流れのほとりに

イエスの切り替え(マルコの福音書6章1節~13節)


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キリスト教たんぽぽ教会(2023年7月9日)の礼拝メッセージです。

※一部音声に乱れがあります。ご了承ください。


序)凱旋訪問のはずなのに

・郷里ナザレ村を訪ねたイエスは、会堂で思わしくない反応に直面する。


1)ナザレ村…「訳あり」の人たちの村

・「マリアの子ではないか」…ユダヤ人は通常、父親の名で自分を表現する。郷里だけに、イエスの出生にまつわる秘密は(不正確な形で)周知の事実だっただろう。

・「大工ではないか」…「大工:テクトーン」とは職人一般を指す。ロー

マによる都市建築に駆り出される「汚れ仕事」で生きていた人々。

・「ここで私たちと一緒にいる」…「底辺は底辺らしく生きる」それ以外

は許さないというメンタリティーがナザレ村を覆っていた。

・「この人は、こういうことをどこから得たのだろう」…答えは明らかだ

が、受け取るつもりがない。過去の延長でしか今を見ることができず、神様の介入に心を開くことができない、救いを諦めた希望のない村。


2)打つ手なし?から発揮されるイエスの切り替え

・「それから(それで)イエスは、近くの村々を巡って教えられた。」

→ナザレを円の中心にして、その周囲に教えを展開する。方法も、2人ず

つ(証言が有効になる最少人数)遣わす形に変える。

・これまでは「イエス様と大勢の取り巻き」が効果を発揮して、人が人を

呼んだが、希望にあふれた集団が、かえって心を閉ざす場合もある。

・身なりも、乞食同然の恰好。遣わされていく村の人たちに違和感がない。それぞれの村で一軒だけに宿るのは、短期間滞在が意図。反応が良

くない場合は、「このままではまずい」ことだけ伝えて次に行く。

・すべてにおいて、天の父なる神に信頼することが貫かれている。


3)切り替えから生まれたもの

・ナザレから良いものが出る。ペンテコステを経て村は生まれ変わる。

・12 弟子は、イエス様のメッセージを伝える技術を身に着け、磨く。

・ユダヤ人から異邦人へと切り替える教会の宣教のモデルになる。


結)私たちが、イエス様の切り替え力を身に着け、生かすために

①「杖」…「信頼」のシンボル。杖を握ると要らないものが見える。

②「履物」…「希望」の象徴。遣わしてくださる方がいる。

③「油」…「愛」のシンボル。人を癒す力。イエス様から補給されること



たんぽぽ教会

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