必死に学び、耐え抜きました。夜も眠れない。しかし、その経験が彼を更に強くしたのです。

    その後、彼は48カ国を飛び回るグローバルビジネスマンへと成長。
    海外出張先の空港で車の迎えが来ない。
    ホテルが予約されておらず、ラブホテルで宿泊。
    コロンビアで危険な目に遭遇。
    時にはイスラム圏での文化の違いに戸惑いながらも、そのすべてを「人生の楽しみ」に変えていきました。

    そして今、定年を目前に控えた彼が目指すのは、企業研修講師としての新たなキャリア。

    「年齢に関係なく、人生はいつでも面白い。私の経験が、誰かの人生の道しるべになれば」

    彼の目は、今も17歳の頃と同じように、新しい冒険への期待に輝いています。


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    33 min
  • #23 「かっこ悪い俺」が「かっこ良い俺」に変わるまでのホーリーさんの人生物語2

    かつて、「かっこ悪い」が大嫌いだった少年がいた。

    彼の名はホーリー。

    中学生時代、運動が苦手だった彼は、流れに身を任せて卓球部に入部。
    しかし、練習が嫌いで真面目に取り組まなかった結果、3年間の部活動の集大成である試合に、ただ一人レギュラーから外れるという屈辱を味わった。

    「俺、かっこ悪いな……」

    その瞬間、彼の胸に強烈な感情が生まれた。
    それは、悔しさ、情けなさ、そして何より“かっこ悪い自分”への嫌悪感だった。

    それから何年もの時が流れた。

    社会人になり、年齢を重ねても彼の中には「かっこ悪いのは嫌だ」という思いがずっと根付いていた。けれど、その“かっこよさ”の定義は少しずつ変化していった。

    そして、61歳になった彼は、かつて死ぬほど嫌いだったマラソンに挑戦することを決意する。

    「運動が苦手な自分が、こんなことできるのか?」

    初めての10キロマラソンを走り終えたとき、彼は驚いた。

    「俺、走れたんだ!」

    その達成感が、彼をさらに前へと押し出した。

    やがてハーフマラソンに挑戦し、見事に完走。
    ゴールの先に広がっていた景色は、10キロを走り終えた時とはまるで違うものだった。

    「かっこいいって、こういうことかもしれないな」

    かつての彼が憧れた“かっこよさ”は、人より足が速いことや、何かを華々しく成し遂げることだった。

    でも今の彼にとっての“かっこよさ”は、自分自身に納得できること。

    「自己満足じゃない。
    自分満足なんだ。」

    人と比べるのではなく、過去の自分を乗り越えること。

    60歳を過ぎてなお、新たな挑戦をし続けるホーリーさん。

    かつての“かっこ悪い自分”があったからこそ、今の彼は“本当にかっこいい自分”を生きている。

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    13 min
  • #22 「ありがとう」と「ドヤ顔」のホーリーさんの人生物語1

    「えっ、40代かと思った!」

    ホーリーさんが多くの人から言われるセリフ。
    そう、彼は64歳。
    しかし、見た目も気持ちもまるで40代!
    その若さの秘訣は?

    「ワクワクすることをやる!」

    新しいことを企画し、楽しいことを見つける。
    そのエネルギーは、小学生の頃から変わらない。
    彼の人生には、笑いあり、涙あり。
    そして下を向いて「うっしし」と笑うドヤ顔の瞬間があふれている。


    1970年、大阪万博の悪ガキ時代

    小学4年生のホーリー少年は、景気が良かった時代に家族ぐるみの旅行で大阪万博へ。アメリカ館で、月の石を見ようと何時間も並ぶ行列。しかし、彼はひらめいた。

    「出口から入ればいいんじゃね?」

    スイスイとアメリカ館に潜入成功!
    得意げに小さなパビリオンを巡る少年ホーリー。
    ワクワクと目を輝かせるが、後に後悔する。

    「でっかいパビリオン行っとけばよかった…」


    青春時代:コンプレックスとマラソン地獄

    背が低い、、、
    足が遅い、、、
    マラソン大会は恐ろしいほど嫌い、、、

    「もう逃げ出したかった…!」

    しかし、勉強は頑張った。
    おとなしくて、いたずら好き。
    そんなホーリー少年は銀行員の道を選ぶ。


    34年間の銀行員人生

    入社して3年間はバリバリの営業!
    ところが異動で地方の小さい銀行支店の窓口を担当。
    「なんで営業の自分が、、、」腐った経験もある。
    しかし色々な人との出会いで助けられた。

