2024年1月28日 公現後第4主日
説教題:見よ、神の小羊を
聖書:ヨハネによる福音書 1:29−34、出エジプト記 12:14−28、ガラテヤの信徒への手紙3:14、詩編32
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
洗礼者ヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)と、とても印象的な言葉でイエスさまを紹介しました。自分の力では多くのことは出来ず、迷いやすく、まだ成長もしきっていない。そんな小羊のような存在として、紹介されているイエス・キリストに頼りなさを感じてしまいます。なぜヨハネは、イエスさまを人びとに紹介するとき、ライオンやクマや鳥などではなく、小羊のような弱々しいイメージを選んだのでしょうか?
それは、小羊という言葉に、旧約聖書が伝えるイメージを込めたからです。出エジプト記に記されている出来事は、ヨハネの言葉に込められたメッセージの一つです。イスラエルの民がエジプトで強制労働をさせられていたとき、神はイスラエルの民の叫びを聞いて、彼らをエジプトから救い出し、奴隷の身分から解放し、彼らに自由を与えました。この出来事を記念する祝祭が、過越祭でした。
このお祭りが始まる前の日に用意されたのが、傷のない、1歳のオスの小羊でした。次の日から始まるお祭りのために、その日の夕暮れにこの小羊は屠られました。ヨハネ福音書は、この小羊をイエスさまとを重ね合わせています。イエスさまが十字架にかけられ、十字架の上で息を引き取った日を過越祭の前日の出来事としてヨハネ福音書は描いているからです(19:14参照)。過越祭がイスラエルの民が奴隷から解放され、自由とされ、神の民とされたことを記念する日であったように、イエス・キリストが十字架にかけられた出来事は、解放と自由をすべての人に伝える出来事でした。
神の小羊であるイエスさまの十字架上での死を通して、神は、すべての人を罪の束縛から解放し、自由とし、神の子として受け入れてくださいました。「見よ、神の小羊を」と、洗礼者ヨハネは、わたしたちに向かっても叫んでいます。それは、憎しみや暴力や争いに飲み込まれ、傷ついていくキリストの姿です。けれどもそれは、決して終わらない、暴力や争い、人間の罪や悪意の連続を断ち切るための神の方法です。小羊であるイエスさまの姿を見つめたわたしたちが、暴力や争いの連続を選び、そこに加担するのではなく、罪や悪に染まった道を選ぶのでもなく、ただただ、わたしたちが神の愛と憐れみに生きる自由を選び取り続けて欲しいと神は願っています。