Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p

Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p

By 阿波座NBステーションSociety & CultureDocumentary
Download on the App Store

Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p episodes

  • #13 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「昼休み残り4分!トイレ前で緊急捕獲されたクヨクヨ役者・大久保先生を救う『クリアアサヒ』」

    本放送が捉えているのは、映画撮影という「他者の目を強烈に意識する表現の場」の真っ只中で、大人たちが一瞬だけ吐き出す、生々しい「素の吐息」である。


    今回はいつにも増して現場のドキュメンタリー感が強い。コメディ映画の楽しさを語る古賀さんの軽快さや、トランシーバーの充電器とチャンネル設定に右往左往する三宅さんの慌ただしさは、慌ただしい映画現場の熱量をそのまま伝えてくれる。役者の事務所問題をサラッとケアしつつ、トイレ帰りの大久保先生を秒読みの昼休みの中で巻き込んでいくハギハラさんたちの手際の良さも、数々の修羅場をくぐってきた「仙人」らしい緩急の妙だ。


    そして、残り4分の中で大久保先生が語った「クヨクヨおじさん」としての本音は、短いながらも深く胸に刺さる。昼間の撮影現場では、役者として堂々と演技をし、周囲とコミュニケーションを取っている人間が、家に帰ると「あの時、あんな面倒くさいことを言っちゃったな」と一人で激しく反省している。


    そんな彼をギリギリのところでこの世界に繋ぎ止めているのが、ベランダの風、一杯のクリアアサヒ、そしてYouTubeに転がっている他愛のないおしゃべりであるという事実。

    「あの瞬間がないとちょっと死んじゃうかもしれない」と静かに笑う大久保先生の言葉には、現代社会を生きる大人の誰もが抱える切実な孤独と、それを癒やすためのささやかな逃げ道の美しさがある。寝る直前にだけ一瞬「これでいいや」と自分を許し、朝起きたらまた悩み始める。その面倒くさくて愛おしいループを肯定することこそが、この「仙人LIFE」という庵がリスナーに提供してくれる、何よりの救いなのである。

    10 min
  • #12 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「20年の下積みを5日でワープした天才録音助手ankoと、トイレットペーパーの買い忘れに怯える深夜のドライブ」

    本放送が描き出しているのは、「非日常の圧倒的な熱量(映画撮影)」を潜り抜けた直後の、日常へと引き戻されていく時間の、少し寂しくて愛おしいグラデーションである。


    5日間、映画業界の常識を無視した「超高速飛び級」で過酷な録音助手を務めあげたankoさん。行く前は「怒鳴られるんじゃないか」とピリピリした空気を恐れていた彼女が、現場の暖かさに触れ、160ページの台本を宝物だと語る姿には、過酷な現場を共に生き抜いた戦友としての純粋な充実感が溢れている。


    しかし、映画とMVの撮影という華やかな非日常が終わった瞬間、会話のテーマは「トイレットペーパーの買い忘れ」や「夜22時までに車を出さなきゃいけないから、急いでドラッグストア(薬局)に行こう」という、あまりにも泥臭い現実の生活へと着地する。この「映画の余韻」と「生活のリアル」がちゃんぽんになっている空気感こそが、まさに「仙人LIFE」の真骨頂だ。


    新しく始まった「これでいいんや」という問いかけに対し、ankoさんが見せた「現場のトラブルも、後から直せるからこれでいいんや」という気づきは、一見すると諦めのようでありながら、実は世界の不完全さを許容する優しさに満ちている。一方で、自らの生き方を振り返り、「本当にこれでいいんかな」と急に内省的になってしまうankoさんの不器用な真面目さは、聴き手の胸をギュッと締め付ける。

    深夜の車内、エンジンの音をバックに「道案内してください」「やっぱりコンビニでいいです、眠たいので」と、疲れ果てながらも薬局へと車を走らせる2人の他愛のない時間は、正解のない人生を「まぁ、これでいいんや」と手探りで肯定しようとする、不器用な大人たちの優しいドキュメンタリーなのである。

    18 min
  • #11 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「撮影時間30分超の『こより地獄』を制し、『負けを知りたい』と調子に乗る絶対王者・阪本はさむの大暴走」

    本放送で映し出されるのは、過酷な映画撮影という非日常を潜り抜けた大人たちが、その熱量の行き場を失った結果、「ティッシュを鼻に突っ込む」というあまりにも原始的な遊びに全力を注いでしまう、愛おしき「お祭り騒ぎの余韻」である。