    色々なアイデア、創意工夫、発想、着想が得意。
    効率の良い営業で、上位20%のエリート街道を突き進み、早々に支店長に。
    最終的に、5店舗の支店長を任されるエリート。
    しかし、40代で彼は守りに入る。
    54歳で出向。役員にならず、お役御免。
    そして60歳で定年退職。


    社外人脈と新たな世界

    54歳から社外活動を開始したホーリーさん。
    キャリアコンサルの講座で、全く違う世界を知る。

    「会社の外には、しがらみのない関係がある!」

    お金じゃない。
    上下関係もない。
    仲間との対話が楽しい!
    社外の世界に飛び出せば、視野が広がる。

    「もっと早く気づいていれば…」

    これがホーリーさんの後悔だった。


    社外に出ろ!

    今は多くの人に「社外に出ろ!」と言っている
    社外人脈が広がり、視野が広がる。
    会社員時代は、自分の世界が標準だと思っていた。
    会社員人生で、エリートコースに入っていたが、30代の後半は誰にも相談できなかった。周りからは、お手並み拝見と見られていた。
    経営企画部の次長から支店長に昇進。
    しっかりとしていれば良かった。
    「地位が人が作る」と言うが、ホーリーさんにとっては、そんなことはなかった。成長を止めてしまった。
    謙虚さ、紳士、誠実が必要だった。
    当時、ワクワクは封印していたかも。面白味がなかった。
    自分の強みをいかして、面白いと言われていたら違った人生だったかもしれない。30代でコーチをしたかった、、、これもホーリーさんの後悔になっていた。
    ワクワクが帰ってきた!2021年、プロティアン研究会 、ぷろぴ部会による共同運営マガジン「ぷろぴのひろば」というサードプレースのコミュニティを立ち上げる。
    意味は「ProteanなPeopleが集まる広場」。パリピじゃないですよ、ぷろぴです。
    ぷろぴのひろば|プロティアン研究会|note

    「継続は苦手だけど、4年も続いてる…!」

    無料の取り組みなのに、何故、ホーリーさんは続けることが出来るのか?
    「ありがとう」と言われるから続けられる。
    人の役に立ってる実感があるから続く。

    「やっぱり、ワクワクが大事や!」

    そう言って、今日も下を向いてドヤ顔するホーリーさん。

    あなたも、ホーリーさんの人生に触れてみませんか?


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    31 min
  • #21 「限界を超えて、好奇心という原動力」- 成田さんの人生物語2

    昭和の高校時代はバスケット部。
    汗が滴る体育館に、気合いと根性を叩き込む指導者の声が響く。長身を活かし、バスケットボールに打ち込む一人の若者がいた。それが成田さんだ。

    「足がつったら鍛え方が足りない」と怒られる。
    当時、足がつりそうになると、必死に戻そうとした。
    水も飲ませない猛練習。
    グラウンドを何十周も走らされる日々。今では考えられない昭和特有の指導方法だった。

    しかし、成田さんの心の中には、ある「悔しさ」が渦巻いていた。それは単なる試合の勝敗ではない。チームの作戦に対する自分の意見が聞いてもらえないという現実。

    外からシュートを決めても「外から撃つな。作戦と違う!」と怒られる。
    なぜその練習をするのか、どんなプレーを目指しているのか、説明もない。ただ言われた通りにやる。その状況に対する深い「悔しさ」だった。

    「もっと違う戦い方があるはずだ」。そう思いながらも、怖くて言い出せない。意見を言えば目をつけられ、さらに厳しい指導が待っている。一人で練習してみても、バスケットは一人ではできない。その壁に直面しながら、成田さんは高校時代を過ごした。

    時は流れ、社会人になった成田さん。金融機関で働き始め、キャリアを重ねていく中で、新たな発見があった。それは「権限」と「責任」の持つ力だ。特に地方金融機関へのナンバー2としての出向は、大きな転機となった。

    約400人の組織。その中で、自分の判断で物事を動かせる立場になった時、成田さんは気づいた。出向者という立場に縮こまるのではなく、その組織の一員として主体的に関わることで、課題は必ず解決の糸口が見つかることを。

