2023年8月27日 三位一体後12主日
説教題:教会が歌い続ける理由
聖書:フィリピの信徒への手紙 2:1−11、イザヤ書57:14−21、マタイによる福音書 11:28−30、詩編 1
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
わたしたちの礼拝に賛美歌を歌うことが欠かせないように、パウロにとっても賛美歌を歌うことはとても大切なことでした。かつてパウロがフィリピの町で捕まり、牢屋に入れられたとき、パウロは神を賛美する歌を夜中に、牢獄の中で歌いました(使徒16:25)。獄中で過ごす夜は彼らにとって、不安や恐怖を覚えるものであったことでしょう。彼らはそんなとき、神への感謝と賛美を心に抱き、神がかつて信仰者たちに伸ばしてくださった救いのわざを思い起こし、神に希望を置き、神を信頼することを思い起こすために、賛美歌を歌いました。信仰者が賛美歌を歌うことによってどれほど励ましと慰めを受けるかパウロは自らの経験を通してよく知っていたのだろうと想像できます。
フィリピ教会の人びとに、へりくだって生きることを教えるとき、パウロは、へりくだりについて最低限の説明をし、「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです」と書いた後、賛美歌を引用し始めます。たくさんの言葉を重ねて説明するよりも、キリストを見つめて歌う賛美歌を一緒に歌うことこそが、へりくだりとは何であるかを知り、フィリピ教会に集う信仰者たちの交わりや彼らの信仰の旅が豊かになる上で、重要なことだとパウロは考えたのでしょう。
パウロはこの賛美歌をフィリピの人たちに一緒に口ずさんでほしかったのでしょう。歌はわたしたちの身体を必要とします。そして、繰り返し歌う時、歌はわたしたちの生活に浸透します。昼も、夜も、時間を問わず、歌はわたしたちと共にあることができます。場所を問わず、思い起こすことができます。わたしたちの存在のすべてに、わたしたちの生活のすべてに、行き渡り、浸透することができるのが、賛美歌でした。信仰者の生き方に、人生のすべてに、教会の交わりのあらゆる場面に、キリストの道が広がっていくことを願ったから、キリストのへりくだりを歌うこの賛美歌をパウロはフィリピ教会の人々に届けたのではないでしょうか。
神のもとにいたキリストが下へ、下へと降っていったことをこの賛美歌は歌います。イエスさまの徹底的なへりくだりの意味をこの賛美歌は事細かに説明しません。教会の交わりの中で歌われながら、日常生活の中で、昼も夜も口ずさみながら、キリストのへりくだりと向き合い続けることこそが狙いなのでしょう。教会の歌声によって神の救いのわざを思い起こし、教会の歌声によって励まされ、慰めを受け、キリストを示されて、わたしたちはこれからも御国へ向かう旅を続けていきます。これからも賛美歌がみなさんの心に響き、日常の中に染み渡っていきますように。