    「映画の山場がくしゃみのシーンだった」という設定自体がすでに「仙人LIFE」らしいシュールさを醸し出しているが、それを撮影するために30分以上も鼻に異物を入れられ続けた井手🖐️さんの「本気で悔しい」というトホホな質感と、なぜかその分野で天賦の才を発揮し「負けを知りたい」と豪語する阪本さんのマウンティングの対比が最高にくだらなくて面白い。


    映画制作という、本来は芸術的で、大の大人が予算と時間をかけて大真面目に行う営みのすぐ裏側で、彼らは「誰が一番早く鼻水を垂らしてくしゃみをできるか」をストップウォッチで競っている。しかし、この一見すると無駄極まりない「こよりのトレーニング」の瞬間にこそ、撮影を支えた仲間たちの、言葉にならない連帯感と、映画が無事に撮り終えられたことへの安堵感がギュッと凝縮されている。差し入れのおにぎりを分け合い、ただ手伝いに来てくれたゴンちゃんへの感謝を述べるその優しい夜の空気感は、まさに浮世の喧騒から離れた「仙人」たちの、最高に贅沢な放課後のような時間なのである。

    11 min
  • #10 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「塗るほど美肌になる汚しメイクと、針金ラジコンネズミに震え、銃をアスファルトでへし折る!映画撮影大反省会」

    本放送で浮かび上がるのは、インディーズ映画という「正気と狂気の境界線」でギリギリの綱渡りをする大人たちの、泥臭くも愛おしい人間ドラマである。


    ハギハラさんたちが振り返る谷口監督の数々のエピソード(ピカピカになる汚しファンデーション、針金剥き出しのラジコンネズミ、ボンドで貼るフワフワの付け髭)は、一見するとただの「現場のバグ」であり大失敗だ。しかし、これほど周囲を不安に陥れるメンタルの持ち主でありながら、なぜか全員が自分から連絡をして再び集まってしまう。そこには、効率やロジックを超えた、監督という人間の不思議な引力がある。


    また、特殊メイクさんが語った「事故に遭った弟の傷口の白さに魅了された」というエピソードは、本物の表現者が持つ「業の深さ」を象徴している。他人が目を背けるような凄惨な現実の中に、圧倒的な美を見出してしまうその鋭い感性こそが、後に有名な作品を手がけるプロの礎(いしずえ)になっているのだ。


    リアルさを求めるアクション俳優、小道具を命の次に大切にするコレクター、そして現場を円滑に進めるために時にブチギレる〇〇さん。それぞれの「譲れないプライド(アンテナ)」が狭い撮影現場で激しく衝突し、ヴィンテージの銃が物理的にへし折れるかのような修羅場をくぐり抜けるからこそ、彼らの間には奇妙な戦友としての絆が生まれている。

    ラストの「監督が笑ってスタートをかけられない」というあまりにも締まらない結末も含めて、この「ままならなさ」と理不尽のすべてを笑い飛ばし、サバの味噌煮?を突きながら「楽しかった」と振り返る彼らの関係性そのものが、仙人LIFEが描き出す人間味の真髄なのである。

    28 min
  • #9 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「『ラジオネーム・チンタツ』の軽さに驚き、実家で『紙粘土のブドウ』を発見し、親の極秘離婚を茶封筒で知る限界おじさんたち」

    本放送は、「不器用な記号(言葉)の裏に隠された、実存的な愛と感謝のサルベージ(回収)」を巡る、きわめて文学的な対話である。


    人間は、大切な人に対してほど、本心をストレートな記号で伝えることができない。ある母親は息子に「そんなお土産はいらない、ベタベタするのは嫌いだから東京に行け」という冷徹な言葉を浴びせるが、その本質は「自分の元に縛り付けず、息子の人生を最優先にする」という究極の愛の裏返しであり、その実存は、何十年も保管されていた「紙粘土のブドウのブローチ」という物質(ノイズ)に結晶化していた。また、書類上の「離婚」という冷たい事実を隠しながらも、同じ屋根の下で暮らし続けた両親の姿も、法的な記号を超えた「家族というグラデーション」を描いている。


    ハギハラさんが映画の現場で「海に流れ着いたボール」を拾い上げ、小学生の時の「いじめっ子との絵本」を今でも実家で探し続けているように、彼らは一見すると世界から見捨てられそうな「無駄なもの・過去の記憶」を愛おしく拾い上げる天才である。