    情報が集まれば集まるほど、判断力は高まる。部下たちとのコミュニケーションを深め、一つ一つの課題に向き合う。その過程で見えてくる人々の性格や本質。それを理解していく過程そのものが、成田さんにとって新たな「楽しさ」となっていった。

    その原動力となったのは「好奇心」だった。

    多くの優秀な管理職が、責任の重さに縮こまってしまう中、成田さんは違った。好奇心を持ち続け、新しいことに挑戦し続けることで、組織は変わり、成果は生まれていった。

    昭和の体育館で感じた「悔しさ」は、今や異なる形で実を結んでいる。
    かつて声を上げられなかった若者は、今や部下の声に耳を傾け、共に成長する指導者となった。そして、その過程で見つけた「好奇心」という原動力は、今も成田さんの人生を豊かに彩り続けている。

    「好奇心は誰もが持っているものです。子供たちを見てください。みんな好奇心の塊じゃないですか」

    成田さんはそう語る。年を重ねても、その好奇心を失わないこと。それが、充実した人生を送るための鍵なのかもしれない。昭和の体育館から始まった成田さんの物語は、私たちに新たな気づきを与えてくれる。時に立ち止まり、内なる好奇心に耳を傾けることの大切さを。

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    18 min
  • #20 好奇心が導いた新たな挑戦 - 成田さんの人生物語1

    成田昌人——その名には「日に日にまさる」という願いが込められていた。しかし、幼いころからその意味を意識するたびにプレッシャーを感じていた。それでも、「良い成長をしたい」という気持ちが常に心の奥底にあった。

    やがて成田さんは金融業界で社長となり、面談の際に社員一人ひとりの名前の由来を尋ねるようになった。それは、単なる会話ではなく、その人のルーツや育った環境を知る手がかりだった。そして、100人を超える社員の名前を記憶に刻むことができた。


    成田さんは昭和40年生まれの年男(還暦)。

    成田さんの時代は、激動の経済成長の波の中で貧富の差が大きい時代。

    成田さんは金融業界に足を踏み入れてからは、全国展開する企業の一員として頻繁に引っ越しを余儀なくされた。家を買った矢先、わずか半年後に広島への赴任が決まり、新居にはほとんど住めなかった。しかし、それが金融業界の現実だった。

    当時の金融機関は、身だしなみ、字の綺麗さ、数字の正確さに厳しかった。新人時代は特に怖いというイメージがあり、飲み会に行かなければ情報が入ってこない時代でもあった。人気業種だからという理由で飛び込んだ世界だったが、入社の動機は「後付け」そのもの。


    成田さんが金融業界に入った時代は、上司が新聞を読み、女性社員がコーヒーを入れるという「村の掟」があった。「会社は喫茶店じゃないぞ」と思いながらも、当時の文化に適応していった。しかし時代は変わり、今や上司が一番忙しく動き回る時代になった。

    48歳で地方に出向した際、かつては「一を言えば十が伝わる」環境だったが、今は工夫しなければ伝わらない時代になったことを痛感した。

    そして、中小企業社長たちとの対話を通じて、自分にはまだまだ足りないものがあると気づいた。組織の中だけで「紅白戦」を繰り返すのではなく、「対外試合」に挑まなければ成長できないのだ。

    50歳を迎えたとき、成田さんは自らの好奇心に従い、さまざまなコミュニティに参加し始めた。この時期が人生で最も学びの多い時間となった。そして、部下との関係をより良いものにするために「ほめ達」の講座を半年間受講。言葉一つで人を傷つけてしまうことの怖さを理解し、成長していった。

    53歳で子会社に転籍し、今後のキャリアについて考え始めた。
    「会社という枠を外れたとき、自分は何ができるのか?」

    それを模索する中で、『おじさんLCCの定年前の準備、定年後のスタート』という本に出会い、セカンドキャリアについて真剣に考えた。
    そして「おじさん未来研究所」の設立を理事長の金澤さんに提案し、2023年に正式に発足した。

    おじさんたちは悩んでいた。
    多くの人が税理士や中小企業診断士の資格を取得していたが、時代はもはや「資格不要」の方向へ進んでいた。
    セカンドキャリアを模索する同世代を支援。
    おじさんたちにもっと挑戦し、失敗をする場を作るために、「失敗大賞」を行うユニークな取り組みを実践しています。

