復活したイエス様は幽霊ではなかったから、私たちも幽霊になってはいけないが、教会が「幽霊化」していないか。その町に住所を置いているが、街づくりに参加していない教会は、幽霊化しているのではないか。「平安があるように」という主の語り掛けは、教会の中心から同心円状に広がるもの。(平安=シャローム=善く生き、繁栄することを含む)エレミヤ書29 章7 節「その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになる」⇔教会中心的な思考は問題である。「教会の所在地」という条項は「教会の拠点」とし、どの町にコミットするのかを明確にする必要がある。2)「声はすれども行動がない」教会にならないために
過去の宣教活動は「声」に頼ってきたきらいがあり反省すべき。「声」は必要だが、行いが伴わない福音提示は、主イエスのあり方ではない。例えば、この街の抱える問題を10 個挙げられるかが、この街に関心をもっているかどうかを吟味する手段となる。愛することは、関心をもつことから始まるから。霊肉二元論(肉体は霊の牢獄で、本当の世界は別にある)の侵入を許さないように警戒が必要。よみがえった主は何度も食事をされ、この世界の重要性を示された。ローマ14:19 等の「霊的成長」という教会用語は再検討が必要。ギリシャ語は「建て上げる」という言葉で「霊的」という限定はない。教会は霊的なことだけに関心を持てばよいのではない。「浮世」が「仮の世」と理解されるとNG教会の普遍性は「フリーサイズな規約」ではなく大胆に個性化されたあり方によって、表現されるもの。横並びの教会では、地域に根ざすことは難しい。結)幽霊へと招く誘惑に陥らないように目を覚まし続けよう