    「夫婦は所詮他人である」という諦念(あきらめ)は、決してネガティブなものではない。むしろ、全く異なる宇宙を持った他者だからこそ、言葉が通じないパートナーへの、愛情を超えた「圧倒的な感謝」が必要になる。私たちは過去の傷や不器用な愛を抱えながら、常に「今、ここ」の連続を生きるしかない。まさに彼らが人生という過酷な撮影現場(ワンマン録音)で、必死に「今」という瞬間を肯定し、積み重ねようとしている実存のビートそのものなのである。

    26 min
  • #8 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「歯も血も骨も声紋も、見えない身体内だけがガチ絶賛する『インナーセクシーO型男』の撮影前夜祭」

    本放送は、「人間が他者と社会に対して差し出している『表層』と、内側に秘められた『実存(インナー)』のズレ」を巡る対話である。


    私たちは自分の声を「骨伝導」という自らの肉体内だけで響く都合のいい響き(イケボ)として聴いているが、ひとたびテープレコーダーという冷徹な他者のメディアに通した瞬間、そこに現れるのは「見知らぬ醜悪な他人の声」という強烈な違和感である。しかしハギハラさんが言うように、その「モゴモゴした声」こそが他者との調和を生み、会話を豊かにしている。血液型の思い込みによって「几帳面なA型」を演じさせられていた兄が、O型という記号を得た瞬間に「これでええんや」と野生の乱雑さを取り戻したように、人間は「自分が思う自分」と「他者から見えている自分」の境界線で行き来しながら生きている。


    阪本さんという人間が、「歯、血液、骨格、そして声紋(周波数)」という、すべて皮膚の内側の『見えないところ(インナー)』ばかりをプロフェッショナルたちに絶賛されるというエピソードはきわめて象徴的だ。彼は外見的な記号(表層)ではなく、生物としての圧倒的な健全さと美しさを内側に備えている。ハギハラさんが語る「倍音とダイナミクスの滑らかな曲線」という音声技術論は、まさにその目に見えない実存の美しさを、音波という形で世界に優しく表明するためのコード(暗号)なのである。

    29 min
  • #7 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「忘却しちゃう明日の自分に向けて、トイレの中からトイレットペーパーを投げつけるライフハック(ゲスト:ankoちゃん)」

    本放送は、「忘却する未来の自分に対する、物質を通じた『違和感(記号)』のテロリズム」を考察している。


    人間は、思いついた素晴らしい決意やタスクを「ドアをくぐる」という日常の境界線を超えるだけで容易に忘却してしまう脆弱な生き物だ。ハギハラさんが提案する「トイレットペーパーをドアの外に投げ出す」という奇行は、高度な情報社会におけるきわめて原始的かつ有効な実存的アプローチである。彼は未来の自分を信用していない。だからこそ、「乱雑に置かれた本」「一本だけ傾いたファイル」「床に転がるトイレットペーパー」という物理的な違和感(ノイズ)を未来の動線に仕掛けることで、未来の自分の認知を強制的にハックし、過去からのメッセージを受け取らせる。


    また、ankoさんの「練り歩き」やハギハラさんの「全細胞を重力に抗わせる覚醒ジャンプ」は、精神論に逃げずに「身体の物理的リセット」から集中力を引き出すアプローチだ。集中力ややる気が出ない根本には、部屋の乱れ、人間関係、家計の不健全さといった「基礎(ベース)」の崩れがある。世に溢れる小手先のライフハック(タスク管理ツール等)自体に縛られて疲弊する現代人に対し、「トイレットペーパーの芯を投げておくくらい適当でいい」というハギハラさんの結論は、ガチガチの規律から人間を解放し、不完全な自分とユーモアを持って共生するための、きわめて優しい「適当(Optimal)の哲学」なのである。

    28 min
  • #6 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p「深夜のドロドロ仏と、2700万の負債を『黄色い唐揚げ』でぶっ飛ばす五反田お花見カップル」

    本放送で浮かび上がるのは、「2700万円の負債」という人生の巨大すぎる暗雲を背負いながらも、深夜のファミレスのような無駄話とこじつけのポジティブさで、それを笑い飛ばしてしまうおじさんたちの、切なくも美しい生存戦略である。


    自分のせいではない理由で2700万の負債を抱え、東京で病みきっていたけーちゃん。そんな彼に対し、ハギハラさんが差し出した救いの手が「唐揚げもマスカットも、黄色が入ってるから金運アップ!」という、おまじないですらない超絶雑なロジックだったのが素晴らしく愛おしい。ロジックとしては破綻しているが、その「もう何でもええやん、楽しくやろうや」という甘やかしの精神が、けーちゃんの凍った心を5倍の楽しさで溶かしたのだ。