    成田さんは50歳後半で、婚活サロンの立ち上げなど、自分にとって最も遠いと思われる分野にも果敢に挑戦。「自分らしくないことをやることで、かえって自分の軸が見えてくる」という独自の哲学を実践しています。

    しかし、好奇心を取り戻すべきおじさんたちは、「おじさん未来研究所」に足を運ぼうとしない。社会の波にもまれ、好奇心を置き去りにしてしまっているのだ。

    一方で、若者は転職を繰り返し、会社に固執しない傾向がある。無駄や我慢からこそ見えてくるものもあるのに、若者には理解されない。

    時代は変わった——「風の時代」。

    おじさんは好奇心を取り戻し、若者は無駄や我慢の価値を学ぶべき。
    おじさんと若者が逆転している。
    大切なのは、好奇心と固執のバランスを取ること。

    成田さんは今、還暦を迎え、まさに「0歳児に戻る」新たなスタートを切ろうとしています。抑制していた好奇心を取り戻し、新しい挑戦を続ける姿は、同世代に大きな勇気を与えています。

    「年齢に関係なく、好奇心を持って行動を起こせば、必ず新しい発見がある」- それが成田さんの60年の人生から導き出された珠玉のメッセージです。


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    30 min
  • #19 えいちゃんの空飛ぶ人生物語2

    えいちゃんの空飛ぶ人生物語2。

    頑張っても叶わないかもしれない。

    でも、頑張らなかったらどうなる?

    7年目のキャリアを誇る大手航空会社勤務の「えいちゃん」。 人生は挑戦と挫折の連続だった。

    浪人して1日14時間の猛勉強。絶対に第一志望の大学に合格する——そう信じて疑わなかった。

    しかし、結果は不合格。

    「こんなに頑張ったのに……」
    「自分はダメなやつだったのか……」

    悲しみと悔しさを抱えながら、別の大学に進学することに。努力すれば何でも叶うと思っていた。でも、現実は違った。

    大学4年間、えいちゃんは考え続けた。

    「頑張っても叶わないかもしれない。でも、頑張らなかったらどうなる?」

    答えはひとつ。

    「だったら、頑張るしかないじゃん!」

    卒業論文に打ち込み、朝から晩まで研究。努力する意味を見つめ直した。

    「死ぬときに振り返ったとき、つらいことも含めて、自分を豊かにしてくれる。魅力的な人間にしてくれる。」

    失敗から得るものがある。

    思いっきり泣いて、思いっきり笑う。


    その気づきのきっかけは——ジャーナリング。

    紙とペンを持ち、自分と向き合う時間を作る。静かに思考を整理し、モヤモヤをなくす。

    えいちゃんの大好きな山登りも影響している。

    山登りはつらい。でも、それが楽しい。

    苦しいことを乗り越えた先に、最高の景色が待っている。人生も同じだ。

    えいちゃんは、気象予報士試験に通算7回挑戦した。

    大学時代に2回。入社後も受験に挑戦し続けた。

    後半3回は、本気で戦った。

    「テレビ番組のSASUKEみたいに、高すぎる壁だった。」

    そして、こんなこともあった。

    試験に落ちた帰りの電車。

    2時間泣き続けた。

    「自分は何をやっていたんだ?」

    「勉強していたフリをしていたんじゃないか?」

    過去問を“なんとなく”解いて満足していた。

    つらかった。頑張ったからこそ、余計に認めたくなかった。

    泣いて、床に突っ伏し、自分の弱さと向き合った。

    「意味のある勉強をしよう。自分の弱さを直視しよう。」

    間違った答えを分析し、どうすれば良かったのか考え抜いた。

    そして——

    7回目の試験で、ついに合格。

    挫折しても立ち上がる。

    何度も悔しい思いをして、それでも挑戦する。

    そして、支えてくれる仲間がいる。

    えいちゃんの人生は、まだまだ続く。

    どこまでも高く、自由に飛ぶ。

    そして、いつもそばには仲間がいる。


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    26 min
  • #18 えいちゃんの空飛ぶ人生物語1

    7年目のキャリアを誇る大手航空会社勤務の「えいちゃん」。


    子供のころから運動好きだったが、勉強にはあまり興味なし。しかし、人生は予測不可能なストーリーの連続だった。


    中学時代、本当はバスケットボール部に入りたかった。しかし、親の猛反対にあい、まさかの帰宅部生活に突入。その理由は「勉強しないから」。


    えいちゃんは、やることがなくなく、ふらっと立ち寄ったコミュニティーセンターで本にハマる。「学問って、意外と面白いじゃん!」と気づいた頃には、親の作戦勝ち。結果的に「ちゃんと勉強する子」として認定され、自由な選択権を手にすることとなる。


    一浪の末、興味のある分野を追求するために、地方の大学へ。お金はかかったが、えいちゃんの選択権を親は認めてくれました。

    飛行機や宇宙が好きだったえいちゃんは、新規事業に力を入れている大手航空会社に入社。しかし、希望の部署には配属されず。

    そこで、社内のビジネスコンテストに手を挙げ、直接社長にプレゼンを決行!

