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2025年4月20日 復活の主日
説教題:混沌とした世界に、神の息吹
聖書: 創世記 1:1-5、ヨハネによる福音書 20:11–18、詩編 19、コリントの信徒への手紙 二 4:14–15
説教者:稲葉基嗣
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「主はよみがえられた」は、主の復活をお祝いするイースターの日の合言葉です。キリストの復活は、神が将来、私たち一人ひとりに新しい命を与えてくださることを約束し、希望を与えてくださっている出来事です。神がキリストに復活の命を与えたように、私たちを愛し、慈しんでおられる神は、将来、私たちに復活の命を与えてくださいます。そのような信仰的な確信を抱いて、私たちはイースターをお祝いしています。けれども、このイースターの日の合言葉は、「死んだらそれで終わり」と語るこの世界の当たり前とは、真逆のことを伝えています。今、私たちの世界はどうしようもないほどに、死に囲まれています。命を軽視され否定されることに、この世界は慣れきってしまったのかもしれません。そんなイースターの出来事とは真逆の光景は、創世記1章の物語を耳にした人たちの眼の前にも広がっていました。この世界は混沌としていて、この世界は暗闇に包まれていました。このような世界の描き方は、創世記1章の物語を聞いた人たちの置かれていた状況(バビロン捕囚後)を反映しています。そんな混沌とした世界に、神が「光あれ」と語りかけることから命が広がりました。キリスト教会は、このような出来事が私たち一人ひとりの人生に、そして、この世界に起こると信じています。十字架の上で死んで、葬られたイエス・キリストに神が復活の命を与えたように、死で覆われた混沌としたこの世界に、神は命を与えてくださる。キリストを復活させたように、死の前に無力な私たちを将来、神がよみがえらせ、永遠の命を与えてくださいます。あの日、キリストがよみがえられたからです。キリストの復活は、私たちにとって、将来の希望しか与えないものなのでしょうか。混沌としていて、暗闇と死に覆われているように思えるこの世界において、キリストの復活は今このとき、何の意味もなさないのでしょうか。神は、私たちがイエスさまと出会うことを通して、この世界に復活の命の希望を届けることを選ばれました。イエスさまと出会い、イエスさまの愛や憐れみに触れた私たちが、その愛や憐れみを分け与えに出かけていく。そんな小さな積み重ねを通して、神は、キリストにある復活の命を、キリストにあって新しく生きる道を、この世界に届けようとしておられます。神の息は、混沌とした世界に命を届けるために、やがて必ず訪れるその瞬間を待っています。
By 小山ナザレン教会2025年4月20日 復活の主日
説教題:混沌とした世界に、神の息吹
聖書: 創世記 1:1-5、ヨハネによる福音書 20:11–18、詩編 19、コリントの信徒への手紙 二 4:14–15
説教者:稲葉基嗣
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「主はよみがえられた」は、主の復活をお祝いするイースターの日の合言葉です。キリストの復活は、神が将来、私たち一人ひとりに新しい命を与えてくださることを約束し、希望を与えてくださっている出来事です。神がキリストに復活の命を与えたように、私たちを愛し、慈しんでおられる神は、将来、私たちに復活の命を与えてくださいます。そのような信仰的な確信を抱いて、私たちはイースターをお祝いしています。けれども、このイースターの日の合言葉は、「死んだらそれで終わり」と語るこの世界の当たり前とは、真逆のことを伝えています。今、私たちの世界はどうしようもないほどに、死に囲まれています。命を軽視され否定されることに、この世界は慣れきってしまったのかもしれません。そんなイースターの出来事とは真逆の光景は、創世記1章の物語を耳にした人たちの眼の前にも広がっていました。この世界は混沌としていて、この世界は暗闇に包まれていました。このような世界の描き方は、創世記1章の物語を聞いた人たちの置かれていた状況(バビロン捕囚後)を反映しています。そんな混沌とした世界に、神が「光あれ」と語りかけることから命が広がりました。キリスト教会は、このような出来事が私たち一人ひとりの人生に、そして、この世界に起こると信じています。十字架の上で死んで、葬られたイエス・キリストに神が復活の命を与えたように、死で覆われた混沌としたこの世界に、神は命を与えてくださる。キリストを復活させたように、死の前に無力な私たちを将来、神がよみがえらせ、永遠の命を与えてくださいます。あの日、キリストがよみがえられたからです。キリストの復活は、私たちにとって、将来の希望しか与えないものなのでしょうか。混沌としていて、暗闇と死に覆われているように思えるこの世界において、キリストの復活は今このとき、何の意味もなさないのでしょうか。神は、私たちがイエスさまと出会うことを通して、この世界に復活の命の希望を届けることを選ばれました。イエスさまと出会い、イエスさまの愛や憐れみに触れた私たちが、その愛や憐れみを分け与えに出かけていく。そんな小さな積み重ねを通して、神は、キリストにある復活の命を、キリストにあって新しく生きる道を、この世界に届けようとしておられます。神の息は、混沌とした世界に命を届けるために、やがて必ず訪れるその瞬間を待っています。