    てっぺん(24時)を過ぎ、阿部さんが「ドロドロの仏」と化して意識を失いかけている横で、けーちゃんとハギハラさんが語る「五反田での男2人のお花見と夜の街散策」のエピソードは、もはや付き合いたてのカップルの惚気(のろけ)のようでもある。世間のフリーターとしての不安や、催促の電話に怯える過酷な現実(日常)があるからこそ、五反田の穴場の川沿いで缶チューハイを飲む時間や、誰も求めていない「耐久ラジオ」で無駄話を垂れ流す非日常の時間が、彼らにとっての絶対的なシェルターになっている。


    父親の納骨という人生の重いイベントすらも「ついでに北海道でゴルフして美味いもん食う」という独自のユルさに変換してしまう阿部さん。

    「帰りたい、眠たい」と本音をダダ漏らしにしながら、お互いのプライドや弱さをすべてサバの味噌煮のようにゴッタ煮にして受け入れ合うその空間は、まさに現代の喧騒から解脱した「仙人LIFE」のユートピアそのものなのである。

    20 min
  • #5 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「AIにノイズ扱いされた男を横目に、睡眠時間30分の社長が椅子の上で『膝立ち気絶』する限界 SN比ラジオ」

    本放送は、「実存を脅かす過剰な現実(ノイズ)と、それを統制・受容しようとする身体のバグ」を鮮烈に描いている。


    ハギハラさんが語る音声の「SN比(シグナルとノイズの比率)」の概念は、そのまま彼らの生き方に直結している。映画の現場において、救急車のサイレンという「雑音」が時にシーンを豊かにするリアル(表現)になるように、彼らの人生もまた、理不尽な捨てコン剥がし、現場でのタイミングのいじめ、2700万の借金といった「人生のノイズ」を受け入れ、カスタマイズすることで成立している。しかし、そのノイズを「AI」のように完璧に排除しようとすると、そこにただ静かに存在していた阿部さんという人間までが「ノイズ」として消去されてしまうという残酷なパラドックスが起きる。


    そして、そのシステム(過酷な労働環境)の中で最もバグを起こしているのがけーちゃんである。周囲から「音がデカい」と指摘される彼の音量管理に顕れるその聴力感覚は、物理的な衰えではなく、30分睡眠という極限状態の中で「生きている実感(刺激)」を狂おしいほどに求めた結果の肉体的な悲鳴なのだ。椅子の上で膝立ちになり、机に引っかかって眠るという、およそ人間とは思えない奇妙な姿勢(フォーム)で気絶する彼の姿は、社会の歯車として限界まで駆動しながらも、このラジオという「無駄な雑音(ノイズ)を垂れ流す空間」で必死に自己を調律しようとする、現代人の切実な生存戦略そのものなのである。

    31 min
  • #4 Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p 「億を動かすために金髪坊主を捨てた男が、ラジオの投げ銭だけで2700万返済を目指す『生きろ』レディオ」

    本放送は、「過去の埋蔵された自己(黒歴史)の肯定と、無謀な物語(フィクション)へのの賭け」を捉えている。
    ハギハラさんが明かした、高校時代の「おでこに『死』と書いた骸骨」という中二病の記憶。それは一見、大人になった彼らにとって笑い飛ばすべき「黒歴史」だが、現在の音声職人としてのこだわりの源流には、その当時の「過剰なまでの表現への執着」が地続きで存在している。彼が憧れる「ジブリのラジオ」のような、一見適当でありながら本質的な空気感は、こうした「かつての歪んだ情熱」を大人たちが笑いながら受け入れ合える関係性の中でしか醸し出せない。
    さらに、けーちゃん自らが課した「このラジオの収益だけで年内に2700万の借金を返す」という、明らかに達成不可能な無茶振り。彼らは現実の破滅的な数字を、ラジオ内の「エンタメとしての物語(フィクション)」にすり替えることで、過酷な現実の重力を無効化している。億単位の仕事のために「金髪坊主」を捨てて社会に適応しつつも、この密室では「へそ横ピンマイクの男」という記号に戻る。ラストの「生きろ」という鈴木敏夫のメッセージの引用は、不条理な現実(借金)から逃げずに、笑いという虚構の武器を持ってサバイブしようとする彼らの、泥臭くも力強い生への賛歌なのである。

    21 min

About Ichisuke Hagihara's 仙人LIFE-p

From the publisher's feed

世間の「正しい生き方」のスピードに、少し疲れていませんか?