    「いいじゃん、やってみなよ。」

    その言葉を引き出したのは、えいちゃんの熱意と行動力だった。

    「なんでもしていいよ。」

    そんな自由すぎる新規事業に飛び込んだえいちゃん。
    人によっては戸惑い、つらい状況だが、えいちゃんにとってはまさに天職。

    すべて自分の意志で決め、考え、行動する。その自由さを満喫しながら、悲しいこともつらいことも経験しつつ、感動を仕事に変える日々。

    次なる挑戦は、内閣府の宇宙ビジネスコンテスト。

    一生懸命練習し、最終選抜に残れた!

    ステージでは、仲間の応援のおかげでニコニコとリラックス。
    しかし結果は……

    「何も賞をもらえなかった。」

    自分の何がダメだったのかもわからないほどの敗北感。
    でも、その瞬間、仲間たちが駆け寄り、心からこう言ってくれた。

    「発表、本当によかったよ!」

    悔しさを感じながらも、仲間の存在があったから卑屈にならずに済んだ。

    どんなに自由で過酷な挑戦の中でも、えいちゃんを支え続けたのは、そばで励ましてくれる仲間たちだった。

    えいちゃんの人生は、まだまだ続く。
    どこまでも高く、自由に飛ぶ。
    そして、いつもそばには仲間がいる。

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    18 min
  • #16 感動的な城田ママの人生物語1

    城田香織さんの人生は、驚くべき変容と成長の物語です。

    幼少期、人見知りで孤独だった彼女は、保育園や専門学校で友人が作れず、コミュニケーションの壁に苦しんでいました。
    しかし、父親の一言が彼女の人生を大きく変えました。
    専門学校を辞めたいと父親に相談すると
    「学校を辞めてもいいけど、お前は何をやったの?」
    ハッとしました。
    「そういえば私は何もやっていない、、、」
    「挫折したくない、、、」

    これがキッカケで、勇気を持って、友達とご飯を食べに行こうと言えるようになりました。
    父親のたった一言が、自己成長への転機となり、徐々に勇気を持って周りと関わることを学んでいきました。今では話す楽しさを知り、誰とでも話せるようになり、たくさんの友達がいます。

    専門学校を卒業し、美容師として働き始めた城田さんは、朝早くから夜遅くまで働く過酷な労働環境でストレスに苦しみ、健康を脅かされる危機に直面します。
    全身蕁麻疹になり、病院で衝撃的な診断は、彼女の人生に大きな岐路をもたらしました。
    「子供が産めなくなるかもしれない、、、」

    中学2年生から支えてくれた旦那様との絆が、彼女を支えました。
    美容師を辞めることを決意したのです。

    そんな旦那様と結婚しましたが、実は城田さんは子供嫌い、、、
    でも旦那様は子供が大好き。

    ずっと支えてくれた旦那様に恩を返したいという想いで、出産を決意。
    子供を授かると、驚くほど愛情深いママに変わりました。

    愛情深いゆえに、子供にガミガミ怒ってばかりの城田さんでした。
    そんな自分に嫌気がさしていた時に、コーチングとの出会いが、さらなる転機となります。

    「自分で勝手に子供のことを決めつけていた、、、
    子供を型にはめていた。
    人はそれぞれ違う。
    子供の話を一切聞いてなかった、、、」

    そこから自分が話す比率が10割から2割に減り、子供の話を聴けるママに変身しました。

    今では心から子供を愛するママとして、子供たちには「困難やトラブルを自分たちで解決するメンタルを持ち、選択肢をたくさん持つ子供」に育ってほしいと頑張っています。

    城田さんの人生は、孤独から始まり、自己成長、愛、そして理解へと深く変容していく、感動的なママの物語なのです。

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    21 min

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