1921年12月に農学校の教諭になった賢治は、翌年の2月に下記のような歌詞を作り、知人に依頼して曲も付けました。
当時の校長はこの歌にいたく感動して、校歌にしたいと賢治に要請しましたが、賢治は「そういうつもりで作ったものでないから」と、何度頼まれても辞退したということです。
しかしその後、この歌は「精神歌」と呼ばれて農学校の生徒や職員に愛されつづけ、何か学校の行事があるたびに、全員で歌うならわしとなりました。
毎年9月21日のに花巻の「雨ニモマケズ」詩碑前で開かれる「賢治祭」の最後には、参加者全員でこの「精神歌」を歌うことが恒例となっています。
<歌詞>
(一)日ハ君臨シ カガヤキハ
白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ
マコトノクサノ タネマケリ
(二)日ハ君臨シ 穹窿ニ
ミナギリワタス 青ビカリ
ヒカリノアセヲ 感ズレバ
気圏ノキハミ 隈モナシ
(三)日ハ君臨シ 玻璃ノマド
清澄ニシテ 寂カナリ
サアレマコトヲ 索メテハ
白堊ノ霧モ アビヌベシ
(四)日ハ君臨シ カガヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ
ワレラヒカリノ ミチヲフム